先ほどの記事(歴史模擬授業第15回 鎌倉時代 ②-3)の続きです。
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「では、最後の鎌倉時代の人々の生活や文化について行います。」
「わー、また平安時代のようにいっぱい覚えなきゃいけないのかなぁ。」
「ううん。今回はそうでもないよ。」
「え?そうなの?」
「なんでかっていったら、平安時代は貴族文化がやっと花開いた時期で、代表的な作品が多いんだけど、鎌倉時代ってのは、今までと違った新しい身分が政権を取った時代でしょ。」
「天皇・貴族たちにかわって、将軍・御家人たちの武士たちだったよね。」
「そうそう。だから、国造りに精いっぱいなので、文化はそこまで花開いたわけではないの。
でもだからって文化がないわけでもないし、今までに残る素晴らしい文化財も多くあるわ。」
「文化はすぐには育たないんですね。」
「まずは、武士たちの生活を見ていきましょう。武士たちは、戦いが仕事ではあるのだけど、普段は自分の領地に住み、武芸の訓練をし、下人を使って耕作をさせ、戦いがあれば出陣する・・という生活をしていたの。
武士たちが住んでいた住居は、武家造りと呼ばれる屋敷で、貴族の寝殿造の邸宅とは違って、質素なものだったそうよ。
あと、武芸の訓練として、犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)・流鏑馬(やぶさめ)があったの。
これは、全部、何かを的にして、それを馬に乗りながら矢を射るというもの。的が犬だったら犬追物・笠(帽子)だったら笠懸(かさがけ)、板だったら流鏑馬(やぶさめ)だと思ってもよいわ。下の図も参考にしてみて。
(ただ、作者が適当に描いた絵なので、若干史実に忠実ではないのはご勘弁を・・。)」
「馬に乗りながら、的を射るなんて難しいだろうな。でも、戦争では必要な技術なんだろうね。」
「犬追物は残酷・・・。」
「あと、農民たちの生活はどうだったか。・・・実はすっごく苦しかったの。荘園ごとに地頭がおかれたじゃない。でも、鎌倉以前からいる荘園領主もそのままいて・・地頭と荘園領主の二重支配で苦しんだそうよ。
ただ、この時期に農業は進歩したの。たとえば、馬や牛を使って農業をするようになったので、力仕事が少しは楽になったり、西日本では二毛作(春には米を、秋からは麦や大豆を作るなど、同じ耕作地で1年内で2回別の作物をつくるやり方)が始まったり。」
「そうなんだ。」
「あと、農業が進歩したら農業の生産率もあがるでしょ。そうした生産物などの商品が多くなるから、それを売る場所も定期的に現れるようになったの。
それが、定期市というもので、鎌倉時代では月3回、定期市が行われるようになったらしいわ。」
「色々と、庶民の生活も進歩していったんだね。」
「そうね。では、次は、宗教。今までの仏教って、おもにインテリ貴族たちがたしなむもので、国家全体の平和や豊穣などを願うものが一般的だったの。でも、もうインテリ貴族でなく、力中心の武士たちの時代になったでしょ。
それに、源平の合戦などもあって、戦乱の苦しみも多かった。
それで、国家全体ではなく、個人を救う仏教の宗派ができたの。しかも、武士たちは貴族たちのように時間をかけて勉強するわけではないので(実際には武士たちも勉強もしていますが・・)、小難しい内容よりも、誰にでもわかりやすい教えの方がありがたいわけ。
そこで、新しい仏教の宗派が生まれるの。」
「政権のトップがかわると、色々なものが生まれるんだね。」
「新しい宗派は6つあるんだ。浄土宗・浄土真宗(一向宗)・時宗・日蓮宗(法華宗)・臨済宗・曹洞宗。」
「うわー。これは覚えれるかな・・。」
「言葉だけ覚えると苦痛だよね。覚えたとたんすぐ忘れちゃうし。
なので、簡単にそれぞれ説明するね。
栄西が開いた臨済宗と道元が開いた曹洞宗は肉体的に厳しい修行をするものなの。
座禅って聞いたことがあるかな?
