ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

空は薄青く、鳥の声がこだまする

2018年05月21日 | 祈り
戸外がすてきな季節になった。
昨日の礼拝後、近くのドトールのコーヒー(私は黒糖ラテ)で休んだが、店内より外のテーブルの方がずっと快適だった。空気が良いだけでない、光とその影、風の織りなす広い視界が良かった。近年は気候が変わって、戸外が良いこんな気候は短くなった。今のうちにしっかり楽しんでおきたい。

と言うわけで今朝の早天の祈り、外でした。
とは言っても完全な戸外でなく、ベランダの一角に椅子を置いてだ。けれども、気分は完全に外である。朝が明けた戸外は光で輝いている。今朝の薄曇りの空も目に優しい。風がさないので肌にも穏やかである。何より鳥のさえずりが、こんなにも響いて、あちこちから聞こえるのかと改めて思う。光が射すと見える世界が戻る。薄暗い中で空腹に目覚めていた鳥たちは、この光をさぞ待ち焦がれていたことだろう。夜明けとともに餌を探して飛び回る鳥たちのさえずり、これは命の賛歌なのだ。

鳥たちだけではない。
朝を待ち焦がれた羊たちの様子が聖書に出て来る。
(ミカ書2:13 この事について5月14日のこのブログ・・・聖書からの「示し(レーマ)考・・・の後半で触れている)
日暮れとともに石囲いの中に閉じ込められていた羊たち、夜明けと共に朝一番の草を、それこそ我先に先を争って食べようとする。きっと羊飼いが開ける出入り口の前に、押し合いへし合い、先を争って詰めかけているはずだ。何しろ朝一番の草は特別だ。朝露という極上のおいしい水スープ付きで食べられるのだから。
イスラエルという半乾燥地帯において水は貴重だ。朝一だけは、やわらかく露たっぷりの若草を食べられるのだ。(そのイメージ)

私も子どもの時、一頭の雌山羊を任されていたので、毎朝草場に連れて行くのだが、それが遅くなると山羊のご機嫌が悪かった。動物は食べ物にとりわけご執心だ。きっと早朝を楽しんで祈ったりするのは、人間だけの特権なのだろう。今朝は祈りの後、ウィリアムズ作曲の「揚げひばり」というヴァイオリンとオーケストラの曲まで聴いて、とても恵まれた。




ケパ








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主日礼拝

2018年05月20日 | 教会のこと
5月20日主日礼拝は、行われています。
本日は船橋勤労市民センター、
第1音楽室です。
会場は広いのでとても良いですが、

準備が済んだと思いましたら、
配信に問題あり。

なかなか、上手くいきませんが、ようやくライブ始まりました。


ドルカス


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あぁ!割れた

2018年05月19日 | 生活
昨日はピーターラビット封切りで観に行けて、嬉しかったのだけれど、

行く直前、コーヒーを飲み終えて後片付け、最後にしまう時〜


☝️この定位置に収めるが、きちんと収める前に引き出しを閉めてしまった。
勿論ドリッパーは見事に割れた。
あぁ〜あぁ〜
と言ってる私がいる。


この瞬間、コーヒー飲めない〜〜主よ感謝します。失敗しました〜飲めなくなったのは私のミスですと、踊って感謝したけど、割れた物は戻らない。
あぁ〜あぁ〜と呟かないこと!
と感謝し祈った。

今日は映画行くから、あの店で探してみようよ。

品定めして、いつものこれ。値段これってこの定価は、高すぎるね〜〜
ケパさんが、
すぐにネットで検索してくれて
わっ❗️です。あるじゃない、こんなに安くなるの、なんと4割近く安いよ

早速注文してくれて、
今日夕方には届いたのね〜〜
丸一日ぶりに家でのカフェ☕️しました。

このドリッパーは本当に気に入っていて、もう何度かミスって割っては買い換えてる。
その都度部品を取っておくけど〜必要ないね〜
さあ、このドリッパー。
大事に使おう。割らないようにね。
と祈りながらコーヒーを淹れ、コーヒーを味わった。
今日も主を崇めます。感謝します。


