作品のコンセプトが中途半端だ。ちゃんとした時代劇なのか、単なるファンタジーなのか、まるで判然としないまま終わってしまう。廣木隆一監督はこういう“ヅラもの”を撮るのが初めてであるのに加え、本来上手い演出家ではないことも相まって、煮え切らない結果になってしまった。
19世紀前半、徳川将軍・家斉の十七男である清水斉道は幼い頃の母親による虐待が原因でメンタル的障害を負っていた。静養のために家臣の瀬田助次郎の故郷である江戸近郊の瀬田村に一時滞在した彼は、そこで地元民から“天狗”と呼ばれる野生の娘と偶然出会い、恋に落ちる。彼女は実は赤子の頃に誘拐された助次郎の妹で、庄屋の娘の遊だった。育ての親であった田中理右衛門とも別れた彼女は山から里へ降りることになるが、どうもそこの暮らしには馴染めない。そんな中、斉道の命を狙う一団が暗躍し始める。
山の中のシーンに違和感があると思ったら、ロケ地は沖縄らしい。わざわざそんな場所で撮るからには通常の時代劇とは一線を引いたおとぎ話のタッチで映画を進めたいのかと思ったが、斉道の周囲の人間模様は従来通りの時代劇調なのだから、観ていて居心地が悪い。しかも、事の原因となった藩同士の勢力争いも、斉道が抱く屈託についても、表面をなぞるのみ。まったく深みがない。
日本版「ロミオとジュリエット」との触れ込みなので、映画の主眼はラブストーリーであることは分かるが、これがヘンに現代風なのだ。少なくとも、チョンマゲを結ったまま“愛している”などという浮ついたセリフは吐いて欲しくない。
廣木監督の仕事は相変わらずテンポが悪く、1時間半程度でサッサと終わりそうなネタを、段取りが悪いおかげで2時間以上も引き延ばす結果になってしまう。安手の書き割りのような“雷桜”のセットをはじめ、画面に隙間風が吹きまくっている。
斉道に扮した岡田将生はここでも大根で、心に傷を抱えた悲運の若侍にはまるで見えない。家老役の柄本明も頑張ってはいたが、話がこんな軽量級では空回りしている感がある。時任三郎や大杉漣、池畑慎之介、坂東三津五郎といったキャストも十分動かしていたとは言い難い。
唯一良かったのが、ヒロインを演じる蒼井優。表情や声の質を微妙に変えることによって、キャラクターの内面にグッと迫る表現力を発揮しているのはさすがだ。立ち回りシーンに見られる身体能力の高さは言うまでもない。ハッキリ言って、彼女が出ていなかったら途中退場していたようなレベルのシャシンである。