もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その7 八坂神社

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8 安井金比羅宮を後にして、最後は祇園と言えば八坂神社へ向かいます。

安井金比羅宮の近くにこんなところがあります。

崇徳天皇と言うお方は、よくお名前を聞きます。

先ほどお参りした安井金比羅宮の才神でもあられます。

保元の乱で敗れ、讃岐に流され、怨念から妖怪となり、様々な災いをもたらしたと言われてます。

「崇徳天皇」の画像検索結果

「崇徳天皇」の画像検索結果

人通りの少ないところにあるのでちょっと怖いですが、気を取り直して八坂神社へ。

さすがにたくさんの人がどんどん参拝に来られています。

外国人の方がとても多いです。

それでは、本殿で様々なことを祈願。

ちょっと厚かましい・・・。

さすが、さい銭箱がデカい。

どこからでも入れられます。

お詣りをしてから、御朱印を頂戴しました。

そして、交通安全のお守りです。

それから、本殿の隣にある「美御前社 うつくしごぜんしゃ」へ立ち寄りました。

こちらは、美人・美貌の神様という事で、女性が必死にお詣りされています。

私は、それを見ているだけ・・・。

  

  

そして、この美容水が肝心。

ちょっと肌につけると「身も心も美しく」なるとか・・・。

ということで、あっちこっちまわってきました。

お昼ごはんは、「殿」でラーメン。

この赤さにはいつも驚きますが見た目ほど辛くはありません。

そして、「りらくる」でもみほぐし90分コース。

アァーーーー、極楽極楽。

 

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その6 安井金比羅宮

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8 六道珍皇寺を後にし、ぼちぼち帰り道。

駐車場方面へと進む途中にある「安井金比羅宮」にお詣りしました。

ここは、この辺りに来た時には、必ずお詣りをしています。

ここのいわれは・・・。

 

御祭神

源頼政公 みなもとのよりまさ 崇徳天皇 すとくてんのう 大物主神 おおものぬしのかみ
            

御由緒

第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、

紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。


第75代崇徳天皇(すとくてんのう) (在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、

久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。

崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、

阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。

治承元年(1177年)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にお籠りされた時に、

崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。

このことは直ちに後白河法皇(ごしらかわほうおう)に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が

当宮の起こりといわれています。

光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、

元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、

その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、

源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。


明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。    

    
    
    
            

御神徳(御利益)

あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ

主祭神の崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、

当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。

また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、

人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。

男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。

良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。

更にお二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただけますのでご安心を。

 

というようなことで、ここには、「悪いことと縁を切りたい。」「よいご縁を結びたい。」

そんな願いを持たれた方が多く参拝されています。

ここが、縁を切る、結ぶを祈願するところです。

作法はこちら。(必ず通り抜けなくても、貼っておいてもOK)

縁切り縁結び碑(いし)

縁切り縁結び碑(いし) 画像    

    

高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、

中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。

「○○君と幸せに結婚できますように」という可愛いらしいお願い事から、

「夫と浮気相手との縁を切って下さい」といった事まで、

皆様の様々な願いが書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、

碑が見えないほどになっています。

御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。

次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、

「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。

これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。

そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。

なお御本殿への御参拝、「縁切り縁結び碑」での御祈願は終日可能です。    

             

御祈願の作法

1.まず御本殿に御参拝下さい。

2.次に「形代」(身代わりのおふだ)に願い事を書きます

形代は碑の左側の台にご用意してあります。

100円以上のお志を賽銭箱にお納めの上お取りください。

3.形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へくぐる

説明画像

4.同じく形代を持って願い事を念じながら碑の裏から表へくぐる

説明画像

5.最後に形代を碑に貼ります

ということですので、まずは本殿へ。

 

それから、身代わりおふだを記入。

「病気と縁を切ります。」と・・・。

これは、神頼みと言うよりも、自身の生活改善が一番なんですが・・・。

と、毎回同じことを書いてます・・・。

それにしても、大勢の方が、特に女性が必死に祈願されていました。

それでは、御朱印を頂戴します。

続いては、最後の祇園さんへ。

続く・・・。

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その5 六道珍皇寺

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8  六波羅蜜寺を後にして、向かった先は「六道珍皇寺」

ここは、以前から大いに興味がありました。

ここには、不思議な伝説があります。

ホームページからです。

まずは、小野篁(おのの たかむら)という平安時代の役人がいました。

小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。

嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られる。

文章生より東宮学士などを経て閣僚級である参議という高位にまでなった文武両道に優れた人物であったが、

不羈な性格で、「野狂」ともいわれ奇行が多く、遣唐副使にも任じられたが、大使の藤原常嗣と争い、

嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある。

さて、この篁が凄いことを・・・。

それが・・・。

閻魔王宮の役人

篁堂に安置する衣冠束帯姿の 小野篁立像(江戸時代)

なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。

かかる伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等にもみえることより

平安末期頃には篁が、閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説がすでに語りつたえられていたことがうかがえる。

こうした篁の冥官説は、室町時代にはほぼ定着した。                        

今なお、本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、

近年旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。

そばには篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠がある。

ということで、大変興味深いのであります。

ちなみに1/11からこんなことが開催されています。

興味津々に境内へ。

ここは、参拝は自由です。

こちらの祠。

右側に篁の木造があります。

格子越しにのぞき込みます。

そして、左側には閻魔様がおられます。

閻魔様はともかくとして、一番気になるのがあの世とつながっている井戸。

それは、本堂の右手から、のぞき込めるようになってます。

どれどれ・・・。

庭があります。

その奥です。

これか・・・。

近付いて、中をのぞいてみたいなぁ~。

しかし、行けません。

 

それでは、お詣りを・・・。

本堂は障子が締まっていて、このままお詣りをしました。

すると、たまたまですがご住職さんが出てこられたので、御朱印は?と尋ねました。

どうぞ中へお入りください。

となり、本堂内へ。

そこでは、授与品などもあり、御朱印を頂戴しました。

やはり京都は歴史があります。

そして、不思議なことがあります。

だから興味深い。

本当に小野篁は、冥土と行き来していたのかなぁ。

閻魔さんに仕えていたのかなぁ。

まぁ、1000年以上も前の話だしなぁ。

と、思いながら、次へ・・・。

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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