ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ごみの分別

2012年10月20日 | 生活

Photo 整理屋と化したケパドル
 今年になって、立て続けに3軒の家の整理をしている。掃除もするが、そのほとんどは不要品となった家財を処分(ゴミにし、搬出する)することが中心だ。こうも1年近く続くとは、ふしぎなことだ。体力は昔ほどないが、ともかく、今や私たちはセミプロ的な力量を、つけたくもないのに身につけつつある(^_^;)

分別は大切
 そこでいつも頭を悩ますのは、「不要品をどのようにして分別するか?」だ。先の東日本大震災でも同程度の膨大な瓦礫(がれき)ながら、分別して受け入れた自治体(東松島市)としなかった自治体(石巻市)とは処分費用が7倍違うとの報道があった(環境省の廃棄物対策課の見解では、「そこまでの差は認められない」とのこと)。確かに分別すれば処理は安全で、最小の廃棄物となり、コストは抑えられる。再利用できる資源にすらなる。大切なのはよくわかる。Photo_2

しかし大変な分別
 しかし、である。だれが分別するのか?当然ゴミを出す方である。先々日には自分が40年以上前に買った大きなステレオ(右のもの)を処分したが、これが大変だった。まず一辺が70センチある大きな木箱×3をねじ回しでばらさなければならない。電動ドライバーがないので、一箱に何十本と打ち込まれているネジを手動で一本一本外さなければならない。昔の日本製はすさまじく頑丈で、しっかりとできていて、これでわたしの右ひじはかなり痛んでしまった。角にはすべて当て木と接着材処理がなされている。実に丁寧だが、バラす方としてはやっかい極まる。特にセンターのプレイヤー部とアンプ部の取り外しは、さらに各ネジを順を追って外していく。集中力と根気がいる。こうして最終的には、たくさんの木ねじを含む金属とプラスチック、板と化した木部に分別できた。こうしてはじめて処分場が受け入れてくれるのだ。そして最後に残されたのは、わたしの右ひじの治療が(^O^)必要と・・・・・・。

お願いしたいこと
 分別の一番の問題は、処分場の設備によってはビニール・プラスチック類が燃えるゴミと燃えないゴミにあちこちすることだ。リサイクルできるかどうか、またこれを高熱で燃やせるかどうかの機械の性能にもよるようだ。また木の棒とかは、長さや大きさに制限があることも、処理したりリサイクルする処分場の都合によるようだ。これを日本国内では一律にしてくれたら、どんなに覚えやすく、スムースに作業ができるのにとわたしは思う。

最後に
 私たちは生きて行くのに、モノを買わなければならない。だからモノにはこだわるのは当然だ。それはいい。しかし、必需品以外で、例えば家具、衣服、趣味のもの、書籍・・・・これらはその人が生きていればこそ価値があるものであって、その価値はたとえ子であろうと、その後はほとんど価値がなくなるものだ。自分の愛着のあるものに囲まれて暮らしたいが、しかし、それはせいぜい、ダンボ―ル数箱分にしておきたい。そのぐらいなら迷惑もゆるされる。そのように整理できるのは、生きている本人だけなのだ。自分でしておきたいものだ。
 残しておいて喜ばれるものは、処分可能な土地とお金しかない。住んでいるなら良いが、立派な家屋ですら維持管理という重い負担を後継者に課してしまう。
Photo_3  この点で国語の教科書にも載った最高の人物がいる。田中正造(右写真)である。かれは明治の足尾銅山鉱毒事件で身命を投げ出した、国会議員クリスチャンの義人であるが、彼の死後残された遺品は、ただずだ袋に聖書だけが入っていたという。天国には、神の言葉以外とその人がしたこと以外に、何も持っていくことはできない。多くのモノがあることは、天国とは反対の道である。これは自分自身に言っている。  ケパ

コメント
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