社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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強迫性障害からの立ち直り

2014年09月08日 01時50分24秒 | 私自身のヒストリー

なかなか更新ができなくてすみません。

 

去年の冬ごろから強迫性障害を患い、今年の1月くらいからだんだんと悪化し、

春の4回目の妊娠をきっかけに症状による行動が加速し、流産後少しは緩和したものの

7月中旬に悪化しました。

この時期は、ご飯も食べられない、寝られない日々が続き、

一日中暗い表情をし、

強迫観念という「論理的にはおかしいとは思うけど止められない行動や考え」が抑えられず、

だんだんと死にたくなって・・・、という状態になっていました。

家にいるとどんどんと怖い考えが浮かび、浮かんだら最後、もうそればかり考えてしまうことが

辛くなり、そのうち家そのものが怖くなり、家に帰れなくなってしまいました。

娘と一緒に外に出かけたら最後、家に帰ろうとすると冷や汗が出て、どうしても足が動かないんです。

家に帰ろう!と決意して3時間くらいしないと家に帰れないんです。

そして、電車からホームに降りると、「電車が来たときにホームに飛び込んだら楽になれるかな?」という

自殺したい衝動にかられ、しかし、一緒にいる娘を見て、なんとか思いとどまる・・、その毎日でした。

さすがに「これはやばい!」と思いました。

「私自身が死ぬのはともかく、残された娘はどうなる?」と。

 

しかし、もう家に帰れない・・。

「お母さん助けて・・。」この言葉が頭に浮かびました。

 

子供が生まれてから、

「自分は母親になったのだから、物理的にも精神的にも親に頼ってはいけない。」

「良い母親になるため、苦手な(というか嫌いな)食事作りも頑張らなければならない。」

「子供を危険にさらさないように、危ないものは除去し、部屋もいつもキレイにしなければならない。」

という気持ちがありました。

だから、とても仲良しで尊敬している実母に無意識に距離を作っていました。

「30も過ぎて、母親に自分の悩みを相談するなんていけない。自分で解決しなきゃ・・。」と。

 

でも、もう限界でした。

「死ぬ前に、母親にだけはちゃんと自分の気持ちを伝えよう。そして娘を託そう。」と。

そこで意を決して、実母に、自分のすべての気持ちを打ち明けました。

 

突き放されるかと思いました。

 

しかし、実母は、私のすべてを受け入れてくれました。

そして、これからどうすればいいか?を話し合いました。

 

「電池の液漏れや化学薬品、虫、そして家そのものが怖い、というのは、

そのものが本当に怖いのではなく、何かに対する不満や不安が根底にあるのだと思う。

だから、その根底にあるものは・・。」

と実母は言ってくれました。

 

私は、「私のことを見捨てない人が1人だけいたんだ。」と嬉しくなりました。

 

そう、私が一番恐れていたのは「孤独になること」でした。

 

「良い母親にならなければ、娘や旦那に見捨てられる」

「娘によって良い母親でなければ、実母に見捨てられる」

「実母の方が順当にいくと、私より早くこの世を去る。そのときに、私は娘と旦那に捨てられ1人ぼっちだ・・。」と。

 

こう思うことには、それぞれのある経験があります。

強迫性障害が発症する前に、

過去のわだかまりでどうしても会いたくない人達に、実母のために会わなきゃいけませんでした。

本当はどうしてもその人達に会いたくなかった・・。でも、そんなワガママ言ったら、実母が困るのはわかる・・。

だから我慢しなきゃ!相手は私に会うのが平気みたいだから、過去のことでウジウジしているのは私だけ・・。

ああ、私はなんて汚く弱い心の持ち主なんだ!と。

 

 

娘に関しては、私と2人きりのときは仲良くしているのに、

旦那や実母がいると、そちらにべったり。

最初は、私に抱っこさせない、から始まり、だんだんとエスカレートし、

私にご飯を作らせない、お風呂の掃除をさせない、食器洗いをさせない・・、と。

私がやろうとすると、大泣き・・。

実家で実母がいなくなって私と2人きりだと、ずっと大泣きで、

私と全然いたがらない・・。

そういう状態でした。

 

そういう状況で、

「私は家事が苦手(とくに炊事)だから、娘は私より旦那にさせたいのでは?」

という疑問から始まり、最後には

「娘は私のことが嫌いなんだ」と思いました。

2人でいるときの娘の笑顔が偽物に見え、娘に不信感をもってしまいました。

 

