二軒の家(うち、一軒は仮住まい)をようやく一軒にあたらしく統合した暮らし。やはり落ち着いた暮らしができるようになって、心から神に感謝している。ただそれぞれにキャットタワーを置いていたので、なんと二つのキャットタワーが立つことになった。それはまぁ、良いのだが、もう一度この家で立てようとして二週間、大きな難問にぶつかっていた。
それは、それぞれに部品が足りなかったり、逆に余計あったりしてどうしても元のようには組み立てられない。「え-っと!元はどうなっていたんだっけ?」まるで超難関のパズル状態で頭をひねるばかりであった。
昨日とうとう製造元に問い合わせ、組み立て図をFAXで送っていただいた。そしてわかったことは、どうも他の余っている部品1つを、もう一方に回せば何の問題もないらしいことだ。
「そんな、馬鹿な」
そういう思いだったが、実際にやってみるとはたしてその通りだった。なぜ「そのようなことはありえない」と思ったか。それぞれ別々にあったのものなので、きちんと異なる運び方をしてきた。混ざることなど考えられなかった。しかし事実は混ざっていたのである。これは推量だが、おそらく引っ越し業者が何らかの理由で外れて落ちていた部品を、異なるタワーに取り付けてくれたもだと想像できる。想像もしていなかったことだけに、眼前の事実になかなか気づいていなかった。
私の人生においても、思い込みでかなり失敗してきた。結婚は好きな人とするのが1番だとか、お肉を食べて元気になる、パソコンはウィンドーズがよいとかetc・・・・これらは、みな間違いではないだろうが、私の場合、少なくとも失敗だった・・・・・。人間の思いとか、良かれとか思うことが本当に良いものか、それとも自分の選択があてにならないものであることを認識するのか?
実は信仰は、自分自身が当てにならない存在であることを認識することから、絶対者を探すところからはじまるのだ。 ケパ