紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

長浜半日旅 その3

2007-11-25 23:44:12 | おでかけ
 やっと長浜半日旅の目的の地、安藤家と小蘭亭の話に辿り着いた。
 
 大満足の中島屋食堂を後に、再度「北国街道」に戻り、道を曲がればすぐに安藤家なのだが、なにげなくH氏が素通りしそうになったことを、覚え書きにしておきたい。

 23日の記事のとおり、安藤家は明治に建てられた豪商のお屋敷なので、回廊のついたお座敷と、雪国特有の雪吊り仕様のお庭の佇まいが、しっとりした落ち着きのある場所である。ちょっと小振りの金沢を思わせる。




 安藤家本体は、これ見よがしでなく、なにげなくハイセンス。主の趣味はチャイニーズだったのか、障子の桟がエキゾチックである。欄間にもよく見ればガラスがこそっと嵌め込まれたりして、密かにカッコいい。



 さて、特別公開されていた「小蘭亭」は、北大路魯山人が手を入れた離れで、密かに蔵の入口にもなっていたが、その入口の渡り廊下から凝っていること。H氏、大興奮。

 入口の段にある十字の曇りガラス入り小窓、カッコいい(左) ランプも支えの曲線が可愛い(右)





 渡り廊下の床の菱形の寄せ木(左)、窒gみ合わせた欄干(右)も、独特の趣がある。

 渡り廊下のガラスも、中国風な桟が入り、昔の歪んだ手づくりガラスが、なんともいえず温かい(左) 魯山人の作った「小蘭亭」の看板もカッコいい(右) 天井も網代に編んであったり、白樺っぽい木が渡してあるのも面白い。




 「小蘭亭」の天井、柱、襖など、至る所に大胆不敵な魯山人の字や細工が施され、独自の宇宙を持った空間が広がっていた。主の趣味を取り入れ、とてもエキゾチック。窓ガラスは全て、窓が凍り付いた時にできる氷の花のような模様の磨りガラス。今の技術では、もうとうてい再現できないそうなので、なんらかの事情で割れてしまったら、明らかにこの宇宙は欠落してしまうだろう。

 昭和の間に引き継がれなかった技術は、どれだけあるのだろう? いったん途絶えても、再現の熱意に燃える方も出て来るかもしれないが、そのためにその人が費やす努力や命のことを考えると、手から手に手渡すことの大きさに愕然とする。

「小蘭亭」は撮影禁止だったので、あの天衣無縫かつ稚気と遊び心のある魯山人のアートは残念ながらお見せできないが、外観からは撮影OKだったので、こちらを。

 いままで魯山人って、ウンチクかたむけて趣味人を気取って、エラそーでワガママでやなヤツなのでは?と、あんまりいいイメージがなかったのですけど、まぁ、はみだしたヤツでなきゃ、あんな法外な作品はできないんだろうな。と、前向きに考えることにしました(笑) 

 しかし、食客(居候)しながらアートにいそしめるなんて、そういう時代があったんですよね、ちょっと前には、確かに。腕次第ってことはあるにしても。現代に生まれなくてよかったかも、魯山人。

長浜半日旅 その2

2007-11-24 00:20:12 | おでかけ
 昨日より続きます。長浜地元のオーディオマニアに推薦していただいた『中島屋食堂』に行ってみることに。

 長浜は、昨日の写真でおわかりのように、なにしろ昔ながらの旧い建物や佇まいが健在で、北国街道を入ったところにも、たくさん魅力的なお店がある。それらを蹴って駅前に戻り、子どもの頃の昭和40年代の大衆食堂そのままの店構えに、思わず夫婦で盛り上がる。(お店の入口。クリックすると拡大出来ます)

がらがらとガラス戸を開けて入れば、おばあちゃんがちょっと焦ったように、
「2、30分ほどかかりますけど、かまいませんか?」
急ぐ旅ではないので(お腹はかなり空いていたけど)、かまいません。