 

話は7月に戻ります。

私の強迫性障害の症状を受け入れてくれた実母に対しては、

「この人を信じていいんだ!」と思った瞬間、実母に対してのわだかまりは一瞬で消えました。

そして、実母が本気で娘(実母から見たら孫)に対して、

「お母さんに対してだけ、何でも禁止したり、厳しい態度をとるんじゃない!」

「すぐばーちゃんに抱っこはダメ!」

という形に変わってくれたんです。

 

それまでは、娘が私が抱いているのに泣いて「ばーちゃん抱っこ!」と言うと、

「私でないと泣き止まないから・・。」と言って、娘を抱いていたばーちゃん。

でも、私はそれが嫌でした。

でも、そういう状態にさせたのは

「私が良い母親じゃないから」「料理が苦手で掃除も毎日こまめにできないのは良い母親じゃないので・・」

と、自分の努力が足りない、と思ってました。

 

でも、実母にその気持ちを正直に話したら、

実母は、「娘(私のこと)が一歩引いた育児をしている」ことに危機感を感じたようです。

それで、「あなたが一番従うべき人物は母親だ!」と孫に示してくれたのです。

 

実母が本気の態度を示してくれたので、私は目覚めました。

 

「母が、本気で私に娘を託そうとしている!」と。

そうすると、「自分がリーダーなんだ!」というリーダーシップの考えが浮かんできました。

「娘を1人前の人間に育てるのは、この私だ!私なんて・・なんて言っている場合じゃない!」と。

 

そういう状態が1か月ほど続いたら、

いつのまにか、娘と私はとても仲良くなり、

娘が私に辛く当たっても、別に平気になりました。

今までは、「ドラマやマンガで描かれるような母親」になろうとしていたんです。

でも、土台無理なんです。

なぜなら、中学のときに一番苦手だった科目が「体育」と「家庭科」、

高校のときなんて女子全員が受かっていた食物検定4級に私だけ落ちる始末・・。

先生にも、「女子で落ちることはめったにないのに・・。」と言われました。

だから、「体育」と「家庭科」の延長線上にある「食事」「掃除」「公園遊び」は

私は苦手なんです。

もうこれは、どんなに努力しても、一定レベル以上は無理!

内申「3」以上にはなれない。いやペーパーテストがないのだから、技術面だけ見たら「2」か「1」の自分。

 

逆に得意だった科目は「英語」「音楽」「美術」。そして抜群に好きな科目は「社会」

そして全然努力しなくても平気で内申「5」をとれたのは「国語」。

この5つの科目に共通するものは、「他人の価値観を理解する」。

日本語の文法と英語の文法は全然違う。それらをそれぞれ理解することってなかなかできないそうです。

社会も、たとえば歴史人物の当時の社会情勢を理解できない(つまり当時の価値観を理解する必要がある)と、

高得点はとれません。ましてや先生として魅力的な授業をすることはできません。

国語も現代文でテーマが何か?ということで困ったことはあまりありません。

テーマがわかる、ということは、他人を理解することです。

 

つまり、私が得意なことは「他人を理解すること」なんです。

 

しかし、2回の流産と育児の間違った努力による失敗の積み重ね、

さらにある人のダメ出し、他の奥さんを擁護するような言動により、

自分に自信がなくなった私は、

「自分の考えることはすべて間違っている」と勘違いしていました。

「私ほど、洞察力があるやつは少ない!」と気がついたら、

ある人物がとんでもなく育児の才能がないことがわかりました。

「私の方が育児の才能がある。料理とか掃除とか目に見え、すぐ結果が出る育児でなく、

子供の心を理解し、1人の人間として育てる、そういう目に見えなく結果が10年20年後に出る育児、という

意味の育児の才能があるんだ!」と。

 

 

 

 

だんだんと自分に自信が取り戻してきたころ、たまたま本屋で見つけた強迫性障害の本で、

「人間には、自分の身を守るために危険なものを排除する本能が備わっている。

なので、戦争状態のときは、その本能が強い人物が生き残れる。

しかし、平和な世界では、その攻撃性が使われることがなく、

本来危ないものでないものが危ないものだと脳が勘違いして、

危ないものをすべて排除しようと、あらゆるものを捨てたり、必要以上に手洗いしてしまう、

などの強迫行為をしてしまう。」と書いてあるのを発見しました。

 

