歴史模擬授業第24回 条約改正と日清・日露戦争の続きです。詳細はおとといの記事①をご覧ください。
※今回は、戦争や植民地政策について説明するため、当時の戦争の価値観や戦争のメリットも話します。
しかし決して、戦争や植民地について良いことだとは思っていないので、
そのことを念頭において授業を聞いて頂くようおねがいいたします。
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「さて、では日清戦争・下関条約の続きをば。」
「下関条約では、賠償金や領土を日本が手に入れたんだね。」
「そうそう。その手に入れた領土の1つ、遼東半島(リャオトン半島)に対して、ある国が、
「日本は清から領土を取りすぎじゃないか。だから遼東半島だけでも返すべきだ!」と言いだしたの。」
「え?」
「そのように言ってきたのは、ロシア。
ロシアもどんどん南に領土を拡大していこうとしていたの。
記事の一番上の表を見てみてね。
日本が遼東半島を手にしていると、
ロシアの南下に邪魔になるよね・・。」
「うむー。」
「でもロシアだけで、あのように言っても、世間からはロシアのわがままに見えちゃうでしょ。
そこで、ロシアは2つの国を味方につけて、日本に遼東半島の清への返還を求めます。
ロシアの味方になったのが、フランス・ドイツです。
ロシア・フランス・ドイツの三国が、日本の領土獲得について干渉してきたことから、
このことを三国干渉と言います。」
「日本はそれでどうしたの?」
「さすがに、ロシア・フランス・ドイツには勝てないと思い、
彼らの言うとおり、遼東半島を清に返します。」
「日本はそれでロシアに対して怒ったりしなかったの?」
「日本は三国干渉をきっかけに、ロシアに対して敵意を感じるようになった。
それで、いつかロシアとの来るべき戦争にそなえ、軍備の拡張につとめます。」
「次はロシアと対立を始めるんだ。」
「うん。でも、さすがにロシアには勝てないだろうという思いもあったし、
たとえロシアと日本が戦争をしてもヨーロッパの国々はロシアの味方をするんだろうなぁ、と思っていた。」
「そうだよね・・。ロシアもヨーロッパの一員に入るだろうし。
「しかし、このロシアの動きに警戒するヨーロッパの国があり、日本と同盟を組もうとした国が現れる。」
「え?そんな国が?!どの国だろう?」
「それが、ヨーロッパの国々の中でも最も工業化も民主化も進んでる国の1つ、
イギリスが
日本と手を組もう!と言ってきたの。」
「え?イギリスが?!」
「そう、それで、1902年に日本とイギリスは同盟を結びます。
それを日英同盟と言います。」
「ほえー。」
「同盟とは(ほぼ)対等関係の国々が、
共通の目的のために同じ行動をとることを約束した約束のことなの。」
「え?ということは、イギリスは日本をパートナーに選んだってことだよね。」
「つまり、日本がロシアと戦うとなれば、イギリスは日本の敵にはならない、ということかな?」
「うん。簡単にいえば、そういうことになるよね。
(例外もありますが・・、ここでは例外は考えなくて良いです。)」
「ほえー。」
「そして、だんだんと日本とロシアが対立を深め、ついに1904年にロシアと日本で戦争がおきます。
それが、日露戦争。露はロシアを指します。」
「日本は負けたのかな?」
「日露戦争の中の1つに、
東郷平八郎という人が活躍した日本海海戦では日本は勝利したりもしたけど、
決定的な戦争が終わらない。日本はだんだんと財政面で苦しくなっていく。」
「なかなか終わらなかったんだ。」
「そんなときに、アメリカが講和会議を開こうと言います。」
「あれ?アメリカがでてきた!」
「アメリカは日本に好意的であったんだよね。
当時のアメリカの大統領は、セオドア=ルーズベルトという人。
アメリカのポーツマスという都市で日本とロシアが条約を結びます。
その条約をポーツマス条約と言います。
そのときの日本の全権は小村寿太郎(こむらじゅたろう)、ロシアの全権はウィッテ。」
「アメリカのポーツマス市で結んだからポーツマス条約というのね。」
「うん、そうだね。
このポーツマス条約で、
ロシアは、日本が韓国(朝鮮)内で政治・軍事・経済上の優越権を持つことを
認めることになりました。」
「優越権?」
「今回の優越権というのは、
ロシアより日本の方が、政治・軍事・経済の点で韓国に対して口出しできるということです。
(このことが良いことではありません)」
「そうなんだ・・。」
「あと、ロシアは南満州鉄道の権利を日本にゆずるとしたの。」
「え?鉄道?」
「鉄道の路線を得るのは大きいのよ。ほら、鉄道って、何を運べる?」
「人。」
「うん、人もそうだよね。あとは、何かな?手では運べないもの・・。」
「重いもの・・・。あ、武器とか?」
「そういうこと。つまり、南満州鉄道というのは大陸にあるでしょ。
そこで日本が武器を運ぶ手段を手に入れた、というのは大きいことでしょう。」
「たしかに・・・。」
「他にも、ロシアは樺太の南半分を日本に与えるなどもした。」
「そうなんだ・・。」
「しかし、日露戦争では日本が圧倒的な勝利ではなかったから、
賠償金がもらえませんでした。」
「え?そうなの?」
「うん。当時は勝てば賠償金がもらえるから、ということを見越してお金を使っていたし、
増税がつらくてもがまんしていた人も多かった。
でも、終わったら賠償金はもらえない、、
ということで、ポーツマス条約の内容を知って、日本国内で暴動がおきたりもしたそうよ。」
「たしかに、わかる気はする。(戦争はだめだけど)」
「そして、このポーツマス条約で韓国の支配権を得た日本は、韓国を保護国とした。
そして1910年に韓国を日本の領土としてしまいます。
そのことを韓国併合と言います。(この行為は現代では許されることではありません。)」
「・・・。」
「そして、その次の年、
1911年に日本はアメリカとの間で、関税自主権を取り戻すことに成功する。
そのときの日本の外務大臣は小村寿太郎。」
「あ、さっき、ポーツマス条約のときの日本全権の人だ。」
「つまり、これで、日本は不平等条約が改正されたってことなんだね。」
「そういうことなの。
条約改正を成功し、またその間に2つの戦争を行い、だんだんと世界に進出していく日本。
このあと、日本は世界的な動きに入り込んでいくのです。
そこで日本はだんだんと暴走をしていって、世界から孤立していくのです。」
「ほえー。」
「では、今日はここまで。話の続きは、大正時代で。
戦争は条約とセットで覚え、その条約の内容は良く覚えましょう。
また、
治外法権の撤廃→日清戦争(&下関条約)→三国干渉→日露戦争(&ポーツマス条約)
→韓国併合→関税自主権の回復
という順番を聞かれるもの問題もよく出るから覚えましょう。
年号で覚えても良いけど、時間の流れで考えても良いでしょう。
ちなみに、日清戦争の10年後に日露戦争はおきています。
この時代は、習いたては難しいけど、入試での出題パターンは似ているので、
しっかり覚えてしまえば、得点源になるので、がんばって。」
「はい!」
「じゃあ、次回は、明治時代の政治の動きを通し、産業・文化を見ていきましょう。」
「はい。」
「では。これで終わります。起立・礼!」
ーーかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。