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歴史模擬授業(第15回 鎌倉時代)②-2

2010年10月17日 12時08分13秒 | 歴史☆模擬授業

先ほどの記事の続きです。(歴史模擬授業 鎌倉時代 ②-1の続き)

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「さて、では今度は、源頼朝がどのように政治をしていったかを見ましょう。」

「はい!」

「頼朝は平氏と違い、朝廷にあったもともとの権力にすがろうとしないで新しい権力をつくるの。

頼朝は、朝廷から征夷大将軍という役職をもらい、
朝廷とは別の、幕府という新設の政治機関をつくって、そこで政治を始めるの。」

「え?え?むずかしいよ。」

「征夷大将軍っていう言葉聞いたことあるんだけど。」

「うん、平安時代に習っているよ。漢字を見て、思い出さない?」

「あ!思い出した!蝦夷(東北)を平定する役割だ!坂上田村麻呂が征夷大将軍になっていたよね。」


「そうそう。その征夷大将軍に頼朝もなったんだけど、
 坂上田村麻呂のただの兵士としての将軍ではなく、政治権力まで握る将軍になったの。」

「ほえー。それを朝廷が許すほど、源頼朝は強くなっていたんだね。」

「そうね。下の図で朝廷と幕府の違いを解説するわ。」






「政治をする権力を政権というの。
その政権をもともと持っていたのは、古墳時代の大和朝廷の血をひく天皇家率いる朝廷だったの。
藤原氏が摂政・関白で政治を動かそうが、上皇が院政しようが、平氏が太政大臣の役割をもとうが、あくまで名目上は天皇がトップだったし、朝廷内だけの権力闘争の話だったわ。

しかし、幕府は朝廷とは全然違って、朝廷から政権だけもらい、
武士から成り立つ新しい政治機関(幕府)として政治をするの。」

「え?じゃあ、朝廷は幕府ができたからなくなっちゃったの?」

「ううん。これが、日本独特なのよね。他の国だと、新しい政治機関ができると、それまでの政治機関って滅ぼされることが多い。でも、日本は、「天皇は神の子孫だ」という信仰も根強く、朝廷は朝廷として残して、政治をしよう、ってことになったみたい。」

「今もそうだよね。朝廷って言葉じゃないけど、天皇家は続いていて、政治をするのは内閣で。」

「お!よく知ってるね。そうなのよね。幕府の将軍は世襲制(一族でついで)で、内閣は毎回選挙で選ばれるところは違うけど(国会議員を選んでという感じで)、イメージとしてそう考えるのは良いわね。」

「えへへ。」


源頼朝は、1192年に、源氏にゆかりのある鎌倉(神奈川県)で、鎌倉幕府を開くの。
   鎌倉の地に幕府を置いたのには、ちゃんと意味があるの。」

「そうなの?」

「うん。さあ、下の図を見て。これは、鎌倉幕府を上から見た模式図なんだけど・・。」





「あ、海と山に囲まれている!」

「そうそう。つまり・・それって・・。」

「あ、守られている?自然で。」


「そういうこと!今みたいに、戦闘機のように上から攻撃できる兵器はないでしょ。」

「ということは、徒歩か馬に乗るか、船か・・だよね、交通手段は。」

「そうそう。それで幕府を攻撃しようにも、馬で山を歩くのは大変。船だとすぐ気がつかれる。
    しかも、切通しという狭い道でしか鎌倉に入れなかったから、重装備では鎌倉に入れない
    し、そこを通ったら、幕府の役人にすぐ気がつかれるしね。」

「そうかー。頼朝さんも色々考えているんだね。」

「よく、愛知県の私立中学入試の記述問題で、
    「なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか。」という問題がでることがあるんだけど、
    その場合は
    「三方を山でのこりの一方を海で囲まれていて敵に攻撃されにくいという地形的利点があるから。」   という内容を書けばオッケーよ。」


「さて、次は、将軍源頼朝と、その仲間たちとの関係を見ていくわね。
彼らの武士たちたちの上下関係は、シビアな関係というかドライな関係だったのよね。
天皇と貴族の結びつきは血縁関係および精神的な結びつき、という形だと極端な言い方をすれば、
将軍と部下の武士たちの結びつきは、実用的な土地・地位による結びつきだったの。」

「今の会社みたいなもの?給料や会社での役職(仕事)をもらうかわりに、会社につくす、みたいな?」

「お!おもしろいたとえするね。たしかに、現代に即して考えてみるとわかりやすいかも?

