紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

本日の発見/職場編

2008-08-16 23:04:24 | おしごと
 もうずいぶん前から、「職場のこの雰囲気というか、わくわくする懐かしい気分って、なんかデジャヴュな感じなんだよなー・・・?」と気にはなっていた。40代が少し、30代が若干、20代が何人もいる、95%女子の職場。(男性は一人のみ)

 シフトを組んで時間差で二交代でお昼ご飯をとり、三交代で休憩をとるのだが、私が休憩を終えて珍しくデスクワークをしていたとき、休憩室からきゃあきゃあと独身若者連が盛り上がっていた。それを聴いて、はたと思い当たった。

 『女子校ノリ』やったんや!! ・・・どおりで。

読書感想文パート2

2008-08-15 21:39:32 | 読書
 昨日のブログで「読書感想文テキスト」をお探しの方が訪問されたとしたら、大変に期待はずれでご迷惑をおかけしたかもしれないので、念のため私のセレクトをあげておきます。

 『ぼくは勉強ができない』 山田詠美
 『死神の精度』      伊坂幸太郎
 『マイナス・ゼロ』    広瀬正
 『つきのふね』      森絵都
 『しゃべれども しゃべれども』 佐藤多佳子
 『ダモイ遥かに』     辺見じゅん
 『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』 森達也 

 私自身は小学生も高学年になると、読書感想文要員のような扱いで、大変つまらなかった。なぜなら、担任の命に依り、課題図書専門に読書感想文を書かかねばならなかったのである。

 最近の課題図書は、センスのいい納得出来るセレクトで、これなら「読みたい!」「面白かった!」という子どもたちも多かろうと思う。慶賀である。

 しかし私が小学生だった頃の課題図書は、いかにも大人が好きそうな「問題提起型」というか、「正義感溢れる子どもたちの感想を待っている」という大人の思惑がありありとみてとれ、「はいはい、お望み通りに」としぶしぶ正義感溢れる気分を盛り上げたけれど、ウマく書けたり書けなかったりした。たまに大人の思惑と、私自身の義憤が一致したときには意気揚々だったりしたのだが、あまりに「大人の思う壷」的感想文だったため、かえって担任から「親に書いてもらった疑惑」までかけられたりして、あまりいい思い出は無い。

 ところで、終戦記念日である。

 いつも私が不思議に思うことがある。何度か書いている事なのだけれど、昭和天皇も平成の天皇も、さきの戦争を深く悔い、残念に思い、二度と戦争をしないことを願っておられるのに、「自分は深く日本を愛し天皇陛下を敬っている」と自認している方々が、逆ベクトルの考え方をされているのかが、私には理解出来ないのだ。

本日の戦没者慰霊の式典で、天皇の述べられた文章の一部が下記である。

「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に唐黷ス人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

 私は昭和天皇が慚愧にたえない、といった様子でことあるごとに上記のようなことをおっしゃっていたのを長年聞いて育って来た。平成の世になっても、天皇のおっしゃられることに変化はなく、むしろ過激になってきたくらいなのに、世間的には露骨にスルーされたり黙殺されたりと、失礼千万な扱いとなっているように思う。いいのでしょうか、これで? と辛酸なめ子さんのように、皇室関係者に聞いてみたい気がする。


読書感想文テキスト

2008-08-14 23:10:18 | 読書
 夏休みが始まるか始まらないかという頃、Kちゃんに「読書感想文用の本、なんかない?」と訊かれ、彼女の机の上に、ウチにある本から選び、図書館から借り出したものを山と積んだ。イマドキの中2女子は、何を選ぶのだろうか? ワタシこと母がプッシュするあの本は選んでくれるであろうか? でも何はともあれ、この本タワーの中から選ばれたものは、母娘の共通項となる本になるのだ。どきどき。

 彼女のセレクトしたのは、私にしてみれば「とても意外」であり、「アダルト」であり、「おぬし、なかなかやるな」と感心した1冊。

 それは、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』。

 しかも、大変気に入ったようで、「読書感想文書いているうちに、ちょっと忘れていたとこがあったし、読み始めたら丸丸1冊、3時間かかって読んでしもた」
 「ええーっ! 2回目読んだんや。面白かった?」
 「面白かった。雰囲気でるし、わざわざ(冷房ないのに)たぬき亭で読んだ。」

 私は山田詠美のデビューしたときのことを鮮明に覚えている。街角でも大々的に広報され、大胆な性描写はニュースになり、センセーショナルな旋風を巻き起こした。1985年文藝賞を受賞したデビュー作は『ベッド タイム アイズ』で、そのいささか派手すぎる広告看板をみるたび、私は「ちぇ」と舌打ちしたものだった。まさか後には彼女が芥川賞の選考委員になるなんて、夢にも思っていなかった。

 そんな私の山田詠美への思い込みを払拭したのが少女ファッション誌『OLIVE』の書評コーナーである。もう20年も昔の話であるが、山田詠美が「いかにリリカルであるか」を力説され、女性にしか描けないあれこれを、今までに無い描写で描ける作家である、とまごころをこめた愛に溢れるブックレビューだったのだ。ここまで愛を尽くして紹介されているなら、読まない訳にはいかない。

