2002年作品。沖縄を舞台にしたコメディ「ナビィの恋」(99年)が大好評だった中江裕司監督作品。またしても沖縄の風土をバックに、超オテンバな女子小学生とその家族の非凡な日々をスケッチ風に追う。
感想だけど、まったくダメ。なぜ「ナビィの恋」があれほど面白かったかというと、沖縄出身ではない中江監督が“部外者の立場”を崩さず、沖縄独特の風俗を取り入れながらも、それらと距離を置きつつ、“面白い恋愛コメディを作ってやろう”という初志を貫徹したから。つまりは“素材に淫すること”を拒否して普遍的なコメディ映画の王道を歩んだことが大きかったから一般の観客にアピールできたのである。
ところがこの作品は“沖縄の精霊”だの“戦時中の哀しい歴史”だのといった“沖縄独自のモチーフ”に必要以上に接近し、それにドップリ浸かってしまっている。肝心の話はといえば、毒にも薬にもならない微温的なものばかり。要するに凡百の“沖縄エキゾチック映画”と同じ。冒頭に出てくる行き倒れ同然でホテル・ハイビスカスにたどりつく本土の若者の扱いが極めていい加減なのがそれを象徴していよう。
我々は“部外者による沖縄かぶれの映画”など観たくはないのだ。まっとうな娯楽映画を観たいのだ。部外者のくせに“利いた風な口を叩くな”ってのが正直な感想である。
なお、公開当時に評論家連中が誉め上げていた子役の蔵下穂波だが、私には単なる“うるさいガキ”にしか思えなかった。もっと“しつけ”が必要である。
感想だけど、まったくダメ。なぜ「ナビィの恋」があれほど面白かったかというと、沖縄出身ではない中江監督が“部外者の立場”を崩さず、沖縄独特の風俗を取り入れながらも、それらと距離を置きつつ、“面白い恋愛コメディを作ってやろう”という初志を貫徹したから。つまりは“素材に淫すること”を拒否して普遍的なコメディ映画の王道を歩んだことが大きかったから一般の観客にアピールできたのである。
ところがこの作品は“沖縄の精霊”だの“戦時中の哀しい歴史”だのといった“沖縄独自のモチーフ”に必要以上に接近し、それにドップリ浸かってしまっている。肝心の話はといえば、毒にも薬にもならない微温的なものばかり。要するに凡百の“沖縄エキゾチック映画”と同じ。冒頭に出てくる行き倒れ同然でホテル・ハイビスカスにたどりつく本土の若者の扱いが極めていい加減なのがそれを象徴していよう。
我々は“部外者による沖縄かぶれの映画”など観たくはないのだ。まっとうな娯楽映画を観たいのだ。部外者のくせに“利いた風な口を叩くな”ってのが正直な感想である。
なお、公開当時に評論家連中が誉め上げていた子役の蔵下穂波だが、私には単なる“うるさいガキ”にしか思えなかった。もっと“しつけ”が必要である。



