戸外がすてきな季節になった。
昨日の礼拝後、近くのドトールのコーヒー(私は黒糖ラテ)で休んだが、店内より外のテーブルの方がずっと快適だった。空気が良いだけでない、光とその影、風の織りなす広い視界が良かった。近年は気候が変わって、戸外が良いこんな気候は短くなった。今のうちにしっかり楽しんでおきたい。
と言うわけで今朝の早天の祈り、外でした。
とは言っても完全な戸外でなく、ベランダの一角に椅子を置いてだ。けれども、気分は完全に外である。朝が明けた戸外は光で輝いている。今朝の薄曇りの空も目に優しい。風がさないので肌にも穏やかである。何より鳥のさえずりが、こんなにも響いて、あちこちから聞こえるのかと改めて思う。光が射すと見える世界が戻る。薄暗い中で空腹に目覚めていた鳥たちは、この光をさぞ待ち焦がれていたことだろう。夜明けとともに餌を探して飛び回る鳥たちのさえずり、これは命の賛歌なのだ。
鳥たちだけではない。
朝を待ち焦がれた羊たちの様子が聖書に出て来る。
(ミカ書2:13 この事について5月14日のこのブログ・・・聖書からの「示し(レーマ)考・・・の後半で触れている)。
日暮れとともに石囲いの中に閉じ込められていた羊たち、夜明けと共に朝一番の草を、それこそ我先に先を争って食べようとする。きっと羊飼いが開ける出入り口の前に、押し合いへし合い、先を争って詰めかけているはずだ。何しろ朝一番の草は特別だ。朝露という極上のおいしい水スープ付きで食べられるのだから。
イスラエルという半乾燥地帯において水は貴重だ。朝一だけは、やわらかく露たっぷりの若草を食べられるのだ。(そのイメージ)
私も子どもの時、一頭の雌山羊を任されていたので、毎朝草場に連れて行くのだが、それが遅くなると山羊のご機嫌が悪かった。動物は食べ物にとりわけご執心だ。きっと早朝を楽しんで祈ったりするのは、人間だけの特権なのだろう。今朝は祈りの後、ウィリアムズ作曲の「揚げひばり」というヴァイオリンとオーケストラの曲まで聴いて、とても恵まれた。
ケパ
昨日の礼拝後、近くのドトールのコーヒー(私は黒糖ラテ)で休んだが、店内より外のテーブルの方がずっと快適だった。空気が良いだけでない、光とその影、風の織りなす広い視界が良かった。近年は気候が変わって、戸外が良いこんな気候は短くなった。今のうちにしっかり楽しんでおきたい。
と言うわけで今朝の早天の祈り、外でした。
とは言っても完全な戸外でなく、ベランダの一角に椅子を置いてだ。けれども、気分は完全に外である。朝が明けた戸外は光で輝いている。今朝の薄曇りの空も目に優しい。風がさないので肌にも穏やかである。何より鳥のさえずりが、こんなにも響いて、あちこちから聞こえるのかと改めて思う。光が射すと見える世界が戻る。薄暗い中で空腹に目覚めていた鳥たちは、この光をさぞ待ち焦がれていたことだろう。夜明けとともに餌を探して飛び回る鳥たちのさえずり、これは命の賛歌なのだ。
鳥たちだけではない。
朝を待ち焦がれた羊たちの様子が聖書に出て来る。
(ミカ書2:13 この事について5月14日のこのブログ・・・聖書からの「示し(レーマ)考・・・の後半で触れている)。
日暮れとともに石囲いの中に閉じ込められていた羊たち、夜明けと共に朝一番の草を、それこそ我先に先を争って食べようとする。きっと羊飼いが開ける出入り口の前に、押し合いへし合い、先を争って詰めかけているはずだ。何しろ朝一番の草は特別だ。朝露という極上のおいしい水スープ付きで食べられるのだから。
イスラエルという半乾燥地帯において水は貴重だ。朝一だけは、やわらかく露たっぷりの若草を食べられるのだ。(そのイメージ)
私も子どもの時、一頭の雌山羊を任されていたので、毎朝草場に連れて行くのだが、それが遅くなると山羊のご機嫌が悪かった。動物は食べ物にとりわけご執心だ。きっと早朝を楽しんで祈ったりするのは、人間だけの特権なのだろう。今朝は祈りの後、ウィリアムズ作曲の「揚げひばり」というヴァイオリンとオーケストラの曲まで聴いて、とても恵まれた。
ケパ