もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その3 京都最古の禅寺 建仁寺

2020年01月09日 | 神社・仏閣

1/8 京都ゑびす神社を後にして、続いては向かい側にある「建仁寺」さんへと行きました。

それでは、建仁寺についてです。

ホームページから・・・。

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。

元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。          

 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。

その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。

正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。

 やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。

ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。

明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。 また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。

というようなことです。

ここは有名な風神雷神図や双龍図があり、一度見たかったお寺でした。

まずは、三門です。(望闕楼ぼうけつろう)とも言います。

勅使門方向から見ました。

正面から、とても立派です。

そして、法堂(はっとう)です。

それでは、拝観料を支払い、本坊から入場します。

この中へ入ると、この日はまだ参拝者も少なく、とても静かで厳かな雰囲気でした。

それでは、方丈の感動の数々を紹介します。

まずは、潮音庭(ちょうおんてい)

四方正面の禅庭です。

とても、とても心が落ち着きます。

珍しく私も四方をまわりながら、ゆっくりと眺めました。

それでは、大書院にある国宝「風神雷神図」です。

俵屋宗達の晩年の最高傑作とされています。

右に風神、左に雷神です。

そして、こちらは金澤翔子さんの風神雷神の書です。

見事!

そして、拈華微笑(ねんげみしょう)

そして、小書院から見た「〇△□乃庭」。

こちらの庭です。

続いて、方丈へ。

こちらの庭は「大雄苑(だいおうえん)」と称され、白砂と苔、巨岩の枯山水です。

見事!

しばし見とれてました。

左奥には、織田信長の供養塔です。

ここは、襖絵がスゴイです。

スゴイのを紹介。

まずは「雲竜図」 海北友松作 桃山時代 重要文化財。

圧巻です。

竹林七賢図。

こちらは納骨堂。

写ってませんが、納骨堂の右には「安国寺恵瓊のお墓」があります。

それでは、法堂へと進みます。

本尊釈迦如来坐像です。

そして、そして、そして、上を見上げると・・・。

ドッヒャーーーー!!!の迫力です。

お見事!!

とにかく凄いです。

建仁寺建立以来、天井に描かれた記録はありません。

小泉さんが初めてです。

建仁寺、堪能です。

それでは、依頼をしておきました御朱印帳を帰りに受け取りました。

イヤぁ~、感動しました。

 

続く・・・。

コメント (2)
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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その2 京都ゑびす神社 

2020年01月09日 | 神社・仏閣

1/8 の神社仏閣巡りの続きです。

今回の第1の目的は、ここ「京都ゑびす神社」へのお詣りでした。

仕事場の私の席の後ろには、お札が掲げてあります。

昨年は、大阪の今宮戎神社でした。

今年は、実は今日近くを通ったのですが、時間がなくて断念。

そんなことを予想して昨日京都のえべっさんをお詣りしたのであります。

ちなみに私の仕事は、どんどん利益を追求するわけではないのですが、やはり利益がないと給料やボーナスに影響します。

そのため、ここ5、6年前からえべっさんをお詣りし祈願している次第。

ただ、お商売人さんのように「商売繁盛、笹持ってこい。」まではやってません。

それでは、ゑびす神社へ。

この日の朝はの10時ころには、まだそんなに屋台は出ていませんし、通行されている方もまばら。

近くには、こんな簡易トイレが停車しています。

正面の鳥居をくぐって境内へ。

すると、目に入ったのが着物を着たきれい処の姿が・・・。

ここで京都ゑびす神社の十日ゑびす大祭の日程です。

ホームページからの紹介です。

年間行事
祭礼は1月8日から12日の5日間に渡り、以下の神事を中心に執り行われます。
1月 - -  
8日  招福祭
    午前9時 開門
    午前10時 宝恵かご社参(東映太秦映画村)
    午後2時 湯立て神楽神事
    午後2時半 餅つき神事(神主、巫女、奉仕)
    午後11時 閉門
9日  宵ゑびす祭
    午前9時 開門
    午前9時 招福まぐろ奉納
    午前10時 宝恵かご社参(東映太秦映画村)
    午後2時 祭典執行 ☆夜通し開門
10日  十日ゑびす大祭(初ゑびす)
    午前11時~12時 東映女優の奉仕による福笹の授与
    午後1時~2時半 東映女優の奉仕による福笹の授与 ☆夜通し開門
    午後2時 祭典執行(非公開)
11日  残り福祭
    午後2時~4時 (祇園町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与
    午後8時 祭典執行(非公開)
    午後8時~10時 (宮川町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与
    午前0時 閉門
12日  撤福祭
    午前9時 開門
    午後8時 祭典執行(非公開)
    午後10時

閉門

というようなことで、私が行った1/8は初日の招福祭。

そして、たまたまですが10時ころに行ったため、宝恵かご社参と言うのが行われていた次第。

※宝恵かご社参  東映の女優さんが松竹梅と紅白に飾ったかごに乗りこみ、

ゑびすばやしの「商売繁昌でささもってこい」のかけ声勇ましく、

太秦の映画村より神社へ参拝し、それより順次各デパート、商店、銀行等へ吉兆笹を配り、

京の初春を祝います。

なるほど、それでこんなきれいな人が・・・。

それでは、しっかりとお詣りをします。

ちなみに、つきものの鈴の緒が取り除かれています。

混雑の為らしいです。

しかし、えべっさんは耳が遠いらしい。

それなのに、鈴が鳴らせないと、聴こえておられないのでは・・・。

この本宮の裏手には、こんなところがあります。

この板をどんどんと叩いて、来ましたよぉー、と合図するのです。

ということで、心の中で大きな声を出して、お詣りしました。

そして、御朱印をいただきました。

お札もいただきました。

めでたいでしょう。

ついでに私用にこれも・・・。

これで、めでたい事が呼び寄せられるかな?

これから、1/9 宵ゑびす、そして十日初ゑびすと賑わっていきます。

それでは、京都ゑびす神社でした。

次は、行きたかった建仁寺です。

えべっさんの向かいにあります。

続く・・・。

 

 

 

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