ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ドラ・・・・わたしが猫と関わり合うきっかけになった猫

2012年03月30日 | ネコのコールと‥‥

   実はこの猫、おん年12歳の、今は長女の猫である。2 コールは別格として、私と猫との付き合いは、この「ドラ」と名づけられたどら猫から始まった。私にとっては、猫と付き合い始めた、ゆかりある猫なのだ。


 この子は、学校の裏のごみ置き場に、本当に小さなダンボール箱に入れられて捨てられていた。用務員さんがダンボール回収に来たトラックに積み込もうとしていて、小さな鳴き声に気づいて発見された。間一髪のセーフで、あやうく再生ダンボールになるところだった。

 見たところ、生後数日で、あまりにも小さかった。手のひらに体が十分のっておさまる、ちょうど小ネズミほどの大きさだった。子猫は教職員室にその日一日中置かれ、飼い主を待つことになった。が、子どもたちにも、頼みの綱の教職員にも飼おうとする者は現れなかった。その間にも猫はどんどん衰弱し、教頭がミルクを飲ませようにも、もはや受け付けず(その理由は牛乳にあったということが後にわかった)、子猫はぐったりとして行き、どう見ても明日の命は無いと見えた。職員室の夜は更け、いつものように私と教頭だけになった。
「中村先生、あんたの家は駄目じゃろうかのう?」
「はい、我が家にはお座敷犬がいるんで、駄目じゃろうと思います。」
「わしンところは、共稼ぎなもんで飼えんのじゃ。じゃがこの子猫を、この職員室で殺しとうはないよのう。わしの責任じゃあーぁ。」
「(なるほど、それで女先生たちは飼えんかったんだ・・・・)お察ししますが、今となってはどうしようも無いことかと存じますが・・・・・」

 

 しかし、この後、教頭さんを気の毒に思った私は、とうとう猫を助けるチャレンジをすることにした。職員室では見捨てて殺せないし、もはや捨てられない。ドラにとって幸運だったのは、帰り道にあった動物病院が、もちろん閉院していたのに、玄関のインタフォンから私の話を聞いてくれて応急処置をしてくれたことである。注射を打ち、赤ちゃん猫用の専用ミルクと、胃に注入するための注射器とカテーテルをくれた。そして、「カテーテル(細い管)で三時間おきに猫ミルクを胃の中にまで届かせなければ助からない」と診断してくれたのである。かくして帰宅した我が家では、これから約三ヶ月間、猫を助けるための懸命な養育作戦が家族を挙げて始められた。名づけて「どうでもどら猫を救え」作戦。

 三時間おきに(つまり夜もろくに寝ないで)この小さな命の、胃袋の中にカテーテルを入れ、注射器のポンプで猫ミルクを注入する作業が続けられて、その何週間後かに・・・・家族はドラ猫が九死に一生を得た喜びを見たのである。


 子猫ドラの運命は、ゴミ捨て場の段ボールでの発見、深夜の職員室での教頭のつぶやき、救急してくれた動物病院、懸命な家族の努力という、小さな奇蹟の連続で救われ、今12歳の写真のような老猫になった。


Cgc24

 † 「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」(詩篇126:5)

 

 私はこのドラから、教師として、いや人間として多くのことを学んだ。手間ひま、心をかけないで心は、愛は育たない。人と人とに、近道はない。だから例えば、教室で班を使って管理し、成果をあげようとする方法を捨てた。一人一人に教師がどれだけ真剣に関わっていくか、それが勝負だと思った。人間関係に楽をして、実は結ばない。関わり苦しんだだけ、流した涙だけの収穫と喜びがある・・・・・・この生き長らえたドラ猫を、どんなに家族は愛するようになったことであろうか! 手間ひまと心をかけたそのものだから。ドラもまた、人が自分の親であると思う、不思議な猫になったが。 (ケパ)

コメント
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