 天皇・貴族は今の家族の親子関係、将軍・武士は今の会社での社長・社員関係だと言えるかもね。(注意;わかりやすく説明するためです。明確には違います。
 子は親の言うことは(ある程度)聞くけど、社員は社長のことを聞きたくなければ聞かないものね(それではクビになることはあるけど)。」

「じゃあ、天皇と貴族は結びついちゃったら、ある程度何ももらえなくても結びつきは続くけど、将軍と武士は、気にいらないことが
あれば、関係がきれちゃうじゃん!」

「うん。だから、鎌倉幕府は、次のように、部下たちとの関係を明確にし、結びつきを強くしていったの。」

    まず、幕府(将軍)に味方する武士たち、つまり頼朝と主従関係を結んだ武士を御家人というので、
    覚えてね。 御家人という言葉が出てきたら、鎌倉幕府の味方の武士たち!と思ってね。

    そして、将軍と御家人は次の図のような関係を結びます。」


 



「このように、土地(領地)や守護・地頭の役職を御家人に与えるかわりに、御家人は幕府に忠誠をつくして、
 幕府に何かあったときに助けてね!という領地を仲立ちにした実用的な関係になったの。

 この将軍が御家人に領地などをあげることを御恩御家人が幕府のために戦うことを奉公と言います
 そして、このような主従関係で結ばれた社会のしくみを封建制度というの。

  封建制度の形は幕府というものが存在している限り続く。つまり江戸時代まで封建制度は続くよ。」

「へー。」

「あと、この関係から生まれた言葉があるの。1つのところを必死に守るってことから・・・「一所懸命」っていう言葉が生まれたの。それが後に「一生懸命」という言葉になったの。」

「びっくり!」

「この「一所懸命」は愛知県の私立入試でも出たことがあるので、覚えておいてね!また、あとで、この御恩と奉公の関係が出てくる大きな事件があるので、忘れずにね!」

「はーい。」







「そして、幕府の政治のしくみを整えていくの。下の図を見てみて。」




「鎌倉幕府は、実質的で簡単なものだったそうよ。」

「いまだかつて存在していなかった新しいものもんね。実質的にちゃんと機能しなきゃ意味ないもの。」

「一番トップは、もちろん・・・」

「征夷大将軍!」

「そう!征夷大将軍。略して将軍ね。将軍は、源頼朝の一族、つまり源氏が継ぐことになるの。


   そして、その将軍の補佐をするのが、執権(しっけん)ね。
   執権については、後でまた出てくるから、覚えておいてね。」

「はーい。」

「あとは、中央と全体の統率機関と、各地方ごとにそれぞれおかれた機関があるの。

 

    まず、鎌倉幕府のある中央では・・・

   侍所(さむらいどころ)、政所(まんどころ)、問注所(もんちゅうじょ)の3つ。

 侍所は、御家人(武士)の取り締まりや軍事・警察の役割をするの。 
 侍所は漢字を見ると・・・侍ってことだから・・・侍は武術・軍事関係をするから・・軍事は戦争をして国を守り、ふだんの生活で国(国民)を守るのが警察・・・と関連付けると仕事内容がすこしは分かりやすいかな?

 あと、政所の「政」という漢字からどういう機関か想像できるかな?」

 「政・・政治?読み方は違うけど・・。」

 「正解!そう、政所(まんどころ)は、政治をするところなの

  そして、最後の問注所は問いただすところ・・・相手に問いただす政治機関・・・と考えると楽かな?
  問注所は裁判をするところです。」

 「漢字で考えるのは大切だね。」

 「そして、地方の方を見るね。置いた場所ごとに役職が違ってくるの。
     
     国ごとに置いたのが、守護荘園ごとに置いたのが地頭。」

 「荘園って個人の所有地(私有地)だったよね。寺社や貴族も持っていた・・。」

 「そうそう。
     
    地方を全体的に統括(とうかつ)したのが守護で、仕事内容は、中央の侍所のスモール(地方)版。
    侍所が全体的な御家人(もしくは大手の御家人)の取り締まりなのに対して、守護は自分の国内の御家   
     人の取り締まり&軍事・警察、が仕事になるの


    そして、荘園ごとにおいた地頭は、その土地の管理とか年貢の取り立て&警察のお仕事をします
    守護の個人宅見はりバージョンみたいな感じね。」

「そういう風に、考えると少し楽かも?」


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文字数の関係で、もう1つ別の記事(15回 ②-3)を作って、アップいたします。


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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方には申し訳ありません。






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