みなさま、本日もありがとうございます。
今日からやっと、歴史模擬授業シリーズの別バージョン「れくす先生の歴史授業」を始めることができます!
「やる!やる!」と言いながら、なかなか始められなくて、失礼いたしました。
可能な限り、毎週更新したいですが、体調と向き合いながら進めて行けたら良いな、と思います。
今回は、授業最初のはじめのあいさつです。
次回から勉強内容に入っていく形です。
1:このシリーズについて
このシリーズは、れくす先生という架空の塾講師の先生が、
1人の生徒(たぬしゅるちゃん)に向けて授業をしている形式です。
ただ、たぬしゅるちゃんは、ほとんどしゃべりません。
その理由は、
たぬしゅるちゃんという生徒さんは、
学校の授業で、自分の意見を言う、みんなで話し合いの授業がうまく合わなくて、それで
授業をひたすら聞く授業を受けたい、と思って、れくす先生の塾の門をたたいた、という設定だからです。
今の学校は、みんなで話し合い、とか、ワークショップ形式、を良しとする傾向があります。
「先生が一方的に話す座学」は「つまらない」「生徒が自ら考える力を奪う悪いもの」と
言う人もいます。
たしかに、自分が塾講師をバリバリやっていたとき、先生が一方的に話す授業だと
「つまらない」から、寝てしまう子や話し出す子はいました。
だから、「じゃあ、これの答えは?」と生徒さんを当てたり、意見を自由に言い合うこともありました。
「勉強をしたくない」という気持ちがある子
もしくは
「勉強をしたい!」というやる気がある上に、みんなとワイワイできることが楽しいと感じる子なら
当てられる授業、話し合う授業の方が伸びると思います。
しかし、中には「発言ありきの授業がツライ」という子もいるはずなんです。
もちろん、社会に出て、まったくの「発言」をしないことは難しいし、発言をできるにこしたことはないです。
でも、「授業の内容を理解したい」というとき、「発言する」という機会がある、というだけで
頭の中は不安感でいっぱいになり、外ではわからない脳内の小さなパニックを起こしていて、
理解できるはずのものも理解できない子もいるんです。
その子は、授業で「理解する」ことに専念しないと頭に入らない、一点集中タイプ。
「発言する」はまた別のタスクになります。
「理解する」「発言する」のダブルタスク(マルチタスク)の授業だと、
ただ授業を受けただけで終わり、のことも。
私が実際にそういうタイプで
当てられる授業だと
「こういうことを発言したら、先生に怒られるのでは?クラスメイトに馬鹿にされるのでは?」という
恐怖感や不安感につつまれ、授業が入ってこないんです。
でも、塾(予備校)に通うようになったとき、その塾では
ずっと先生が一方的に話している授業を聞く形でした。それで、やっと「理解できた」んです。
大学の講義も先生が一方的に話す講義、と、しっかり発言しないといけない講義(ゼミ)と分かれていたので
かなり楽でした。
「発言」が苦痛なのでなく、「マルチタスクが苦手」だったんだな、と。
なので、今回のシリーズは、「先生がほぼ一方的に話す授業」タイプにしました。
しかも、先生は「丁寧語」でよそよそしい話し方で。
生徒さんと対話するときは、もう少しラフな話し方をしますが、
ずっと話す、ましてや、文字で読むなら、丁寧語の方が読みやすいかな?と。
しかも、細かいことを話したりしてます。自分が小学生・中学生のときに「あれ?」と思ったことが多々あって
でも「そんなことを考えていると、小学校の先生が私を「極悪人」に仕立て上げて私を授業でつるし上げするようなことが
中学でもおこるかもしれない。だから、考えてはダメなんだ!とてもキケン!」
と無理矢理、自分の疑問を消していました。
でも、「あのとき、その質問に答えてくれる先生がいたらなぁ・・・」と思うことがあります。
それを実現して、記事を書いていったら、とんでもない文字数になってしまうんですが、
まあ、このブログは「楽に、勉強してテストで点数をとる」というコンセプトではなく
「勉強をしたくても、どうしていいかわからない方のために」のコンセプトなので
長い記事でも大丈夫かな?と。
昔の私のように、暗くて寒い精神世界で勉強というわずかな明かりを求めて、もがきながら生きている生徒さんは
いるはず・・・と。
可能な限り、短くて、わかりやすい言葉選びをしたいと思いますが・・・。
10年ほど前に作った「歴史模擬授業」シリーズは対話形式なので、お好みが分かれるかな?と思います。
どちらも私にとっては大切な記事なので、10年前のものは残しつつ、新しいシリーズも作っていきますね。
・・・ということで、上の画像の通り、
「れくす先生が、たぬしゅるちゃんに授業をしている」っという設定で書いていますので
よろしくお願いします。
では、今から、れくす先生の授業にうつります。
2:れくす先生の授業第1回 導入~歴史を勉強する意義とは?~
ではでは、今から授業を始めます。
今回は導入だけです。
さて「歴史を勉強するのは何のため?」だと思いますか?