ドルカス





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ピーターラビットの映画

2018年05月18日 | 映画•映像
今日からこの映画を観ることができるようになった。つまり私たちは初日を待っていたわけである。

ビアトリクス・ポターのこの絵本は、娘たちへの贈り物として買ったのが三十数年前。このような小さな絵本セットで、絵も装丁もかなり凝っていた。たちまち子ども達はこの絵本のファンになった。懐かしい絵本だ。

映画は私が読んだのとかなり異なる展開で、ピーターがリーダーとして、マグレガーさんの跡継ぎとしてやって来た甥っ子と、しっちゃかめっちゃか戦うシーンが笑えた。
しかしいくら何でも、うさぎ退治にダイナマイトみたいな爆弾を投げまくるとか、最後にはピーターが起爆装置を押してピーターたちの家のある大木を爆発で倒壊させる・・・など、これはちょっとあり得なさ過ぎ、やり過ぎの感がした。「あり得ない」シーンを連発して笑いを取ればいいって言うものではないような。この映画は、作者のビアトリクスらしさ、愛らしい動物物語とは異なる世界だ。
しかしまあ、単純におかしくておかしくて、近年になく私は笑ってしまったけど。

【うさぎで想い出した閑話休題】
(1)どこの学校にも飼育小屋があって、うさぎを飼うのがほとんどだと思うが、職務上飼っていた者として、私はうさぎが苦手だった。かわいい生き物だが基本、土の中で住んでいる。またあの繁殖力は脅威である。手をこまねいていると、5、6匹ぐらいだったのが、すぐさま地面が見えなくなるほどうさぎだらけになる。それで困った教頭先生がうさぎをこっそり埋めてしまい、結局、自分が処分される事件も起こった。

(2)広島県に大久野島という島があって、元は旧軍の毒ガス製造の秘密基地があった島だ。そのため意図的に無人島にされた島で、戦後は野外活動などで使う国民宿舎ぐらいしかなかったのに、今ではうさぎ島として有名である。島中、うさぎである。というか、うさぎのフンを踏まずに歩くことができない。経緯を聞くと、ただ単に天敵が居なくて、何らかの理由で捨てられたうさぎがここまで爆発的に増えたとのことだった。パイ肉にするマグレガーさんも、島にはいなかったようだ。

ケパ



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キッチンから

2018年05月17日 | 食べる
ん〜〜
みごと過ぎる 玉ねぎ
上階の奥様からのいただき物。

巨大玉ねぎ〜〜
そして手作りの 🍓ジャム
ん?この組み合わせって

昨年は、イチゴ狩りのお土産だと、カゴにいっぱいの苺をそのままくださった。
今回はなかなか渡せなかったから、と言って
手作りジャムになって、頂きました。

(ヨーグルトに、🍓ジャム )
そのいちごハウス で育った玉ねぎが、これ。土壌が栄養満点なのだそうで、
巨大です
直径15㎝以上もある〜
さあ、これはどのように調理しようか。


ドルカス



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初めて電車の席を譲られ、命の使い方を思う

2018年05月16日 | 感謝
近くでの聖会の帰りの電車でのこと。シルバーシートでもないのに、初めて座席を譲られた。今風の若者が私をちょっと見て、「譲るべき」と判断されてしまった。初めてだったが、ありがたくお礼を言って、ドルカスの隣に座らせてもらった。ひょっとしたら、ドルカスの連れと言うおかげがあったのかも知れない。東京の電車では、夫婦や親子連れには皆さん、よく配慮してくれるのだ。(譲って立ってくれた若者の後ろ姿)

しかし今回は、ごく若い人が純粋に敬老精神で譲ってくれたと思う。今更ながら、(心は若いのだが)高齢者として認められる年齢になっていたのだと思う。母は長く生きたが、父は61で、前の妻は55で世を去った。これらの身近な人は譲られるほどではなかった。

一方私はこうして、相応の老化はあってもすこぶる健康で、席を譲られる年齢にしていただいた。神が生かしてくださっているこの命、ただ長く生きていれば良いとは思っていない。私には為すべき神の仕事(使命)がある。命はそのために神が置いてくださっていることを知っている。

席を譲られたこの日、改めてそれが全うできるよう、強く祈った。





ケパ






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姉の家で

2018年05月15日 | 生活
姪の介護と言ったら大げさに聞こえますか❣️
ひどいつわりの為に3週間の入院生活。食べる事も飲む事も困難な日々を、P牧師と同じ3週間の休養だと、涙ぐみながら感謝して受け取っていた姪でした。
そんなことになるとは、考えも及ばぬ3月始め、姉夫婦が山口行きの✈️チケット購入。それが退院と日程がぴったりだった。祈りは聞かれました。退院に間に合いますようにと祈ってたから。感謝!

