主人公のマーちゃんが、障碍者の兄のイーヨーの運動(その理由が彼の性的衝動を抑えるためという、みもふたもないものなのですが)のために、父が所属しているスポーツクラブへ水泳の練習に連れて行きます。
そこで知り合った水泳選手の若者との一連の事件を描いています。
どこまでが実際に作者の家族のまわりでおきた事なのかはわかりませんが、にわかには信じがたいことの連続ではっきりいって読むのがけっこうつらいです。
作品内で、この若者は明確な犯罪を二回(作家の友人の作曲家に対する傷害(ろっ骨を三本骨折)とマーちゃんに対するセクハラと婦女暴行未遂)も犯しながら、警察沙汰にならずにスポーツクラブの出入り禁止になるだけでうやむやにされているのは、作者も含めてここに描かれているのが奇妙に歪んだ世界だというのが率直な感想です。
しかも、この若者は、以前に男性中学教師と、彼と愛人関係にあった女性(しかも若者のすごく年上の婚約者)の死に関係があったことがほのめかされています
さらに、この若者は、多額の女性の死亡保険金(それでポルシェを買ったようです)を受け取り、現在は中学教師の妻と同棲中なようなのです。
もっとも、いくら父親が著名な作家だからとはいえ、障碍者のイーヨーが民間のスポーツクラブに出入りできるのは、よほど特殊な人たちで構成されるクラブなのでしょう。
私は、この十年間にいろいろなスポーツクラブに入っていますが、残念ながら障碍者の会員の方は一度も見たことがありません。
営利を目的とする普通の民間のスポーツクラブでは、障碍者の人たちも利用できるような施設や人員の配置は難しいでしょうし、他の会員たちの理解を得ることも困難でしょう。
一方で、公営のスポーツ施設(特にプール)では、障碍者の子どもたち(といっても多くの場合は成人しているようですが)を連れた親たちの姿を良く見かけました。
おそらく、障碍者の運動不足による肥満防止のために、水泳は有効だからだと思われます。
そういった意味でも、この小説で描かれた世界は、特権的な立場の作家とその障碍者の息子といった、非常に特殊な状況の作品ととらえられてしまう危険があり、それに対して作者が無邪気なまでに無頓着なのには驚かされまず。