4月4日付けの東京新聞に、今後小学生から必須になる英語教育についての記事が掲載されていた。
記事の内容の概要は、「ハロー」くらいしか言えない教員がどのように英語を教えるのかという教える側の苦悩と、必須化したからといって英語に興味を持てないまま学年が進んでいくことへの憂慮だ。
たしかに先生だからといって誰もが英語ができるわけじゃないから、KIDSの駅前留学のCMじゃないけど、「アイアム えっと… スチュ~デント」なんてことになりかねない
横浜市では、娘達が小学校の頃から『国際理解教育』なるプログラムが導入されて、欧米だけでなくモロッコやロシアの講師と異文化コミュニケーションを図る機会があった(今もあるのかな?)。
時間数はものすごく少なかったけど、娘②は、いまだに「アッサラーム アレイコム(アラビア語でこんにちはの意味)」なんて言っている。
小学生はそんな感じでいいんじゃないかな~と思うんだけど…。
さて、自分自身はどうかといえば、みなさんご存知のように英会話ができるようになりたくて何年も駅前留学やら英会話教室に通って膨大な費用と時間を投資したにもかかわらず、今でも全く「アイアム えっと…」の域を越えられないでいます
人前でペラペラしゃべって「かっこい~」と思われたい…などと動機が不純なせいと元来の怠け者性格のせいでしょう。
だから、小さい頃から英語に慣れ親しんでいたらな~と思うし、小学校での英語教育の導入にあながち反対でもない
だけど私が一番憂慮するのは、英語を必須化することにより塾に行く子が増えることだ
これは絶対に増えると思う。
まずは興味を持たせるための半分遊びの授業でも、今の世の中成績がつくとなったら絶対落ちこぼれたくないのが親心
塾や習い事が悪いとは言わないけど、子供たち同士で遊ぶ時間が昔より減っているのは事実だと思うんだよね。
すると、塾に行く子供同士で遊ぶ時間が減るコミュニケーションの取り方が下手になる自己チュ~人間が増える自分の思い通りに行かないとキレる凶悪犯罪が増える
という図式ができる。
極論かもしれないけど、これはちょっと前に書いた『核家族化による犯罪増加』にも関連して、やっぱりすべての原因は人と人とのコミュニケーション不足なんじゃないだろうか。
異文化コミュニケーションというけれど、それは知らない国の人との関わりだけじゃなくて、自分以外のすべての人は『異文化』なわけで、語学はコミュニケーションツールの1つに過ぎないのだ。
超個人主義で引きこもり傾向の強い私が言うのもなんだけど、『異文化』を知るためには、時には思いやりが必要だったり、我慢したり、想像力を働かせたり、結構努力しなきゃいけないんだね。
誰だって傷つきたくないけど、傷つくのを恐れてたらコミュニケーションは育たないもんね。
と、ウダウダ書きましたが、新聞記事を読んで何を感じたかというと、小学生からの英語必須化には反対じゃないけど、塾に行かなくてもいいような英語教育の導入をお願いしたい…ということです。
そして今、どんどん狭まっている子供たちの世界が、願わくば大きく広がってほしいものです。