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歴史模擬授業(第16回 室町時代 初期)②-1

2010年10月24日 19時12分34秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業16回目です。室町時代初期です。
(詳細は、もう1つ前の記事をご覧ください)

室町時代は200年以上続いた長い時代で
さらに、内容がもりだくさんなので、
内容ごとに3つに分けたいと思います。
3つの区分は、

初期:建武の新政~南北朝の動乱、

中期:3代将軍足利義満~8代将軍足利義政

後期:応仁の乱(8代将軍義政)~戦国時代


という形にします。中期と後期は時代が被っていますが、
内容的に、中期では義政の時代の文化を、
後期では義政の時代の戦乱(応仁の乱)を、という形にしております。

ではでは、今回は室町幕府初期の授業を始めます。
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キンコーンカンコーン

「さて、今日は室町時代を始めますね~。」

「室町時代かー。」

「この時代は、すーっごく濃ゆい!歴史の動きが激しい。
    さらに、現代日本の生活形態の基礎ができたころだし、
    文化も現代まで続く伝統文化もあったりね。」

「そうなんだ・・・。」

「ではでは、まずは、室町時代の前に、鎌倉幕府の滅亡からいくね。
前回の鎌倉時代で、簡単に説明したけど、もう少し、詳しくみていくわ。」

「はーい。」

「元寇のあとで、御家人たちに鎌倉幕府は十分な恩賞を与えることができなくて、
徳政令とかも出したけど、それも一時的な効果に過ぎなかったよね。
それで、だんだんと鎌倉幕府に不満を持つ武士たちが現れた。」

「そうだったね。」

「そして、ついに、朝廷が幕府を倒すときがきたの。

その中心人物が、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)。
後醍醐天皇は、幕府を倒し天皇中心の政治を取り戻そうとして、
幕府に不満を持つ武士たちに呼びかけて、彼らに兵を挙げさせた。

その中で有名な武士が、楠木正成(くすのきまさしげ)ね。

そして、幕府は、京都に兵を出したんだけど、
御家人の足利尊氏(あしかがたかうじ)という人物は幕府にそむいてね。」

「鎌倉幕府を裏切る御家人たちもあらわれるんだね。」

「うん。そして足利尊氏は、京都の六波羅探題を攻め落とすの。」

「六波羅探題って、鎌倉幕府が設置した朝廷を監視する機関だったね。」

「そう。そして、ついに、新田義貞(にったよしさだ)という人物が、
幕府の本拠地、鎌倉に攻め込み、
1333年、鎌倉幕府は滅んでしまったの。」

「じゃあ、ここからが室町時代の始まりなんだね。」

「うん。(色々と説はあるけれど、一般的にはそうなります。)」

「鎌倉幕府が滅んだから、どうなるかというと・・・。」

「新しい幕府がたつの?」

「ううん。よく考えてごらん。鎌倉幕府を倒したのは・・。」

「後醍醐天皇」

「あ!そっか、天皇だから・・・、平安時代までの朝廷中心の政治形態に戻ろうとするのか!」

「そういうこと!後醍醐天皇は、天皇・公家(貴族)中心の政治をしようとしたの。

その政治ことを、建武の新政というのよ。」

「新しい政治だから、新政っていう用語が使われるのね。」

「そうね。」

「でも、そうしたら、鎌倉時代のときに活躍していた武士たちが不満を持つんじゃ・・・。」

「良い考えだね。そうなのよ。
「建武の新政って・・何、時代錯誤のことしてんの?」とね。
さらに、もらえた恩賞も不平等だったもんだから、
武士の不満は高まること高まること。」


「そうだよね。もう武士中心の政治が当たり前の時代だったもんね。
うまれたときから鎌倉幕府はあったわけだし。」

「それで、ついに、鎌倉幕府を滅ぼすのに手をかした
、さっき出てきた足利尊氏が、
武家政治の再興を目指して、
光明天皇という新しい天皇をたてて、京都を占領していまうの。」

「実力行使に出たんだ。でもそうしたら後醍醐天皇は?」

後醍醐天皇は、逃げるの。吉野という奈良県の山に。
吉野って昔から、天皇たちや時の権力者たちの逃げ場所だったの。
自然の要塞(ようさい)でね。
壬申の乱をおこす直前の天武天皇とか、
(天皇じゃないけど)頼朝に追われた源義経とかも一時的にそこに逃げたりしていたしね。」

「じゃあ、なかなか吉野に逃げられたら、手が出せないのかもね。」

「それで、結局、日本に同時に2人、天皇が存在することになったの。
お互い、俺が正統な天皇なんだ!と主張して。
 
天皇がいる場所が朝廷ということなので、朝廷が2つに分かれたという見かたもできるの

 足利尊氏率いる光明天皇のいる京都の朝廷を北朝
後醍醐天皇のいる吉野(奈良)の朝廷を南朝と言って、
 約60年間、北朝と南朝の争いが続くの。

その時代のことを南北朝時代(南北朝の動乱・南北朝の内乱)と言います。」

「えー!どうしてそうなるの?」

「お互いに言い分があるのよ。

北朝の言い分は、
「天皇の家系図、順番的に、後醍醐天皇が天皇の地位についたのはおかしいから、
順番的に私たちが正式な天皇だろ!」ということみたい。」

「飛鳥時代の壬申の乱のときの、
天武天皇側の言い分みたいだね。
(皇族の母を持っていない天皇は、
天皇になれないのが当時の風潮(通説?)だったので、
皇族の母を持っていない大友皇子が天皇になったのはおかしい、
という言い分)」

