紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

気分良く暮らす。

2007-11-09 22:29:46 | ノンジャンル
 内田樹先生のブログを2、3日ぶりに見た。そしたら、いきなり怒濤の更新をされていて、3、4つほどをいっぺんに読む事になる。エラそうなのを承知で書けば、久々に「ほほう・・・」という、私の気持ちにジャストフィットする文章があった。


『人生はミスマッチ』
というタイトルである。 高校の先生にあてて何か、ということで、内田先生に依頼があったそうなのだ。今、現場の先生方が大変な状況なのを承知の上で、彼はひとつだけ先生方に、お願いされている。以下引用。

中高の現場の先生には基本的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。
現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。

現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。

だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。

「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよいし、身体の潜在能力が発現して「わくわく」している状態で表現してもよい。
要するに教師自身の心身がアクティヴな状態にあって、「気分がいい」ということだけが確保されれば、初等中等教育の基礎としては十分なのである。

子どもは「気分がいいこと」には敏感に反応する。
それが子どもたちのそれまでの「気分がいいこと」のリストに登録されていない種類の快感であっても、子どもたちは「気分がいいこと」にはすぐに反応する。
 
 全くそのとおりだ。
 というか、別に学校に限らず、世間一般にだって、家庭内だって、職場だって同様だ。当たり前と言えば当たり前、基本中の基本なのに、言われるまで、気付かなかったりする。

 そういえば、みんな、不機嫌で愚痴っぽくて、あら探しや悪口や足の引っ張り合いするのが、いまや『フツー』だよな。そういうのしないと『ソン!』みたいな空気さえ漂っている。絶対、ソンしない!!という軋轢や圧迫で息苦しいのかも。
 この頃の息苦しさは、何?って、この何年か思い続けていたのは、これだったのか!と、はたと膝を打つ。

 もし「わが家」というものがなければ、かなり「ひしゃげた」生活をしていたかも。あらためて家族メンバーに感謝する。「機嫌」「気分」はダイレクトに伝染するもんな。いやな気分をため込まず、まだ毒素がないライトな愚痴をその日のうちに放出し、怒りでなく、ツッコミでこちらの不備やミスを指摘してくれる柔軟な優しさと、日々の思いやりに対して。

 損得に神経使いながら世渡りするのがものすごく苦手なので、きっと子どもの頃から損ばかりしていたような気も。損する事になれちゃった感ありあり。一種の特技かも(自慢してどうする?)

 でも『ちりとてちん』ではないが、人生はやっぱり「いっぱい笑って生きて行く」ことに、神経使いたい。ごく身近なところから。機嫌良く、気分良く暮らせるように。