その退院からだいぶ落ち着いてきたようでしたが、依然食事が取れず水分取れず、まるで一歳児の食事量だと心配してた姉は、
娘のために帰省を伸ばし、先週末にようやく自宅に戻った姉でした。が、
騙し騙し使ってたiPhoneが
なんと OUT 〜
という事で、
ようやく 📱iPhone8を手にした姉のSOS に答えて
2人で🚘姉の🏠へ来ました。

今日は、倹約😼して、国道を走る〜〜

何とか姉は、一人で対応したのですが、中々難所がありました。

夕飯過ぎてもケパさんは、大健闘


夕食は姉の手作り料理、手巻き寿司で、美味しくてついつい食べ過ぎましたね〜

ところで姉の家は、築35年程ですが洒落てます。何とバスルームが二階あり、壁付きの小さなベランダがあるの。

もう5年も、頑張って咲いてくれるのよ。アマリリスの花見てよ〜
シンピジュームも咲いたのよ〜
隣には、観音竹と、オモトの鉢があって
兄さんがどうしても私にプレゼントしたいらしいけど、お断りしましたの


遅くなりましたが、そろそろ帰ります。
ゆっくりと姪の話も聞けてホッとしました。

ドルカス





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聖書からの「示し(レーマ)」考

2018年05月14日 | 聖書
聖書---それは神の言葉であり、人類へのメッセージである。しかし単なるメッセージではなく、驚くべきメッセージである。

聖書なかりせば、教会やキリスト教はもちろん、今日の世界を無かった。自由、平等、人権はキリスト教の価値観である。

ただしその聖書に、多様な接し方があることは認めなければならない。私は聖書が全部か、または部分的、断片的に神の言葉だとする「揺れる土台」の教会信仰の中で長く生きた。ただその中にあっても私は、個人的に全体が神の言葉として信じていたが、聖書の記述の食い違う個所にイマイチ確信が持てないでいた。

しかし信仰を持って三十年して神にふれられる体験をし、カリスマ派になってからは、なんと愚かなことで迷っていたのかと思う。聖書は全体が神の言葉であって信仰により、筆者である聖霊によって読むのである。
すると新たな読み方に遭遇するようになった。信仰の書であるから、信仰的な受け取りを最優先し、ある意味で論理を無視して読み取れば良し、とする読み方である。いわゆる「示し」的な読み方である。この場合、論理的な読みを「ロゴス」と言い、示し的な読みを「レーマ」と考えても良いかもと思う。しかし実際にはレーマであっても、御心の正当なレーマかが問われる。

わかり易くするため、その一例を挙げたい。

"バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。"(マタイの福音書 11章12節)

このみ言葉をもとに、「皆さん、天の御国が危うくなっています。イエス様の時代、天国は実は危うかったのです。私は今朝、御国が敵から守られるよう、皆さんと共に祈ることを示されました」と語った説教者がいたとします。(こんなメッセージを聞くと、ミヒャエル・エンデ作の「はてしない物語」、映画の「ネバーエンディングストーリー」を私は連想してしまう。そこでは想像の世界が激しく攻められ、危うい)

これは説教者が「示されました」と言っている限りにおいて、その方への示しをとやかく言うことはできない。示されたことは個人的な示しで他者がとやかく言えるものではないからだ。しかしそれが一旦メッセージとして、自分以外の人びとに語られるとなれば、「証」としてならともかく話は別だ。

なぜなら、この説教者の理解は聖書全体から言っても誤った受け取りであるからだ。神の国が激しく攻められている? そんなことはありえない。「いや、そう書いてあるじゃないか! 」確かにその通り記述してあっても、違うのだ。

聖書全体を何度も読み、神様について程度の差はあっても分かりつつある方なら、「御国は激しく攻められています……奪い取っています」に違和感を覚えられるのではないだろうか。私たちが永遠に住む天の御国がそんな所だなんて・・・そんな馬鹿な」と。神は全能であり全知、永遠であり、十字架でサタンに勝利された、何よりも愛のお方です。そんな馬鹿な、と。