そのとき、「私はその本能が強いのかも?じゃあ、その本能を逆手にとってみようか?」と。

 

「おそらく、その本能は、生き残るために、何をすべきか?を瞬時に判断し、その生き残るために目的のための

努力を惜しまない本能なんだろう。ということは、「生き残る」目的を、たとえば「何かを成し遂げる」目的に

替えてみたらどうか?」と。

さらに、「よく考えたら、私は本気になったときは必ず成功した。志望校に定めた学校は、

絶対に受かってた。たとえ、模試でE判定が出た学校でもだ!

最近は、それはラッキーなだけだったと思ってたが、そうでないかもしれんぞ。

目的達成の努力をする才能が自分にあるんだ。」と。

「強迫性障害は今回でおそらく3回目。1回目は1歳半、2回目は6歳、そして今回は30代。

なぜ、7歳から20代にはそれが出なかった?」と考えたら、

その期間には「勉強」と「絵を描く」という時期だったんですよね。

絵画教室に通っていた小学校時代、勉強三昧だった中学~大学時代、その後の受験指導の塾講師。

「絵」も「勉強」も目標があります。

1つの作品を完成させる「絵」、志望校に合格する・試験に合格する「勉強」。

 

これをやっている間は自分には絶対の自信があって、他人が成功しようが失敗しようが全然気にならない。

1人で孤独でも平気、というかむしろ、そっちの方が集中できるから良かったり。

 

思い出すと、娘が生まれ、仕事を辞め、育児に専念してから、どんどん自分に自信がなくなり、

他人に依存するようになり、孤独が怖くなり・・・、強迫性障害になったのでは?と。

 

 

ということで、「よし!マンガ家を目指そう!」という気持ちが出てきました。

「大学4年に、私のポスターを見た事務の人が「マンガ家にならないの?」と言われて以来、

マンガ家になりたい、という気持ちはあった。でも、当時は塾講師に内定していたし、

社会の先生になれたことが嬉しくてしょうがなかった。それで10年間頑張った。

今までは、投稿して落ちることでマンガそのものを嫌いになるのでは?という心配があった。

でも、強迫性障害で誰にも信じられない苦しさ、娘と2人だけの世界に閉じこもることに比べたら、

批判でもなんでも他人と会える方がよっぽどマシだ!」と。

 

今まで、参加するのをためらっていた「同人即売会」にも参加。

参加をためらっていたのは、「オタクの塾講師は解雇される?迫害される?」「オタクの母親は娘は嫌う?」という心配や

「自分が作ったマンガなんて、お金を払ってもらえる価値はない。」という不安感がありました。

でも、

「オタクの何が悪い!それで迫害や嫌うやつはこっちから願い下げだ!」

「お金を払う価値があるか?はお客さんが決めることで、私が決めることではない。

私がすべきことは、お客さんがお金を払ってよかった!と思うマンガを描くことに対し努力することだ!」と。

 

 

それで、8月中旬に即売会に参加。

大好きな「勉強」「歴史(社会)」「絵を描くこと」「マンガ」を織り交ぜました。

即売会は予想以上に充実した気分を持たせてくれました。

 

2か月に1回程度、様々な即売会があるので、毎回申し込んでいます。

その間、「よりよいマンガを描くこと」「マンガのネタ」ばかり考えるようになったので

強迫観念が出るのが少なくなりました。

もう「死にたい」とも思いません。

 

 

強迫性障害は、私にとってはクセみたいなものだと思います。おそらく一生付き合っていかなければいけないでしょう。

でも、それを良い方向に導いて、楽しく生きていけたらいいな、と。

それには「勉強」と「絵やマンガを描くこと」が私には必須です。

そして、「実母が元気な間は、十分に実母を頼ろう!頼れなくなったら、そのときに考えよう」と。

もし、「マンガ家」になったら、小学校でのいじめのときに私の絵を馬鹿にした同級生たちの呪縛から

完全に離れられるような気がします。

「同級生たちは、関東の有名大学に行ったり、一度も流産することなく2人も産んだり、かなり金を設けたりしてる。

でも、自分の芸術的才能をお金にしている人はいない。それを成し遂げたとき、私はやっと小学校の自分を認めてあげられる気がする。」と。

 

 

 

 

 

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