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・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

富士山・佐白山

2017年03月02日 | 関東百名山

富士山と名乗る山は、全部で15ある。

関東地方に多い、茨城県には5つ、隣りの栃木県には4つある。

茨城県笠間市にある富士山140mと、隣りの佐白山182mを歩いてきた。

富士山:佐白山の北西にあり、富士山ツツジ公園がある。

佐白山:笠間稲荷神社の背後にあり、眺望のよい景勝地。   【日本山名辞典】

10:00 常磐線~水戸線を乗り継いで笠間駅へ

約1.5km線道路の先に・・・  

笠間稲荷が

①笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)は、古くから庶民の神様として広く信仰を集めてきた神社。

日本三大稲荷の一つです。②佐賀祐徳神社

お稲荷さまの総本社は京都の③伏見稲荷大社ですが、創建時期は伏見稲荷よりも古い661年、

1,350余年の歴史があります。 

毎年80万人が訪れる、茨城県で最も参拝者数の多い神社です。

お洒落にマフラーをしています

晴れてきました

これが「本当の」仲見世です

富士山~佐白山へ

坂東札所二十三番「佐白山正福寺」へ

本堂の左側を行くと・・・

つつじ公園(富士山)まで330m 

富士山の跡は、この石碑に残っていました。(三角点も標示もなし)

西側の眺望:いづれも関東百名山

つつじではない山頂にあった木、佐白山へ 

大黒石(茨城県は石の遺跡が多い)

「関東ふれあいの道」です、看板はともかく「道の管理」が今一つです。

佐白山一帯が「笠間城跡」です。

笠間城中世には宇都宮氏の一族が笠間氏を称して居住しました。

天正十八(1590)年小田原の役では、宗家である下野宇都宮国綱が豊臣方についたのに対し、

笠間綱家は北条氏に味方した。

小田原開城ののち、宇都宮国綱は秀吉の命で笠間氏を、箱田村で討ち取り、笠間氏は滅亡した。

笠間氏滅亡後は蒲生・松平・小笠原・永井・浅野・・・などの諸氏が入替わり、

忠臣蔵で有名な浅野氏は、ここから赤穂藩に移った。

大石内蔵助が居城としていた時代もあります。

城の遺構、なんと言っても最大の見所は天守曲輪の石垣

関東では石垣の城自体が珍しい、こんなに堂々とした天守台はほかでもあまり見られない。

巨大な石がゴロゴロしています。 

(佐志能神社の基礎は巨大な石の上に建っていました)

苔むした石段、中世の山城です。

この上に「佐志能神社」が  

最後の石段 

佐白(さしろ)が訛って佐志能(さしの)となったようです。

天守閣跡に建っているので、何か変?

調べると①笠間城築城の際に、現在の場所から下の村に移された。

明治維新後、②元あった場所に戻されたようです、納得!!!

訪れる人もいないようで、荒れていました。

一段下がった「八幡櫓跡」に佐白山▲点がありました。

佐白山麓公園に下ります。  

大石内蔵助像(@山麓公園)

        

:梅                             :てんとう虫

12:30 笠間駅に戻った。

標高差132m、約11km、2.5時間の行程でした。

このコースとの出会いは、「山と渓谷」巻末にある低山歩き。

富士山と佐白山[ふるさと富士と三大稲荷の初詣でを楽しむ新春ハイク]

何時かはと思いスクラップしていました。

 今回茨城県に所用があったので、少し早く出て歩いてきた経緯にある。

茨城県、高い山はないですが、いくつか歩いています。

高鈴山、奥久慈男体山、八溝山、筑波山、吾国山、加波山(関東百)

今年は盛金富士へ「イワウチワ」の群落をにと考えています。



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