 お客はおよそ15人程いて、2テーブルを残す感じで、去っては入って来る。お昼にしては遅い時間なのに、不思議な程客が途切れない。お客が来るたびに、おばあちゃんが「お急ぎでないですか? 2、30分かかりますけど」といちいち確認してから、お客を入れていた。

 そんなに時間がかかる訳が、ほどなく判明。家族経営で、しかも接客担当は2名で、さっきのおばあちゃん(推定70歳)と、彼女よりさらにもう一世代上のおばあちゃん(年齢不詳だが、かなりなものとは判る)が、客をさばいて!?いるのだ。注文を聞いて、お盆を運び、食器を下げる。そしてレジもする。

 店内は不思議な時間が流れている。少なくとも「平成」ではない。明らかに、「昭和」だ。ほぼ三和土にテーブル、大衆食堂風のビニール椅子がほとんどだが、畳にあがる席も2テーブルある。奥のお座敷テーブルは、昔懐かしい丸いちゃぶ台なのだ。

 壁中、いろんなものが貼られていた。
昨年の湖東三山秘仏御開帳の記念の品、昨年の上方落語家の名前が一門毎に書かれた手ぬぐい。大相撲関係のものもあった。他にもお酒やビールの本物の(たぶんリアルタイムで貼られた)レトロ広告ャXターや、観光記念品や雑誌かなにかの切り抜きみたいな花の画や写真。
 一見なんの統一も無いそれらが、うるさくなく不思議に調和がとれている。それはもう、魔法のような見事なハーモニーだ。

 テーブルにはメニューは、ない。メニューは壁に貼られた限られたもののみ。うどん(そば)が5種類ほど、お寿司関係、お酒など。「きゅうり巻き」の下には「地物きゅうり巻きたて」と、補足説明がある。お寿司の巻物を「巻きたて」という売り文句にしたのは、初めて見た。なんだか、かわいい。

 私たちは「あなごうどん」「天ぷらうどん」「鯖寿司」を注文してみる。「あなごうどん」と「鯖寿司」は、絶対美味しいという天の声が聞こえた気がしたのだ。ことに「鯖寿司」は、「寒サバ焼津真鯖使用。当店名物」とあるので、お店サイドのアツい強力プッシュぶりに、あふれる自信を感じ取ったのだ。しかも「鯖寿司を食べずには帰れまい」という気迫の籠った3色使いの文字である。注文しないわけにはいかないだろう。

 そして、どれもとても美味しかった。でもこれはなんだかグルメガイドに載ってるような、厳選素材で味を追求する職人技とは、ちょっと違う。とても優しくて「一生懸命こころをこめて、丁寧に作りました」感に溢れているのだ。そういう美味しさ。

 普通の大衆食堂のおじさん、おばさんが、日日一生懸命に、一歩ずつ前進していくようなおいしさ。眉間にシワを寄せる感じでなく、「もうちょっと、こうしたら?」「この材料はここにきめた」と思いやりと工夫と向上心のなせる技で、しかもたぶんチームワーク抜群なのだ。

 お店を出るときH氏が、レジを打っていたお店の人に「おばあちゃん、いくつ?」と聞いたら、姿勢良く白髪頭を持ち上げて「明治43年生まれ!」とおっしゃり、横に控えてらっしゃった、もうひとりのおばあちゃんが「いくつか計算してください」とにこやかにフォローされた。

 99歳でレジ打ちをされるなんて、もしかして日本一高齢のレジ打ち者かも。
みなさん、長浜に来たら、ぜひ「中島屋食堂」へ。もうすっかりファンです~♪



長浜半日旅 その1

2007-11-23 22:14:00 | おでかけ
 今日はたぶん、自分たちの日頃の勤労に感謝する日である。

 私は昨夜も4時間睡眠というスケジュールだったが、今日は休日をいいことに1時間朝寝をさせてもらい、ずいぶん回復した。丁度洗濯物も終了し、第1弾を干す作業にとりかかった。

