5月17日(木)高鈴山(茨城県日立市)に登ってきました。
高鈴山は、花の百名山(田中澄江著)センブリ(リンドウ科)で紹介されています。
:案内です。
常磐線日立駅から、日立電鉄バスで御岩神社バス停に向かいます。
:御岩神社の看板
9:10 「常陸最古の霊山」御岩神社へ・・・。 (クリックすると大きくなります)
:シラー(カンパニューラ) :ハナイチゴ :カキツバタ
民家の脇に花が咲いていました。
:御岩神社入口
9:15 ここから「御岩神社」へ
水戸光圀が「大日本史」編纂にあたり、祈願したといわれる由緒ある神社。
「大仁王門」、額には「萬世泰國」の字が。
御岩山の三本杉。
:今日のパートナーです。
境内に咲いていた花たちです。
:シャクナゲ(もう終わりみたい) :ナナフシがいます :シャガ
:ショウジョウバカマ :スミレ
:心を洗って
9:30 神社の裏から登山道(奥ノ院への参道)が始まります。
:薩都神社
登山道にはホウチャクソウ・チゴユリが多い(というかそれしかない)
:新設の標識
賀毘礼神社(奥ノ院)はみるも無残に荒れていた(写真なし)
ここから御岩山(神山)への登山道は、震災の影響で岩が不安定で「迂回せよ」の指示。
大きな岩が続くので「イワウチワ」が楽しみだが、終わっているとの判断で素直にトラバース。
新緑にヤマツツジが彩やかだ。
:御岩山(492m)
10:15 アセビに囲まれた御岩山頂、眺望はない。
アセビの密林帯が続く。
:山頂
10:45 東屋を経て、林道(舗装)を歩き山頂へ。
:案内板 :雨量レーダー設備 :周囲案内板
山頂にはなぜか「クマンバチ」が飛んでいる、刺されてもこまるので早々に退散。
:展望台からの眺望 :太平洋も見えず
四辻までは舗装林道歩き、ここで会った花以下に紹介します。
:ヤマツツジ :ダンディ・ライオン :馬酔木
:四辻分岐(実際は五辻だった)
11:20 四辻分岐へ、①助川城跡を経て日立市内へ ②大角矢南林道で日立太田市へ
我々は③大角矢林道で本山キヤンプ場へ下った。
12:05 県道へ出たが、バス時間までは30分あったので、県道を約3km下った。
:一本杉バス停
12:40 大雄院事務所前バス停に着いた。
バス停後ろは「ある町の高い煙突:新田次郎著」のモデルになった、工都日立のシンボルとなった
「大円突」が見える。
「大煙突」を紹介しよう。
日立鉱山は、足尾銅山、別子銅山(愛媛県新居浜市)、小坂鉱山(秋田県小坂町)と並び日本四大銅山
の一角を占めており、銅の生産で栄えた町でした。
足尾銅山の公害、渡良瀬川を汚染させた「足尾鉱毒事件」は日本の公害の原点とされています。
日立銅山も例外ではなく、鉱毒水のため、水田の8割で稲の作付ができなくなった。
対策として、一部を買収、一部には別の水源から用水路を設け、水引く等対策で耕作が可能なまでになった。
残ったのは、製錬所の煙突から出る、近隣の農作物に影響を与える煙害問題。
対策として1914年に155.7mの煙突が建設されました(当時世界一)これをテーマに書かれたのが
「ある町の高い煙突」という小説です。
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『ある町の高い煙突は、ただ高いだけではない
住民とともに苦しみ、自らの手で解決した、企業の強い責任感があった』
と結ばれているようです。
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この煙突は1993年2月19日の突然の強風のため、折れ上部2/3が倒壊してしまった。
今の残っているのはその残骸です。
また、日立鉱山は、煙害の被害を受けた山々に独自の植林を行った。
煙害に強い樹木としてオオシマ桜も植えた。高鈴山にオオシマ桜があるのは、このようなストーリーがあったのだ。
現在の日立鉱山は日本鉱業に引き継がれ、銅箔を生産する工場として稼働している。
:日立駅前のモニュメント
14:44バスで日立駅に戻り、昼食後帰宅に着いた。
行程(標高差343m、約10km、3時間30分)
8:40 日立駅バス停発 ⇒9:10 御岩神社バス停着 ⇒9:30 御岩神社
⇒10:15 御岩山頂 ⇒10:45~11:00高鈴山頂 ⇒11:20 四辻 ⇒12:05不動滝バス停
⇒12:40 大雄院事務所前バス停発 ⇒13:00 日立駅バス停着
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