(原題:BOWLING FOR COLUMBINE )2002年作品。99年にコロラド州リトルトンのコロンバイン高校で起こった銃乱射事件の取材を皮切りに、アメリカを覆い尽くす“暴力の連鎖”の実態に迫ろうというドキュメンタリー。
監督のマイケル・ムーアは事件の要因を安易に“アメリカの銃社会”に収斂させようとはせず、さらに掘り下げた考察を行っている。たとえば、アメリカでの銃による犠牲者数が他国と比べて桁外れに多い事実や、銃社会を擁護する全米ライフル協会(NRA)の夜郎自大ぶりを紹介すると同時に、暴力をアイデンティティのひとつとして認知しているかのような米社会の本質を探ろうとしている点は興味深く、それが“恐怖と憎悪”であるとの結論を出していることも評価したい。
面白いのは同じ銃社会であるカナダとの比較で、銃が市中に出回っている状況こそ似ているが、犯罪発生率がアメリカに比べて格段に低い実態が示される。この例を見ると“銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ”とのNRAの主張も、あながち間違ってはいないように思えてくる。
しかし、残念ながらムーアは“ではなぜアメリカ社会は恐怖と憎悪に溢れているのか”という本質には到達していない。暴力に彩られた近代史を持つ国はアメリカ以外にもたくさんあるのに、どうしてアメリカだけが犯罪大国になったのか。彼はその疑問を提示はするものの、そこから先には進めない。せいぜいNRA会長のチャールトン・ヘストン宅に押し掛けて悪態を付く程度のパフォーマンスしか見せられないのだ。
彼に欠けているのは“歴史を見る目”である。アメリカ建国の経緯を先住民への弾圧と英国との戦争といった皮相的な面からしか捉えていない。アメリカの歴史はヨーロッパやアジアの国々とはどう違うのか。同じ新興国であるカナダと異なる点とは何か。そこまで突っ込まないと意味がない。考えさせられる映画でありながら、いまひとつカタルシスが足りないのは、このへんに原因がありそうだ。