 その後おばあちゃんより、西友の駅弁大会で駅弁を買って来るという提案があり、同じ頃、H氏より「長浜いかへんか?」という勧誘がある。まるで渡りに船だ。駅弁を買えば、晩ご飯の心配なく、心置きなくおでかけできる。

 早速、長浜の観光ャCントをPC検索してみた。すると偶然にも北国街道/安藤家の離れ小蘭亭の特別公開(11月25日/日曜日まで)があるではないか。これは、なかなかラッキーかも。

 安藤家は古くは長浜十人衆のひとりで、近年まで百貨店経営に携わって来た大きな商家。明治38年(1905年)に建てられた住居は、紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠窓(むしこまど)などが施された長浜を代表する近代和風建築である。北大路魯山人により彩られた離れの"小蘭亭"や、"古翠園"と名付けられた庭園とともに長浜の貴重な歴史遺産となっている。

 これで目的地は明確に決定!後にこれが大正解だったことを思い知る。HPで見るより、実物は数倍素晴らしかったのだ。

 いくつかの用事を済ませたら、早くもお昼になっていた。そこから北陸間近に位置する長浜に出発。電車で行けば東海道本線を米原で北陸線に乗り換えるが、今日は夫の運転、車でまっしぐら。意外に道路も空いていたので、1時間余で到着。紅葉も、冬っぽい波の高い暗緑色の琵琶湖も、波に浮き沈みする県鳥・カイツブリも見ることができた。バックミュージックは嘉門達夫のコミックソングで、ときどき大爆笑に陥る。

 長浜に着き、車は駐車場に置いて、観光メインストリートを歩く。H氏は長浜のオーディオ・マニアに会い、ついでにお昼ご飯のおすすめ場所を尋ねる。やはりよそ者は、地元の人になんでも聞いてみるものであるということを、後に私たちは思い知ることになるのだった。長浜駅前の中島屋食堂である。これについては明日また。

***フォト・ギャラリーそぞろあるき長浜***
 普通のお家ですが、なんだかかっこいい!

 古いお菓子司(おかし屋)さん。酸いも甘いも噛み分けました。↓
紅殻格子(べんがらごうし)のお家↓




緑青付黒土蔵→ 

石臼は・・・そば粉用でした!


虫籠窓(むしこまど)のあるお寺。中国風だけど浄土真宗です。




これぞ和洋折衷!→

王様のアイディア

2007-11-22 00:07:43 | お買いもの
 心に人生の空しさが募る時には、人は旅に出るのかもしれない。が、経済的、時間的な問題もあり、そうそう旅立つ訳にもいかないのが現実だ。

 京都が生活圏で、京都駅界隈を徘徊していた時代、地下街ャ泣^は、ある意味心の友だった。
 洋服も靴もカバンも、たくさん見た。もっとも残念ながらたくさん買うことはできなかった。本屋さんで本の背中(タイトル)もたくさん読んだ。雑貨や京都のお土産屋さんや、和風ファンシーグッズや和風雑貨の店内も彷徨った。ことに文房具のお店が好きだった。

 シェーファーのボールペンやペリカンの万年筆を使っていた頃である。ほんとは今はなき丸善京都店の舶来文具売り場が、高校生の頃から、一番の憧れの場所だったのだ。

 しかしそんな夢多き売り場の数々の中で、私が最も心安らげる癒しの場所だったのは、賑やかな地下街の辺境に追いやられた小さな一角にあるお店だった。人通りも少ない場所に、ひっそりと佇む『王様のアイディア』というお店である。売られているのは、ユニークグッズというか、市井の発明マニアが満を持しました!というような、比較的小物な商品が、所狭し!と並べられていた。

 しかし、『王様』なのに、なぜにこんな辺境におられるのか?という謎は、その品揃えを見れば、たちまち氷解するであろう。その中に、「生活必需品」と呼べるものは皆無に等しい。

 しかも、あんなに憩いの場としていた私にしても、20年以上の歳月の後まで覚えている品物は無いに等しい。「笑い袋」とか「先が光るみみかき」とかくらいかな。

 それなのに、なんでわざわざ『王様のアイディア』について書いてみたのかといえば、さっき、ふとPC検索をかけてみれば。あっと驚く衝撃の事態に出くわしてしまったからだ。『王様のアイディア』、2007年5月をもって閉店されていた。