じっと座って、少しでも動くと、バシっとたたかれる、というイメージのもの・・。
あれは、心を「無」にすることで、悟りを開く、というもの。
難しい言葉とか覚えるよりも、まずは、座って心に無にして悟れ!というわけ。(実際に勉強そのものはします)
それで、臨済宗と曹洞宗の違いは、その宗派の支持者が違うことが大きい。
臨済宗は、幕府の上級武士が支持していたんだけど、
対する曹洞宗は権力をきらって、地方武士たちが支持者なの。あと、曹洞宗のお寺である「永平寺」は有名よ。
あと、自分の力で悟りを開くのが中心だった、臨済宗と曹洞宗に対し、
浄土宗・浄土真宗・時宗の3つの浄土宗系は、あることをすれば極楽浄土に行けるよ、という考え方。
浄土宗は、法然が開いた宗派で「南無阿弥陀仏」という念仏をひたすら唱えることで誰でも極楽浄土に行ける、という考え方。
浄土真宗は法然の弟子の親鸞(しんらん)が開いた宗派で、悪いことをしてしまったら二度と極楽浄土に行けないわけではない、自分の犯した罪を自覚すれば、極楽浄土に行けるよ、と言ったの。」
「今、私たちが仏壇の前などで、「南無阿弥陀仏」と言うことはここからつながるのね。」
「え?うちは「南無妙法蓮華経」だよ?」
「「南無阿弥陀仏」だと浄土宗系なんだ。そして「南無妙法蓮華経」は、日蓮宗なのよ。」
「そうだったんだ・・・。」
「日蓮宗の詳しいことはあとでやるね。
では、浄土宗のもう1つである、時宗を行うわ。
時宗は一遍が開いた宗派で、踊り念仏という、念仏を唱えながら、笛や鼓の拍子に合わせながら踊り歩くこと
をしたの。そして念仏を記した算(ふだ)を配り、それを受け取ったものが往生(おうじょう)できるよ、としたの。」
「今の盆踊りやお守りみたいだね。」
「そして、最後に日蓮宗。開いたのは日蓮で、法華経というものが唯一の釈迦の教えと言ったの。」
「ああ、だから、日蓮宗だけ、念仏が違うのね。」
「日蓮宗の支持者は、武士もいたんだけど、商工業者も多かったのが特徴ね。」
「色々と新しい宗派ができたんだね~。」
「うん。では、下にその宗派の簡単なまとめを書いたので確認しておいてね。とくに、浄土真宗(一向宗)は室町~安土桃山時代にまた出てくるので、よく覚えておきましょう。」
「はーい。」
「では、次は、鎌倉時代の作品にいくね。」
「いつもの、文学とか建造物ね。」
「さきほどから何度も言うように、鎌倉時代になって、政治の中心は武士になった。当然、だから文化も武士中心になっていくんだけど、貴族がほろんだわけではないから、ちらほら貴族の文化も入り込んでくるのよ。
ただ、「鎌倉時代の文化の特徴は?」と聞かれたら、武士の文化のほうを中心に考えればいいわ。
武士というのは、戦争が仕事、ということは力強い。そして、貴族のようなゴテゴテした飾りよりも、質素なものを好む・・、ということで、鎌倉時代の文化は、素朴で力強い武家文化、と言われることがおおいわ。」
「今までと全然違うのね。」
「とくに彫刻とか見ると、とくにわかるの。前、私は仏像展に行ったんだけど、同じ仏教の神様を彫刻でも、筋肉の付き方が全然違う!鎌倉時代のものは、筋肉むきむきのむきっむき!
