最近つくづく太ったと感じる。テニスでちょっとバテやすくなってきた。それを老化のせい?だと思いたかった。ズボンだってきつくなっても、そりゃあ35年も同じサイズというわけには行かない・・・・と、極力太ったと考えないようにしていた。
なかなか自分の現実は認めがたかった。なにしろヤングの時はあだ名が「線香」だった。骨の髄まで、自分は折れそうなぐらいな細身だというセルフイメージが強固にある。背は高めでもウェスト55、この細い体がどんなに肩身の狭かったことか。
ところが、である。最近は鏡に体を横にして見たら、中央部に見たくもない悪夢のようなカーブが・・・・デーンとある。乗りたくもない体重計に、無理矢理乗せられると、冷徹なデジタルの数字が+?Kg増と容赦ない宣告。とどめはかがむと・・・・「しんどい!}という現実が自分を打ちのめす。
「ああ、これって自分の事じゃないはず!」。
しかしこのような体型や外見に拒否感を抱いたり、こだわるのはクリスチャンとしては問題だと感じる。このような体に変わりつつあることのすべては、神の許しなしにはあり得ないことなので、先ず感謝することにした。具体的にはこれまで、このような肉の思いでマイナスだと思えたことが、実はすべて大きなプラス、益に変えられていたことを思い出しもした。また、どんなに外見が好ましく思えないとしても、こころをそれに捕られてはならない。一番大切なことは霊であって、霊は肉を超えるからだ。みこころならばわたしは太り続けるだろうし、やせもするだろう。すべては主のみこころがなりますように、そう祈った。
ところが祈ってると、先週、風邪を引き、体調が悪いせいか、あまり食欲がなかった。快癒しても、なぜか余り食べられない。しかも油の多い料理に食指が行かなくなってきたことを感じる。「これは年のせいだろうか?」いや、これは祈りの答えという感じがする。わたしの神様は、現状の体重をこれから適正なラインまで落とそうとされているのを感じる。
そう言えばダイエットは、器具でも、運動でも薬でもなく、「祈る」ことがもっとも強力だと、誰からか聞いていました。確かに。