最近TVでよく昭和世代とZ世代の世代間ギャップをテーマにした番組が放送されてますね。
番組製作する方もそうで無くても若い世代はTV見てくれないし、あれこれ考えた結果なんだろうけど出てくるテーマが別番組と被っていたりでほとんどワンパターン。
なにかとメディアは〝昭和〟をひとくくりにするけれど、戦前から60年以上もあるのにせいぜい内容は70年代から90年代がほとんどのようで.........私の世代から見たら一昨日くらいの感覚なんだけど。
とはいえ戦前から30年代なんてテーマにしても、知ってるのは年寄りしかいないので仕方ないっちゃー仕方ないけれども、もうチョイ違った切り口の番組作れませんかねえ???と思います。
でもって先日、昭和の給食をネタにしたのがあったのでそんな話を。
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給食って今はいろいろバラエティに富んだものが学校で出ているらしいんですが、昔々60年代くらいはありきたりですがコッペパンと脱脂粉乳のまずいミルク、そして鯨の竜田揚げとかはともかく、他の主菜副菜がどんなだったかあまり記憶にない。
私は東京、岐阜、神奈川、京都と小学校は4回変わっていますが、印象に残る給食というのは特にないんだなあ。
唯一、小4の岐阜市の学校で脱脂粉乳のミルク鍋にもうひとつ、ヤクルトのようなベージュの甘い飲み物が入った鍋があって、給食係が両方をチャンポンしてアルミの器に注いでいたのは思い出します。
1963年なのでまだ乳酸菌飲料も無いと思ったのですが、wikiによるとすでに当時ヤクルトは販売されていたらしい。あれだったんだろうか?
そういやカワイの肝油ドロップも毎日一粒づつ付いてきました。
どこの学校にも給食室はありました。
相模大野の学校では給食室から砂糖が盗まれてパトカーが来たことがあった。
時代ですねえ(笑)
コッペパンも現在売ってるやつはもう立派すぎて、全然コッペパンじゃありませんし(笑)当時のはもっと〝靴みたいに〟デカくて美味しくなかった。
マーガリンやジャムが付くのはもうちょい後になってからです。
先割れスプーンで中にトンネル掘って中の白いところだけ食べてた覚えがあります。
中学になると各自弁当持参で学校でもパンの販売があって、朝登校して注文票の〝あんパン〟とか〝ハムカツ〟の所に丸印をつけて出すと、昼時に教室に出入り業者の木の箱に並んだパンが届くので、自分の注文したのと牛乳を受け取って食べてました。
弁当は週に3日くらいは持って行った気がします。
よくあるアルミの弁当箱でパチンと左右から蓋をロックするおかず入れが中に入っていました。ご存じの方も多いでしょう?
これは昨年入手した未使用の当時の弁当箱で、昔使っていたやつにそっくりだったのでついポチってしまいました。
母が買ってきた弁当箱がなぜかこうゆう〝花柄〟のやつで、冗談かと思ったのですが3年間しっかり使いました。
で、当時の弁当を思い出してちょっと自分で作ってみました。(何やってんだろ………..笑)
卵焼きと赤いウインナーは定番っすね。
スーパーにすでに切れ目の入ったタコさんウインナーというのがあったので買ったのですが、小さいし切れ目も短い。
焼いたら足がクルンと大きく回り込まないとタコになりませんって。
真ん中は今回〝特別参加〟の牛肉のしぐれ煮。(こんなものが当時入っていたことは無かった)
梅干しに桜でんぷとノリタマ、あとは沢庵とか昆布の佃煮とか煮豆とかいつもせいぜい3品くらいだったような。
1960年代なのでそんなハイカラな弁当持ってきてる級友は誰もいませんでした。
いまでこそSNSや動画で凝った弁当を紹介している人が多数いますが、そもそもプチトマトとか冷凍食品なんて弁当に入れたくても無かった時代。
色味のジミーな弁当がほとんどでしたね。
クラスのM君は体がデカくて兄弟が多かったせいか、この弁当箱の3倍くらい厚いガテン系の方が食べてるような弁当箱に、ご飯・海苔・ご飯・海苔・ご飯・海苔........の順に重ねた、今で言うなら〝ミルフィーユ(笑)型の〝真ん中うめぼし〟弁当をワシワシワシ♬と食べていたっけ。
このおかず入れもパッキンが甘いと横から汁っぽいのが流れ出て、包んでいた新聞紙やハンカチに染み出てきて、授業中になんか煮物の匂いがプーンと漂ってきたりして、おいおいオイ!今日のおかずは何なんだ?