 『蝶々の纏足』を読んで、「なるほど、たしかに!!」と書評の意見に大納得。その後、結婚し、子どもが生まれ、幼い彼が近くのプールの水泳教室で四苦八苦している間、私は『ぼくは勉強ができない』に読みふけっていた。のめり込んだ。絶讃した。

 あんまり大人が思春期の娘におすすめするタイプの本ではないかもしれない。でもこの、きらきら煌めく青春と恋愛の世界や、自分なりの美意識や人生観を持つカッコいい大人キャラの言動や、そんなステキキャラと関わる個性的な少年の甘かったり苦かったりする成長は、ちょっと背伸びしたい10代にぜひ読書体験してほしいと思う。この名作に手を出すとは、Kちゃん、相手に取って不足はない。

 それにしても、しかし、この本で感想文って・・・私には書けないかも。(「相手に不足はない」って・・・完全に負けやんか!)

『きのう何食べた?』

2008-08-13 22:10:03 | 読書
 と、いうのがタイトルの漫画家よしながふみのマンガである。

「洗濯機が洗濯終えるのを待つ間だけ」と思って手をつけたら、ついのめり込んで、干すのがお昼前になってしまったのでした。

 ゲイで同棲しているふたりの(もしくはそれぞれの)男の日常をスルドく深く淡々と描いている。でもBLではないし、ゲイの事をもっとわかって!というメッセージマンガでもない。日常の小さなあれこれの出来事を描く、日本人のエッセイのような繊細さに溢れたマンガ。一般のゲイ視線で、というのが新味ではあるけど。そして、このゲイ視線、なかなかに鋭い問題提起があったりするのだ。

 余韻が残るというか、自分では気付かない盲点を発見する心地よさがある。
 苦笑しつつも、ま、しょうがないよね(実の両親が息子がゲイであることを内心なかなか受入れられない)とか、ほんの小さな仕事がいつのまにか気持ちをリセットさせてくれる、とか、自分がパートナーにしてほしくないことをされて激怒するも、パートナーが泣いて謝りながらも、自分の辛いところやさみしいところをャ鴻bと吐露してしまい、自分の価値観で相手を知らない内に縛っていたことに気付いて反省したりとか。

 それからDV(ドメスティックバイオレンス)を実に的確なのに、しかもショートストーリーなのに、あんなに温かに!?描いているので、思わず拍手喝采してしまった。絶対暴力なんかと縁がなさそうな加害者、「ウチに帰らないとまた伴侶に殴られてしまう」と帰宅しなければならないという激しい思い込みによって、自分の言葉の矛盾にすら気付かなくなっているDV被害者の精神構造とか、「自分がいなければあの人(伴侶)はいきていけない」という思いやりに満ちた優しい(または傲慢な)の被害者の人柄とか。
 なんとなく一般の人が思っているDV感を覆す、一般的なDVの実態を、爽やかに描いているなんて、凄過ぎ。

 読み終えた後、晩ご飯を作る気力が出て、手づくりの家庭料理が食べたくなるというオマケ付の1冊。もちろん食材は格安で購入して、ね(笑)
『きのう何食べた?』は、現在1巻(既刊)、以下続刊。

ナンセンスというもの

2008-08-12 21:15:37 | ノンジャンル
 ジョン・レノンのナンセンス絵本が話題になっていた頃、私にはナンセンスはさっぱりわからなかった。ナンセンスより、どちらかといえば常識や道徳や倫理をたよりに歩いていた。頭の中や感覚は、わりに世間並みなメインストリートを歩く若者だったのだろう。

 それが(たぶん)結婚、子育てと環境が変わり、夫の影響などもあって読書傾向が変わるにつれ、メインストリートを踏み外し、ケモノ道を(家族ぐるみ!で)歩く人生へと様変わりしてしまったようである。それとともに「ナンセンス(絵本/マンガ)」というものを楽しめるようになってきた。

 ナンセンスや笑いはラブ&ピースと親和する。一方、戦争は(世間、世論に通じる)常識や道徳とどこかでつながっている様に思う。真面目で道徳的で自己犠牲的できっちりと枠がある世界に憧れる人たちは多いだろうけれど、それは一見キレイで、秩序だって、美しい理想的な世界に見えるけれど、そんな空気に近づいて行くと、きっとなにかしら違和感を感じてしまうと思う。言葉にできないけれど「あれ?」と思うような。

 ソリッドな正義や秩序は、不思議な事になぜか暴力が巻きひげのようにからまってくる性格があるような気がした。一見、相反するもののようなのに。

 ところが。戦争の周辺はソリッドなのに、戦争そのものは・・・ブラックユーモアとナンセンスのるつぼかも。やってる人たちが大真面目なだけに。悲惨や残酷さがこれだけ伝えられているのに、いまだ戦争がなくならないのなら、いっそこのバカバカしさを伝えていければ、チャンネルが変わる気もする。
 たとえば斉藤洋さんの『シュレミールと小さな潜水艦』(絶版)みたいな話とかね。これを読んだらホント『戦争』に脱力しちゃいます。

 以上、本日帰宅途上に、ふと考えた事。個人的な覚え書きとして。