ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

アルツハイマー

2013年06月19日 | 随想

 わたしの母がHaha アルツハイマー症(正しくはアルツハイマー型認知症)になって十年以上が経つ。現在はすでに息子(わたし)や娘(わたしの姉)が判別も不可能で、施設で排泄など全面的に介助が必要な段階である。(写真は最近の母とドルカス)

 診断が出て、施設に入るまでの2年あまり、わたしは母と二人だけで過ごした。「介護」と言うのが表向きの理由だった。確かにこの時すでに母は一人暮らしを続けることが困難で、同居する家族が必要な状態だった。しかし本当は、わたしの妻が娘たちを連れ、別居を選んで遠方へ転居したのであった。つまり行くところがなくなったわたしが、母を介護するためと称して実家にもどったと言うのも一つの真相だった。


 ともかく母との暮らしがはじまった。覚悟していたことであるが、まず毎日のように現れる「押し売り」たちとの対決がはじまった。母は完全に彼らの「カモ」で、あらゆるものを買わされていたからである。同居の初日から母の通帳などを親権代行者として掌握していたから、彼らはわたしからお金を引き出さねばならない。「脅す」「すごむ」「居座る」・・・・何でもござれだった。時には危険を感じさせられることすらあったが、「誰一人にも決して譲歩しない、決して金を出さない、出るところに出る、消費者センターをバックにする」と徹底的に戦った。

 そしてある男を最後に(それは決闘寸前のようだったが)、彼らはその日からパッタリと来なくなった。いろいろな業種だったのだが、どうも彼らは皆つるんでいて、そして彼らのお得意様リストから外されたなと感じた。


 その次に対応したのが、ご近所さんたちである。一例だが母の病の特徴で、非常に猜疑心が強くなり、隣家との境界線に高いブロック塀を業者に築かせ、親しかった行き来を遮断した・・・・ことへの苦情だった。「こんな仕打ちを受ける覚えはない」と涙ながらに訴えられると、その事実にわたし自身驚愕し、「本当に申し訳ありません、すぐさま打ち壊し、撤去します」と頭を下げて答えざるをえなかった。


 同居時代の終わり頃になると、母はわたしを夫や父のように頼りはじめ、どこかに行く時にはわたしのズボンの端に指をかけて子どものようについてきた。「お母さん、俺は息子であって、反対やでぇ」と思いながら、「こんな母を見たくなかった」と思ったり、「いや少しでも世話できて、よかったんとちがうか?」と心は複雑に揺れ動いた。

 その母も、今はさらに進行し、忘却の海に沈む寸前の状態であるが、ふしぎと同居し介護していた時ほどには、今は拒否感がない。こころも魂も、もはや母として知っていた人とは別人で、ただ懐かしい、老いた体の母がある。それゆえに人の魂と永遠の命を救うことに遣わされている、牧師としての今の使命の重大さを痛切に感じるのだ。  ケパ

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