匂いが気になって授業に集中出来ず。
ちなみにこの弁当箱には替えのパッキンも同封されていました。
まあそんな懐かしい昔を思い出しながら食べた弁当ですが、見た目ちょっと綺麗すぎましたね。
のりたまと桜でんぷはなぜか今でも好物だったりして、自分の安上がりな味覚の原点はあそこにあったんだなあと………..。
以上、ごちそうさまでした。
タラスティック、是非作ってみて下さい。
昆虫食は今後将来的にもっといろいろ出てくると思いますが美味くないものも多い。
私も子供の頃から食べてるとはいえ、東南アジアとかのデカいやつはいささか引きますね(笑)
ところで関西でもイナゴ食べるんですね、ちょっと意外でした。
イナゴは子供の頃、秋に帰省した郷里で田んぼで捕まえました。
お書きになったように糞を抜いてから囲炉裏の上から吊るされた自在鉤にかけた鍋の熱湯に婆ちゃんがほおりこんで蓋をすると、熱いので中で跳びはねて当たる音が聞こえて子供心にチト可哀想だなと。
食いしんぼうのカテでも書きましたが市販の水飴使ったやつは甘すぎてイマイチです、イナゴやハチノコにはちょいとうるさいです(笑)
タラスティックが掲載されているアドレスを見せていただだきました。
機会があれば、と言うよりも近々作りたいなと強く感じました。
「タラスティックを自分で作る」という発想がなかったんですが、お書きになったアドレスの内容を見て、作る気満々になりました。
「昔食べておいしかった」というものでも、今食べてみると「ん??」と思うものもあります。
でも、タラスティックはそうではありませんでした。
「今」ではないんですが成人してから食べた(勤務中に見つけて買ったタラスティック)はそれはそれはおいしくて、感動的でした。
だからその後も何度も、その店に買いに行きました。
ただ、時の流れなのか その店があったミニ小売り市場は閉店してしまい、それ以来もうタラスティックは食べられなくなってしまいました。
それから40年以上を経て、また「あの味」がよみがえるかもしれません。
それから。
「黄色というか金色のくすんだような色でもっと太短いもの」は、アルマイト製の弁当箱でした。
ネットで検索するとそれらしいものがいくつも出てきますが、実際に使っていたものは年季が入っていたのでもっと古くて色褪せていました。
虫下しの「マクリ」、苦いマクリを飲む日だけの特典だったサクマ式ドロップ、肝油ドロップ、靴のような( ;∀;)コッペパン、脱脂粉乳、クジラ肉等々。
懐かしいですね。
そうそう。
私は、イナゴの佃煮をその頃(小学生の頃)食べていましたねえ。
今でいう「昆虫食」でしょうが、今の昆虫食などは食べたくありません。
そのイナゴの佃煮ですが、最初の赴任校で私は新しいクラブ「探検クラブ」というものを立ち上げて、クラブ活動の一環でイナゴの佃煮を子ども達と共に作って食べたことがあります。
今だったら「衛生上悪い」と大問題になっていたかもしれません。
イナゴの佃煮と言っても、イナゴを採ってきてすぐに煮るというものではありません。
採ってきた後、穴をあけて呼吸ができるようにしたゴミ袋に1週間ほど入れておきます。
イナゴの体から、糞を抜くためです。
次に、熱湯で茹でます。
茹で上がったら、羽と脚をちぎります。
そして、次は油で揚げて、油を切った後でやっと、砂糖醤油で佃煮にするのです。
美味しかったですが、見た目がゴキブリに少し似ていたのでそれだけが嫌でしたね。
イナゴは漢字では「稲子」と書きますが、字の通り稲しか食べません。
だから、清浄な昆虫で食用にできるのです。
今の昆虫食がコオロギなど食べるそうですので、イナゴの佃煮をおいしくいただく私でもそれには抵抗がありますねぇ・・・・。
またまた長くなってしまいました。
ではでは。
そうです、これブック型弁当箱とかって言いましたね。
ヤフオクでたまたま見つけて懐かしさで落としましたが、未使用でもせっかくならとおかず作ってみました。
小生意気な物はともかく残り物料理は得意です(笑)
しかし大規模校からへき地校って極端な移動ですね。
生活環境の全く違うこども達と接するのはそれはそれで大変だったと思います。
〝たらスティック〟という呼び名は記憶に無いけれど言われて思い出しました。
パン粉つけて揚げたタラの四角いフライが時々メニューにあがっていました。
ネットで〝鱈スティック〟検索したところ犬のえさばかり(笑)
で、〝タラスティック〟で検索して以下の方のブログに記述を発見!