「歴史を勉強する」というのは、テストで点数をとるため、と思う人もいます。
そういう一面もありますが、それがすべてではありません。
テストはあくまで、理解したか?を確認するためのツールです。
テストの得点という数字を出すのは、自分の理解度を数値化するためとも言えます。
点数で自分の今のレベルを知ることで、今後、どうすればいいか?の具体的努力がはっきりします。
ここでは私れくす、なりの、歴史を勉強する理由を話したいと思います。
歴史の授業において、
「こんなすごい人物がいたんだよ!だから、君もその歴史人物のようになろうよ!」という理想像を提示され、
その人物の人格を模倣をさせたり、
また、
「この人物はすごい悪い人だったから、君はこのような人物になってはいけないよ!」と戒めるのが、
「歴史を教えること」と思う方もいます。
もちろん、憧れの歴史人物ができて、その人物のようになりたい!と自主的に思って人生をがんばることは良いことです。
歴史人物を反面教師として、自分は「このような人にならないようにしよう」と考えて行動することも、
「歴史に学ぶ」の1つの側面ではあります。
しかし、ここで注意したいのは、その考えはあくまで「自主的」に思ったとき限定です。
でも、このような形の、つまり、憧れの人物を自分の中で設定し、
己を高めるための人物は、歴史人物でなく、マンガやアニメのキャラとか、実在する人間(親とか先輩とか)でも良いわけです。
または、歴史人物を模倣する人物・反面教師としての人物と授業でしたいなら
それは社会科「歴史」でなく「道徳」や「学活」ですべき案件だと私は思っています。
じゃあ、公教育で歴史を勉強するのはどうしてでしょう?
もしすべての人間が不老不死で全員が同じ性格で、
世界は常に変わらない状況なら、歴史を学ぶ、歴史を知る必要はないかもしれません。
でも、人間は寿命があります。世界も常に変化します。
失敗1つが命取りのことだってあります。場合によっては、多くの人が一気に亡くなることだってあるのです。
「失敗をし、そこから、初めて成功がうまれる」という考えがあります。
それは正しい、でも、その「失敗」は必ずしも「実体験」でなければいけないわけではない、と思います。
人間なので、「失敗=死」の可能性もおおいにあります。
それに失敗も1つ、2つでなくたくさんあるので、死の危険がなくても、
すべての失敗をするまでの間に寿命を迎えてしまいますし、性格によって失敗するパターンも違ってきます。
そのため、「本を読む(教科書を読む)」「授業を受ける」という安全な場で、
様々な性格や環境下におかれた人々がした「失敗」そして「成功」を学ぶことで、
自分が、人類として、どうしていくと良いのか?を考えることができます。
また、失敗でなく成功例。発明・発見の話もあります。
でも、A→B→Cという道筋を知っていたら、新たにC→Dという、新しいDを発見できるけれど、
そのA→B→Cまでの道筋をつくるのに、
1人では無理、どんな天才でもA、B、Cのどれか1つを成し遂げるので寿命を迎えてしまいます。
そして、そのAやB、そしてC、Dを発見、成し遂げることができるのは100年に1人現れるか、現れないか?
というレベルのものだったりもします。
なので、歴史を勉強するというのは、自分がゴールなのでなく、
未来の誰かに伝えてくためのタイムカプセルみたいな側面もあるのかもしれません。
・・・・ということから、私なりの、歴史を勉強する理由は
「自分が生きる上で経験値を増やすことは必須だが、その経験は実体験以外でも必要。
それに歴史は最適だ!」です。
経験値を増やせば増やすほど、「自分はどう生きていくか?」を自分で決められる確立は高くなる、と。
では、これから、一緒に歴史を見ていきましょう。
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今回は以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
次回予告:第2回 歴史を勉強するために先に知る必要がある事項「年号・西暦・世紀・時代」