「そして、南朝の言い分は、
「天皇というのは、三種の神器というアイテムを持っているのが天皇のあかし。
こちらに三種の神器はあるのだから(後醍醐天皇が京都から逃れるときに三種の神器を持っていった)、
こっちが正しい天皇だ!朝廷だ!とね。」

「三種の神器っていうアイテムが天皇のあかしって、
ファンタジーの世界みたい。(馬鹿にした意味ではなく、イメージ的に)」


「それで、北朝はその三種の神器を奪おうと南朝に忍び込んで戦ったり、
南朝も北朝に忍び込んで戦ったり、としていたそうよ。」

「戦争の時代だったんだね。」

「そうなの、その南北朝の動乱の間に、
足利尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍の位をもらい・・。」

「征夷大将軍の位をもらうってことは、幕府をひらくってこと?!」

「そういうこと。1338年に足利尊氏室町幕府を開きます。」

「おー。ごたごたしている中で室町幕府は成立したのね。」

「室町幕府は、鎌倉幕府みたいに朝廷から
遠く離れたところにすると都合が悪いと思ったので・・」

「そうだよね。いつ、南朝が攻めてくるかわからない事態だもんね。
北朝が負けたら、幕府も共倒れになっちゃう。」


「ということは、室町幕府はどこにおいたのか?」

「北朝のあるところ・・・・あ、京都?!」

「そういうこと!ということで(?)、室町幕府のしくみを見てみようか?!」

「はーい。」






「鎌倉幕府と大きくは変わらないんだけど、いくつか違いがあるから見ていきましょう。」

「あ、将軍の補佐をする役職の名前が変わった。
執権じゃなくて、管領(かんれい)って名前に。」

「よく気がついたね。この将軍の補佐をする役目が幕府ごろに異なるから、
執権と書いてあれば鎌倉、管領と書いてあれば、室町と思えば良いわよ。」

「はーい。」

「あと、政所・問注所・侍所という名称は変わっていないんだけど、
内容がちょこっと変化があるの。

政所は財政のみになっているし、問注所のしていた裁判は侍所に移され、
問注所は文書などの記録の保管を
するように変わったみたい。

まあ、細かいそれぞれの仕事は入試では出ないんで、
すこし内容がかわったんだ~とここは思ってくれればいいわ。」


「はーい。」

「そして重要なのは地方のほう。」

「あ、六波羅探題がない!」

「そう!なんでかな?」

「え・・・」

「六波羅探題の役目って何?」

「えーと・・、京都(朝廷)をみはる・・」

「うん。じゃあ、室町幕府はどこに置いたんだっけ?」

「えーっと・・・京都。」

「あ!わかった!幕府そのものが京都にあるから、
わざわざ見はるための新しい機関をつくらなくても、
 幕府みずからが朝廷を見はれるんだ!」


「ああ・・そういうこと!」

「あ、でも、鎌倉府というのが新たに設置されているよ。」

「あ、わかった!鎌倉幕府に尽くしていた人たちは、
まだ関東あたりにいるだろうから、その人たちを見はるためだ!」


「よくわかったね。そういうこと。
今度は、遠く離れた関東地方の武士たちを見はらなきゃいけないから、
鎌倉府というものを置いたの。」

「ほえー。時代ごとに設置されるものには意味があるんだね。」

「うん。だから、言葉だけを覚えていては意味ないんだよね。内容も一緒に理解しないとね。」

「はーい。」

「あと、これからの後の歴史に重要なのは、守護と地頭の位置関係。」

「あ、鎌倉時代と違って、守護の下に地頭が入っている。」

「・・ということは、地頭は守護の言うことを聞くってことになるよね。」

「そうなの!で、しかも、幕府設立当初は、南北朝の動乱の時代でしょ。
幕府の中央は地方の政治どころじゃない。」

「そうだよね。」


「そこで、守護が国内の地頭を家来して、
自分の国内を支配し、次第に強くなっていったの


そのような、守護から発生した一国の強い主を、守護大名というの。

室町幕府は実質的に、将軍と守護大名の連合政権だったそうよ。」

「地方の人々も強くなっていったんだ・・。」

「そう、これが、後々の戦国時代を引き起こす要因になるんだけど、
細かいことはまた今度ね。」

「はーい。」


「ではでは、今日はここまでにします。次は室町時代中期ね。」

「まだ動乱が終わっていないよね。いつ終わるんだろ。ドキドキ。」

「お楽しみにね。ではでは、終わります!起立・礼!」

「ありがとうございました。」

キンコーンカンコーン
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という
専門的なことを引き合いに出されても、申し訳ありませんが、
お答えできないことがあるかもしれません。
不快な気持ちになった方には大変申し訳ありません。



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