https://sikisai02.exblog.jp/20487301/
http://kazuko.ciao.jp/cod_stick.html
これこれ!これ給食に出てたやつです。
すり身のタラのフライ、こんな感じなんでしょうか?
ちなみに山口や九州では魚のすり身のカツ〝ギョロッケ、魚ロッケ、ぎょろっけ〟というのがあります。
おかずにも酒のつまみにもパンに挟んでも合うので大好きなんですが、東の方はさつま揚げばかりでほとんど見ないので時々お取り寄せしています。
色々と楽しいことをされていますね。
懐かしい弁当箱に、思わず「いいなあ」ってうなってしまいました。
内容が良いという意味もありますが、懐かしさ漂う弁当箱に当時の記憶を元に再現し食べることが羨ましい「いいなあ」の方が大きいです。
で。
美味しそうですね。
現在、午後からの仕事に向けて間もなくの昼食待ち。
空腹なので、なおさら美味しそうに感じるのかもしれません。
おかずの仕切りにバランが入っていますが、それを見て思い出したことがあります。
私は行政マンをしていたんですが、子どもの頃からなりたかった教職に転職。
でも最初の赴任校が大規模校で、全校児童は千人を大きく超えていました。
一生懸命頑張ったんですが、次第に息切れしてきました。
そんな頃に、宮沢賢治の「イーハトーブの赤い屋根」という映画を観て、へき地校に憧れ初め、ついには実際にへき地校に転勤し複式学級の担任もしました。
全校生徒は9人しかおらず、子どもは素朴そのものでした。
そんな へき地勤務時代に、臨海学習(林間ではないです)の引率がありました。
夕食の席で「残さず何でも食べなさい」と話したんですが、ある子が食事終盤で困っている様子を見せ始めました。
何事かと思って「どうしたの?」と尋ねると、「これがなかなか食べられません」と言って、バランを箸で持ち上げました。
「何でも食べなさいと言ったのは、食べられるものをという意味です。バランは食べられないので食べなくてもいいですよ」といったことがあったのを思い出しました。
笑い話のようですが、実際にあったことです。
説明に正確を期すことの重要性や、へき地の子ども達の純朴さを強く感じたできごとでした。
バランだけで、話が長くなりました。
私もたまに弁当を家で作ってもらって食べることがありますが、弁当箱はプラスチックです。
アルミの銀色で薄い弁当箱は、確か「ブック弁当」と呼ばれていた様に記憶しています。
それ以前に使っていたのは、黄色というか金色のくすんだような色でもっと太短いものだったですね。
それにしても・・・。
懐かしい弁当箱を使って弁当の中身まで再現し、それを食する。
素晴らしい発想と実行力です!
給食のことも、懐かしいですね。
長くなるのでこれくらいにしますが、脱脂粉乳やクジラ肉に加え、年に数回のごちそうで「たらスティック」があったように記憶しています。
教師転職前になるので今から40年ほど前ですが、仕事で外回りしている途中で寄った小売り市場で、その「たらスティック」を見つけました。
仕事で同行していた同じ年採用の同年代の同僚と顔を見合わせ、「懐かしいい。買おう!」と言って買ったことがあります。
のどかな時代とはいっても、仕事中のこと。
時効となった今だから話せることですが。
長くなりました。
素敵なブログ、読むのがとっても楽しいです。
これからも、よろしくお願いします。