ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

「エルサレムの平和」を祈る

2012年10月06日 | 祈り

 明日は表題の「エルサレムの平和」を祈る日です。

Photo  この言葉は聖書の詩編122篇6節にあって

「エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。・・・・。』

という一節からとられています。もちろんこれだけでは本当の話、何が何だかわからない。それでもたくさんの人が祈っている。そこで、今日はケパ風ダイジェストで、少し説明をしたい。(写真はヤッフォ門遠景?)


 実はこれは大変政治と宗教がリンクしていて、受け取り方によっては「オカシイ」と思われるかも知れない。そうならないために、あらかじめ前提としておきたいのは、これは「クリスチャンがする祈り」であるということだ。

Photo_2  さて話は、イスラエルの民を完全に統一し、メソポタミアからエジプト川まで領地を広げダビデ王は、エルサレムにその都をつくった。BC1000年(今から3000年前)の頃からの話で始まる。ダビデ王の息子のソロモンの代になると王国の首都エルサレムに、すばらしい神殿(第1神殿)がつくられた。その後王国は分裂して、いろいろあって、結局最後はバビロン帝国によってBC586年、ユダ王国が滅亡し、エルサレムと神殿は跡形もなく破壊された。(写真はライオン門かと・・・いまだにアラブとの戦いの銃痕が壁中に)

 それから70年後、捕囚から帰還した民によって神殿(第2神殿)が再建された。イエス・キリストが詣でた宮も、この第2神殿にあたる。しかしAD70年に、ローマによって再び、完膚なきまでに都は破壊され、神殿は跡形もなくなった。再びユダヤの民は亡国の民(ディアスポラ)となって、今日に至るまで世界中に離散することになった。よく、「嘆きの壁」というユダヤ人の聖地を聞かれるかと思うが、これは破壊された第2神殿の、わずかに残った西側城壁に当たる。ユダヤ人は破壊された神殿を嘆き、罪を悔い、この再建を神に祈っているのだ。

 問題はこれからだ。今現在イスラエルという国があることは、アラブ以外の国なら当たり前のことだ。しかしアラブの国はそれを認めていない。なぜか?イスラエルが2000年の時を経て、1948年、奇跡のように再び建国された。この建国の直前、第二次世界大戦時、ユダヤ人はナチスによってホロコースト(600万人という大虐殺)を経験し、亡国の辛酸をな
め尽くした。戦後シオニズム(イスラエル帰還)運動はさらに盛んとになり、イギリスの二枚舌外交の結果、ついに奇跡的な勝利を得た戦いの末の建国だった。

 ローマによって離散させられてから長い時代、この地域はイスラムの支配地となり、なんと神殿の丘の、ちょうど神殿が建っていたところにはモスク(黄金ドーム)まで建設されてしまっていた。だからアラブ人から見れば、自分たちの土地を奪った侵略者たち(ユダヤ人)を、地中海にたたき落とせ、ということになる。

 ユダヤ人たちがかつてこの地に住んでいたことも事実であるなら、直前の住人もアラブ人であることも事実だ。互いに自分たちの国であると譲らない。ならば日本の竹島問題ではないが、話し合いによる解決、法的な根拠で問題を解決しようというのが、一つの「エルサレムの平和」だ。
 その土台は1920年にサン・レモ会議というのが行われて、当時
Photo_3の主要国(主催国は英、参加国はフランス・イタリア・日本、オブバーザーとして米)が国際連盟の承認の下に線引きがなされた。これは今日でも有効な、中東地域の唯一の国際条約である。そこではなんと今のイスラエルの土地はすべて、あまつさえヨルダン川東岸地区まで、イスラエルのものと既定されている。これに日本が加わっていることに大きな意味を感じる。

 次に聖書がある。聖書はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の全一神教にとって共通の正典である。その聖書が終末の舞台としてイスラエルの国が再び復活し、その都エルサレムで多くの出来事が起こると預言しています。終末の舞台としてユダヤ人の都エルサレムが整えられ、第3神殿が建たなければなりませんし、そのようにクリスチャンは神の計画に応えて行かねばならないのです。 ケパ

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