5月20日(日)吾妻耶山(関東百名山)~大峰山を歩いてきました。
M旅行主催の日帰りツアーです。
:仙岩峠登山口
関越道水上IC⇒一般道を経て、10:30 仙岩峠登山口へ。
:晴天です。
エンレイソウが多かった登山道、を”ヒル”の話をして歩いていたら・・・
: ヒル
尾根道に出て休憩、落ち葉の中から顔を出していた。
ヒル警報発令- - -(ネットの情報は正しかった!!)
:仏岩
11:05 仏岩(説明の必要はない)新緑が眩しい。
尾根道を歩く、シャクナゲが出てきた。
蕾もあるし、咲いているものも少ない。よく言う外れ年か?
11:40 ここから約20分、急途を登る、木の根に滑らないように注意して。
振り返ると、谷川連峰が顔を見せる。
登りきると雪渓が残っている場所へ。
ここから山頂までは、キクザキイチゲ、アズマイチゲ、スミレのミニお花畑、ここはまだ春?
12:25 山頂。まずは谷川連峰の眺望を御覧下さい。
左から苗場山・大源太山・平標山(たいらっぴょう)・仙ノ倉山・万太郎山・谷川岳(遠く巻機山)
朝日岳・笠ガ岳・白毛門と見える。まさに谷川岳の展望台だ。
山頂には3つの大きな祠がある、それぞれ寄進した村の名前が刻まれている。
笠の部分には「六文銭」=真田家の家紋が刻まれている。
祠にも悲しい過去が・・・(後述する)
吾妻耶山の由来は、山容が特異な四角形をしており「四阿造り」の屋根に似ていることから命名されたとある。
昼食を食べる、”晴天・眺望”は何にも代えがたい「おかず」になった。
:赤谷越峠
大峰山へは一度下って、登り返す。
:ワチガイソウ :ハルリンドウ :ショウジョウバカマ
大峰山の登りで会ったお花たちです。
:大峰山頂
13:50 大峰山頂、眺望はない、灌木越しに水上の町が見える。
大峰山からの下りで咲いていた、こちらはシロバナエンレイソウだった。
:大峰山登山口
:大峰沼
14:30 大峰沼へ、浮島・湿原がある、「バードウォッチング」が楽しめる。
15:00 林道を下り、バスの待つ駐車場へ。ウスバサイシンが2輪咲いていた。
「真沢の湯=さなざわ」で汗を流し、新宿への帰途に着いた。
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(行程:標高差484m、約9.7km、4時間30分)
7:45 新宿駅西口=水上IC= 10:30 仙岩峠登山口 ⇒11:05 仏岩
⇒11:40 急途下 ⇒ 12:25~12:55 吾妻耶山頂 ⇒13:50 大峰山頂
⇒14:30 大峰沼 ⇒15:00 駐車場 ⇒真沢の湯 ⇒20:00 新宿駅西口
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:山頂にある祠の悲しい歴史
山頂の入口に山門ともとれる石柱が2本立っている。
1662年に沼田城主真田伊賀守(真田信利)がここに神社を建立したとある。
この人物はとんでもないやつ、いわゆる悪代官。
1656年23歳で沼田城主となり、本家筋の信州松代真田家に対抗して、華美を競い、建築や土木に
巨費を投じたうえ、側役人の妖言に乗って、日夜酒食の乱交にふけり、藩政を乱した。
その付けを領民に払わせ、血税(八公二民)を課した。
それに抗議した茂左衛門(農民)が「領主の非行、領民の惨状を認めた訴状」を作成、
これを上野東叡山のニセ文箱に将軍宛直訴状を入れ、中山道の茶屋に置き忘れたように装い立ち去った。
(当時は農民が”お上”に訴える方法は皆無といっていいくらいなかったのだろう)
これを見た幕府は沼田藩を調査、領主の罪状取り調べとなり、1681年11月伊賀守は閉門を
命ぜられ、領地召し上げとなった。
これで茂左衛門が救われ、土地の英雄となれば”めでたしめでたし”となるのだが、そうわいかない。
一時身をひそめていた茂左衛門が、領内の様子を知りたく、月夜野に戻る。
本望をとげたうえは自首するつもりで妻に別れを告げ、小袖坂まで戻ると幕府の隠密に捕まった。
縄を打たれ江戸に送られ、取り調べの上所成敗となり、1682年12月妻とともに月夜野橋の竹の
下の河原で磔刑された。 (茂左衛門地蔵尊発行のパンフより抜粋)
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こんな領主が建立した神社だから、純粋な信仰とは縁遠いかも?
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