 まあ、たしかに私だって、憩っていたにもかかわらず、がんがん購入することがなかったもんな。というか、そういうお店ではなかったんだろうな。あってもなくてもいいものしか売っていないんだもの。

 でも、閉店されたというと、私は何の貢献もしていないのにこんなことを云うのはなんだが、やっぱり寂しい。「あってもなくてもいいもの」が消えていく世の中って、やっぱりつまらない。

 

国語の時間

2007-11-21 22:54:31 | 読書
 中学1年生の娘、Kちゃんは、小学生の頃、呆れる程本を読まない人だった。愛読書はオールカラーマンガ(旅行イラストエッセイ?)『こげパン』で、お出かけする時にはいつもカバンに入れ、電車の中で繰り返し熟読していた。

 こんな状態で、果たして中学校の国語はクリアできるのか、一抹の不安があるには、あった。

 そんな彼女が、中学校の国語の時間に、井伏鱒二の『山椒魚』の前半分をプリントにしたものをもらって来た。やや興奮気味に、この近代日本文学史上に燦然と輝く短編について、アツく語ってくれた。

 「『山椒魚』って、面白いなあ~。もう、爆笑したわ。なんちゅーどんくさいヤツなんや、山椒魚!」

 どんな読み方やねん!

 でもしかし、私も中学生の国語で習ったとき、確かにそう思った。運悪く落とし穴にハマると、どんどん深みにはまって行くタイプ。東海林さだおがネタにしそうなキャラクターに近いのでは?

 しかもプリントには挿絵入りで、それがまた、火に油を注ぐがごとき「どんくさい」顔の山椒魚だったのだ。挿絵によってKちゃんの『山椒魚』お笑い説は、いっそう説得力を増すのだ。

 Kちゃんにプリントをみせてもらって、『山椒魚』の冒頭が「山椒魚は悲しんだ」で始まることを知る。

 「山椒魚は悲しんだ」? 

なんか唐突に悲しむんや。いきなりやな・・・あれ? たしか他にもこういうパターン、読んだことあるぞ。

 そうそう、あれあれ。『走れメロス』や!

 「メロスは激怒した」。

マンガで描いたら、最初のコマで眉間のシワと、こめかみのムカムカマークのカットという、ものすごい顔のクローズで始まるかんじ。タイトルページをめくれば、いきなり激怒するメロスがいるのだ。そうして面食らった拍子に、うっかり引き込まれてしまうのだ。

 それにしても井伏鱒二という人は、どんなお方だったのか? いつものようにウィキペディアを見る。

 実は絵描き志望だったが、弟子入りを断られ、文学に方向転換した人。早稲田大学に入学するも、男性教授よりセクハラを受け休学。復学も試みたが、同教授による妨害により断念。と、思うようにいかない青春時代を送った方らしい。

 井伏鱒二は悲しんだ。

 処女作『山椒魚』と作者のキャラがダブってくるようだ。

 もうひとつ思いもかけない井伏鱒二とガンダムの関係についての記述があった。以下、引用する。

 もともと、ガンダムシリーズの製作者である富野由悠季は、井伏の「黒い雨」に影響を受けていた。それが、既存のアニメとは一線を画す、ガンダムシリーズでのリアルな戦争描写の参考のひとつとなる(現に、機動戦士ガンダムΖΖで、マシュマー・セロのコロニー落としによってダブリンに黒い雨が降り注ぎ、ジュドー・アーシタがそれに打たれながら「黒い・・・雨が・・・」と呟くシーンがある)。その後、事情を知った井伏もガンダムを鑑賞し、感銘を受け大ファンになった、という経緯がある。


井伏鱒二が、ガンダムファンだった!? これ、Kちゃんに教えてあげなくては。ちょっとなんか、都市伝説みたいやなー。