今日のタイトルの言葉は水木しげる先生の名言である。名言なので、複数の箇所で目撃している。
うちの町の図書館がリニューアル・オープンしたときに、カウンター内に水木先生のこの言葉がカラーの「目玉おやじ」とともに書かれた色紙が飾ってあり、とても感動した。残念ながら、いまはもう、置いていない。これを見たときは思わず「うおー」と口に出してしまったくらいの衝撃だった。
だってまさか、図書館カウンターにこんな言葉があるとは。やはり図書館の館長というのは、大事である。カウンターもいいのだから、もちろん図書館の本もかなりセレクトされた豊富な蔵書たちである。
その後、『愛・地球博』の『ゲゲゲの森』という水木キャラのショップでも「なまけものになりなさいTシャツ」を見た。かなり欲しかったが、さすがにこれを着る勇気はないだろうということで、涙を呑んであきらめ、目玉オヤジプリント手ぬぐいを買う事で妥協した。
そして11月の初日に「藁の家の住人」さんのブログでも、この言葉を見つけてしまった。
それにしても「なまけものになりなさい」と言う言葉は、なかなか出て来ないと思うのだ。
「なまけものになりましょう」という勧誘表現はありえそう。省エネ、スロー、マイペースと、時代に即したスローガンである。それをソフトに「してみませんか?(別に嫌ならしなくてもいいからさあ)」的お誘い言葉にしている。
「なまけものでも大丈夫」という癒し系励まし言葉も、こっそり流布していそうな気もする。「ああ、ワタシみたいなグウタラでも救われるノダ」と肩の力を抜く事ができ、「ナマケモノ→ダメな私→ますますやる気を削がれる→よって自己嫌悪と自己閉塞」という負のスパイラルにはまり込んでいるヒトたちを、一時救済する。
が、しかし。水木先生は「なまけものになりなさい」という命令形なのだ。確固たる自信と確信がなければ、おいそれと命令形は使えない。もちろん水木さんにとって「なまけもの」とは人生の理想形だったりするのだろう。
水木先生としては、内容的には「なまけものになりましょう」や「なまけもので行こう!」でもオーケーなんだろうけど、人に伝えるにあたっては「それじゃあ、弱過ぎて伝わらない!」と考えられたのではないか。ストレートな命令形を使って、やっと人は「あ、そうか、もっとなまけものにならなくちゃ」とメッセージをキャッチしてくれるのだ。それは大当たりである。「なまけもの」と命令形の組合わせは、度肝を抜かれる組合わせになる。
そしてこの「なまけものになりなさい」は、どこかで「べてるの家」とつながっているような気がするのだ。「べてるの家」の座右の銘のひとつに「安心してさぼれる会社づくり」というのがある。「なまけもの」が非難も排除もされず、仲間として受入れてもらえる社会が、いつかできますようにという夢も希望も、水木先生は捨てていない。愚痴や絶望や無駄な怒りがないところが、水木先生のすごさかもしれない。
うちの町の図書館がリニューアル・オープンしたときに、カウンター内に水木先生のこの言葉がカラーの「目玉おやじ」とともに書かれた色紙が飾ってあり、とても感動した。残念ながら、いまはもう、置いていない。これを見たときは思わず「うおー」と口に出してしまったくらいの衝撃だった。
だってまさか、図書館カウンターにこんな言葉があるとは。やはり図書館の館長というのは、大事である。カウンターもいいのだから、もちろん図書館の本もかなりセレクトされた豊富な蔵書たちである。
その後、『愛・地球博』の『ゲゲゲの森』という水木キャラのショップでも「なまけものになりなさいTシャツ」を見た。かなり欲しかったが、さすがにこれを着る勇気はないだろうということで、涙を呑んであきらめ、目玉オヤジプリント手ぬぐいを買う事で妥協した。
そして11月の初日に「藁の家の住人」さんのブログでも、この言葉を見つけてしまった。
それにしても「なまけものになりなさい」と言う言葉は、なかなか出て来ないと思うのだ。
「なまけものになりましょう」という勧誘表現はありえそう。省エネ、スロー、マイペースと、時代に即したスローガンである。それをソフトに「してみませんか?(別に嫌ならしなくてもいいからさあ)」的お誘い言葉にしている。
「なまけものでも大丈夫」という癒し系励まし言葉も、こっそり流布していそうな気もする。「ああ、ワタシみたいなグウタラでも救われるノダ」と肩の力を抜く事ができ、「ナマケモノ→ダメな私→ますますやる気を削がれる→よって自己嫌悪と自己閉塞」という負のスパイラルにはまり込んでいるヒトたちを、一時救済する。
が、しかし。水木先生は「なまけものになりなさい」という命令形なのだ。確固たる自信と確信がなければ、おいそれと命令形は使えない。もちろん水木さんにとって「なまけもの」とは人生の理想形だったりするのだろう。
水木先生としては、内容的には「なまけものになりましょう」や「なまけもので行こう!」でもオーケーなんだろうけど、人に伝えるにあたっては「それじゃあ、弱過ぎて伝わらない!」と考えられたのではないか。ストレートな命令形を使って、やっと人は「あ、そうか、もっとなまけものにならなくちゃ」とメッセージをキャッチしてくれるのだ。それは大当たりである。「なまけもの」と命令形の組合わせは、度肝を抜かれる組合わせになる。
そしてこの「なまけものになりなさい」は、どこかで「べてるの家」とつながっているような気がするのだ。「べてるの家」の座右の銘のひとつに「安心してさぼれる会社づくり」というのがある。「なまけもの」が非難も排除もされず、仲間として受入れてもらえる社会が、いつかできますようにという夢も希望も、水木先生は捨てていない。愚痴や絶望や無駄な怒りがないところが、水木先生のすごさかもしれない。