1/8 京都ゑびす神社を後にして、続いては向かい側にある「建仁寺」さんへと行きました。
それでは、建仁寺についてです。
ホームページから・・・。
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。
元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。
ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。 また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。
というようなことです。
ここは有名な風神雷神図や双龍図があり、一度見たかったお寺でした。
まずは、三門です。(望闕楼ぼうけつろう)とも言います。
勅使門方向から見ました。
正面から、とても立派です。
そして、法堂(はっとう)です。
それでは、拝観料を支払い、本坊から入場します。
この中へ入ると、この日はまだ参拝者も少なく、とても静かで厳かな雰囲気でした。
それでは、方丈の感動の数々を紹介します。
四方正面の禅庭です。
とても、とても心が落ち着きます。
珍しく私も四方をまわりながら、ゆっくりと眺めました。
それでは、大書院にある国宝「風神雷神図」です。
俵屋宗達の晩年の最高傑作とされています。
右に風神、左に雷神です。
そして、こちらは金澤翔子さんの風神雷神の書です。
見事!
そして、拈華微笑(ねんげみしょう)
そして、小書院から見た「〇△□乃庭」。
こちらの庭です。
続いて、方丈へ。
こちらの庭は「大雄苑(だいおうえん)」と称され、白砂と苔、巨岩の枯山水です。
見事!
しばし見とれてました。
左奥には、織田信長の供養塔です。
ここは、襖絵がスゴイです。
スゴイのを紹介。
まずは「雲竜図」 海北友松作 桃山時代 重要文化財。
圧巻です。
竹林七賢図。
こちらは納骨堂。
写ってませんが、納骨堂の右には「安国寺恵瓊のお墓」があります。
それでは、法堂へと進みます。
本尊釈迦如来坐像です。
そして、そして、そして、上を見上げると・・・。
ドッヒャーーーー!!!の迫力です。
お見事!!
とにかく凄いです。
建仁寺建立以来、天井に描かれた記録はありません。
小泉さんが初めてです。
建仁寺、堪能です。
それでは、依頼をしておきました御朱印帳を帰りに受け取りました。
イヤぁ~、感動しました。
続く・・・。