興味を引かれるシーンもあるのだが、結果としては要領を得ない作品に終わっている。心を持ってしまったダッチワイフが出会うのは、年下の上司にいつも怒られている冴えない中年男の持ち主をはじめ、自首マニアの老女や、毎朝一人きりで朝食を取るビデオショップの店長、鬱屈した日々を送る浪人生、人生に行き詰まってしまった中年女、惰性で生きる警察官など、絵に描いたような孤独を抱え込んだ連中ばかりだ。
しかしながら、その孤独の有り様が図式的に過ぎる。彼らの状況が観る者に幾ばくかの共感を与えることはあっても、全面的に受け入れられるキャラクターではない。孤独感を抱きながらも、それを封じ込めて何とか世間との折り合いを付けている大多数の者達にとって、こういった頭の中だけで考えたような極端なケースばかりを提示されても、戸惑うばかりだ。
たぶん劇中で老人がつぶやく“身体の中は空っぽだ。今時は皆そうだろう”というのがテーマなのかと思うが、今さらこんなこと言われても“だから何だよ”とボヤきたくなる。
ヒロインと深い関係になるビデオ屋勤務の青年は重要なキャラクターであるはずだが、どういう内面の構造をしているのかまったく分からない。以前付き合っていた恋人がいて、それでヒロインをその“代用品”にしていることは窺えるが、それがなぜ終盤にああいう事態になってしまうことに繋がるのか、全然理解できない。
彼はただの変態で、ヒロインはそれに付き合っているうちにエスカレートしてしまったという筋書きなのだろうか。だとしても、それは“どうでもいい屁理屈”のこね回しに過ぎない。こんな無理なプロットを積み重ねているから、ラストで過食症の女が呟くセリフが空々しくなってしまい、中途半端な幕切れを露呈させることになる。
ただし、空気人形を演じるペ・ドゥナの頑張りが何とか作品を“救いようのない駄作”になることから回避させている。わざわざ韓国から呼んできたこの個性派女優の独特の透明感、何とも言えないエロティシズム、そしてある意味“一般ピープル”とは違う容姿が映画に奥行きを与えている。好きな相手から空気を入れられて官能の表情を浮かべるくだり、そして部屋の中を浮遊する場面などは、今年度の邦画では屈指の名場面だと思う。メイド姿をはじめとするコスプレも、モデル体型のせいもあってか実に良く似合っている。
彼女のキャスティングだけが全てであると言って良く、板尾創路やARATA、余貴美子といった他の面子はどうでもいい。なお、台湾の撮影監督リー・ピンビンによる透き通るような映像は要チェックだ。