逆に、平安時代までのものって、ひょろっとしていたり、若干メタボっていうものも多かったり。(笑)(もちろん全部が全部、そうではないんですが・・。)」
「そうなんだ。比べると面白いね。武士たちはかなりマッチョな人たちもいたのかなー。」
「その鎌倉時代の代表的な彫刻が、運慶・快慶がつくった金剛力士像。」
「あ、それ、みたことがある!東大寺に行ったときにみた!」
「そうそう、それよ。東大寺に入る前に大きな門があったでしょ。その左右に置かれている2つの仏像がそれよ。
上手に描けなかったけど、一応、私が描いてみた金剛力士像も載せてみるね。」
「う・・、力強さがない・・。」
「画力の限界が・・・。まだまだ絵の勉強はしなきゃいけないわねぇ。でも、運慶・快慶さんのダイナミックさは本当にすばらしいわ。あこがれ!」
「あと、その金剛力士像がいる門を、東大寺南大門というの。これも、鎌倉時代を代表する建造物よ。
東大寺は奈良時代にできたものだけど、東大寺南大門は鎌倉時代のものなので気をつけてね!」
「1つの敷地も、長い時間をかけて、いろいろな建造物が建てられていって、いろいろな時代がくみあわさって1つの唯一の空間ができあがるんだね。」
「あと、有名な建物に、鎌倉にある円覚寺舎利殿があります。
舎利殿とは仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するお堂で、この円覚寺の舎利殿は禅宗建築様式の代表的なもので国宝よ。(この舎利殿は鎌倉時代でなく室町時代の建築物ということが明らかになっていますが、鎌倉時代のときに習うものなので、こちらで紹介させていただきます。)」
「へー。」
「円覚寺舎利殿は、愛知県の高校入試ではほとんど出ないんだけど、私立中入試ではときどきでるので注意してね。」
「はーい。」
「あと、文学。軍記物という合戦を主として展開する物語がつくられる。
代表的なものが「平家物語」と「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき・げんぺいせいすいき)」。
「平家物語」は平安時代末期に隆盛をほこった平氏が源平合戦で滅亡するまでを描いたもので、
「源平生盛衰記」は、平清盛の栄華を中心に平氏・源氏の栄華と衰退を描いたもので、
源頼朝の挙兵や源義経の最期に詳しいの。」
「すこしまえにおこった源平合戦を描いたんだね。」
「そうね。今から話すことは1つの説として聞いてほしんだけど、このような作品が書かれるようになった背景には日本のある考え方があるの。悲惨な死に方をした人たちを成仏させるためには、その人たちの物語を書く、こという考え方がある。だから、滅亡という悲惨な死に方をした平家、兄に裏切られ殺された源義経を、美しく書くことで、彼らを弔ったという説もあるそうよ。
私は「平家物語」を中2の国語の授業で読んだときにすごく違和感を感じたの。なんで、平家をそこまで美しく描くの?と。でも、この説ですっごく納得いったのよね。そういう考えが、のちに日本人の判官びいき(弱者をひいきする傾向)につながったのか~と勝手に思ったりも・・。」
「へー。」
「あ、でも「平家物語」などがなぜ誕生したのかの説は色々あるから、これは多くある中の1つだからね。
入試で出るのは、「平家物語」が琵琶法師という盲目で琵琶を弾くお坊さんによって語られたことだけかな?
あとはそれぞれの作品の名称。」
「はーい。でも、色んな先生の考え方を聞くのは楽しいよ。私たちの先生って感じがするもん!」
「ありがとう。教科書に書いてあることを基本にはしなきゃいけないけど、どうアレンジするかで、生徒に何を伝えたいかがかわってくるものね。」
「あとは、和歌集。平安時代につづいて勅撰和歌集(天皇が作れ、と命令してつくられた和歌集)は存在してて、朝廷にいる貴族たちがつくった勅撰和歌集が鎌倉時代にもあるの。
それが、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が中心となってまとめた「新古今和歌集」」
「平安時代の「古今和歌集」に「新」がついたんだね。」
「そうね。あと、入試には出ないんだけど、この「新古今和歌集」をまとめた藤原定家が編集したもので、もっとみんなに知られているものがあるの。それは、小倉百人一首という、百人一首の中で最もメジャーなものなの。」
「あ、ぼく、正月によくやるよ!」
「あの百人一首は、藤原定家さんがつくったんだァ。」
「あと、随筆で、吉田兼好(兼好法師)が作った「徒然草」や、鴨長明の「方丈記」があるわ。
この二つはあまり言葉を書かせる問題は出ないんだけど、
「徒然草」が鎌倉時代のもの・・ということがわからないと問題が解けないものもあるので、
この2つの作品及び作者が鎌倉時代のものだということは覚えておいてね。」
「はーい。」
「あとは絵画。
このころの絵画での肖像画(人物画)は、その人物に似せて描こうとした写生的なものが多いの。
そのような肖像画のことを、似絵(にせえ)というわ。
よくみんなが見る源頼朝の肖像画もそれね。(一説には、あの絵は頼朝像ではないという説はありますが、似絵であることにはかわりありません。)」
「はーい。」
「以上ね。文化・生活はこの下にまとめておいたから見ておいてね。」
「長かった・・・。」
「新しい政治体制だったもので、どうしても説明が長くなってしまうのよね。 ではでは起立・礼!」
「ありがとうございました!」
キンコーンカンコーン
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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