この半年間、私はやらなければ行けない仕事があった。絶対にしなければ前に進まないのに、半年前にその為に教えてもらっていたのに、情けないけど、出来ないのでした。
だからその出来ない自分を感謝して祈ったのです。
「天のお父様、教会の仕事なのですが出来てないのです。牧師に早くして下さいよって、催促されてますが、どのようにしたら良いのか、まとまらないのです。どうか助け手を与えて下さい。かといって私が説明をして手伝ってもらう人ではなく、そのことをよく知っていて、私に教えてくれる助け手が欲しいのです。都合の良いお祈りでごめんなさい。しかし!そのような人を送って下さい。お願いします。」
そう祈ってました。なんと都合の良いことばかり願うのでしょうか、でも御心だったら叶うのです。
今月から早朝テニスが始まり、早天の時間も早く済ませ、うきうきと出かけるケパさんを、今日はなんか快く送り出した私は、実はこのような祈りをしていたのです。
本当に出来なくて困っていました。会計報告!
2時間ほどで帰ってきたケパさんが、嬉しそうに良い知らせだよって。もったいぶるので、突っ込むと、「今日M兄が来るよ。なぜかと思う?『ずっと気になっていることがある』と言うんだよ。君に会計の仕方を教えかけてそのままだったので、たぶん出来ないだろうなと思っていたらしいよ。だから今日これから来てくれるんだ」
やったぁ・・・・すばらしい・・・祈っていた通りに、それもこんなに早く実現するの
神さまありがとうございます。哀れみ深いお方です。わたしの足りなさを補って下さいます。
そして、半日みっちりと私が作業しやすいように、教えて下さったのです。これで、私は今月中には、全てやり終えて、報告をします。と言っても打ち込み作業が大変ですが、祈ってやり遂げねばなりません。この仕事は教会の大事な奉仕ですから、天に宝を積むのです。
ケパさん曰く 「どうだい。テニス仲間と交わってなければ、救いもおきないし、益にもならなかったね。」たしかに。 ハレルヤ、神さま感謝します。ドルカス