この箇所は「バプテスマのヨハネの日から今日まで」がポイントになる。それまで黄泉の国の深い淵で分けられていた、アブラハムの懐と呼ばれる天国的な世界が、キリストの十字架と復活で、天のエルサレムという神の国になった(ルカ16章19節〜を参照)。バプテスマのヨハネは旧約時代の最後にして偉大の預言者であって、彼はメシアが来られたと言う福音の先備えである。

そしてこの時代の人々は、何とかして新約の、罪が完全に赦される恵みの中に入ろうと、激しくまるで奪い取るがごとく望み、祈っていた。幼子イエスを祝福したシメオンや女預言者アンナスはその代表と言ってよい。福音と十字架の恵み、それは何とバプテスマのヨハネより偉大だったから。(マタイの福音書 11章11節を参照)

またその上述の様子は、まだ薄暗い明け方、囲いの中に閉じ込められた羊達が牧者を待ち、たっぷりの露を含ませた若草を食べたさのあまり、牧者が開ける門の前で押し合いへし合い、一番先に我先に出ようと争っている様子を連想ささる。このことを「激しく攻める者たちがそれを奪い取って」と言い表しているわけだ。(ミカ書 2章13節参照)

このように、聖書全体から違和感を感じること、それを大切にし、神に祈り解き明かしを求めることが正し聖書理解を得、神の奥義を学ぶことになる。特に説教者は示しだからと言って、よく吟味をしないで語ってはならないと思う。

聖書を読むこと、そして示されることは、大切な恵みだ。ただ、預言に限らずどんなことでも吟味すること、本当に神から来たのか、は忘れてはならないことだ。
神の言葉を取り次ぐ説教者なら、自分への示しや受け取りを語る時に、それが本当に他者に適応するものなのか、絶対に祈りと吟味が必要です。自分は罪ある人に過ぎないのであって、誤り易いし、もしそんな所があったとしたら、悔い改め、信者に自分の誤りを公表訂正する謙虚さが、かえって神に義とされ、引き続き用いられて行くポイントだと私は思っています。




自戒をこめて、ケパ






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おはようございます

2018年05月13日 | 教会のこと
5月13日主日礼拝の朝、

今日も礼拝ご一緒に。

礼拝が始まりました。


後半です。牧師賛美


今日のメッセージは、✝️ 1コリント 10:13
から試練とみ言葉 をテーマに、話されてます。
後は、配信からお聞きくださいね(๑˃̵ᴗ˂̵)

(トップの赤い実美しいですね。聖書の、御霊の実 を思い浮かべてしまいます。
苗代グミと検索して見つけました)

ガラテヤ人への手紙 5章22〜23節
"しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。"


ドルカス



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ひがし東京聖会

2018年05月12日 | 聖会・キャンプ・集会
少しのお手伝い頼まれて、は口実にしてね(๑˃̵ᴗ˂̵) 来てます。

前半はもちろんゴスペルコンサート
2チームですから、一時間たっぷりです。

最初は、Gospel Seed から
はるみさん、着物でピアノね。

新しいメンバーは、松っちゃんね

ギターはお任せ❗️ですって。

続いては GIFTS 。♪世界の終わりから

やっぱり最後には、God is Love
で盛り上がりました。


休憩を挟んで。後半は聖会です。

最初に洗礼式があって、私達、同席出来てとても恵まれました。

Sメッセージは、
小岩教会の、三本松牧師が
✝️詩篇 105:18-19
主の言葉は彼をためした。から、
証しメッセージは、恵みですね〜

後半は、秋元牧師による賛美の導きと、メッセージの時。

今日はここへ来る前に2箇所の治療に行って来たと話されて
首の痛み、腰の痛み、そしてなんと巻き爪の治療のために爪を部分的に切って歩きづらい。三重苦だと(笑)誘って話されました。
足先は👞サンダルでしたので、痛くないですね。


メッセージは ✝️ヤコブ 1:2 から
試練にある時は、この上もない喜びと思いなさい。でも、試練の時は暗くなるのですと。
明るくするには窓を開けましょう。
その窓とは、神の約束の言葉ですよ〜
み言葉の窓を開けましょう。


6日のこころごすぺるダイレクト動画、
1分動画を見ながらのお話もありました。


ドルカス



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