クセの強い(でも面白い)芥川賞受賞作品を山下敦弘監督がどう料理するのか興味があったが、及第点には十分達する出来で感心した。何より主演の森山未來に尽きる。
彼が演じる19歳の北町貫多は、酒とタバコと風俗通いにしか興味が無く、中学を出てからずっと日雇いの仕事で糊口を凌いできた。父親が性犯罪者だったという点は幾分同情は出来るが、向上心とか将来展望なんかは毫も持ち合わせておらず、まさに地べたを這いずり回るように生きている、絶対に知り合いたくないタイプの人間だ。
ところがこれを森山が演じると、決して絶望的に暗くならない。彼のスポーティな体格と、飄々とした持ち味は、どんなダメ人間にでも“まあ、何とかなるんじゃないの?”といった楽天性を付与させてしまう。しかも、それをワザとらしく見せないほどの、しっかりとした演技力もある。彼を主役に選んだ時点で作品の成功は約束されたようなものだ。
貫多は職場でアルバイト学生の正二と親しくなり、初めて“友人関係”というものを体験する。さらに、かねてより気になっていた古本屋で働く康子に、正二の力を借りてアプローチすることも出来た。しかし、何事も“初めて”というのはスンナリ上手くいくことは少なく、貫多はシビアな現実の前に狼狽えて結局は“退散”してしまう。
しかし、それでも貫多にとっては正二や康子と(一時的にでも)付き合えたのはプラスであったのだ。たとえ、倉庫仕事で事故に遭った先輩を前に立ち尽くすしか無かったとしても、また独居老人の“下の世話”をすすんで引き受ける康子のそばで所在なげに佇むだけであったとしても、それまでの貫多の生活では絶対に出会えない体験である。人間、ほんの少しでも視線を“外”に向ければ、幾ばくかは“成長”していくものなのだろう。若い主人公にとっては尚更だ。
時代設定が80年代半ばというのが効いている。貫多のような貧しい連中もいて、若い奴らは総じてカネを持っていない。でも、世の中全体は決して暗くなかった。貫多にしてみたところで、捨て鉢になって犯罪に走ることもなく、生活保護をつまみ食いしようなどという邪な気持ちには縁が無い。しかも彼の趣味は読書なのだ。当時は最低限のプライドは(無意識的にでも)保持していこうという心理が誰にでもあったように思える。
翻って現在はデフレによって低階層の実質的な“貧困度”は80年代よりもマシになったとも言えるが、出口の全く見えない不況により鬱屈度は昔よりも昂進している。そういった社会風刺を忘れていないところも本作の質的な厚みが増している要因であろう。
終盤での、山下監督らしい映像的仕掛けは面白い。貫多の“前の彼女”との掛け合いに見られるシュールな生臭さ(?)は、脚本を担当したピンク映画の名匠いまおかしんじの手柄だと思う。そんな作家性を堪能できることも本作の見所の一つだ。正二に扮した高良健吾は如才ない若者を上手く演じていたし、原作には出てこない映画オリジナルのキャラクターである康子を演じる前田敦子も悪くない。まあ、(今のところ)トップアイドルの一人である彼女が、どうして出演作としてこういうマイナー風味の作品を選んだのか(あるいは、選ばれたのか)、個人的にはそっちの方に興味があるが・・・・(笑)。
あと関係ないのだが、高良健吾が劇中で着ていた服は当時のトレンドが反映されていて、実に懐かしかった。私も昔は彼が着ていたような衣装をたくさん持っていたものだ。もちろん決して安くはなかったのだが、やせ我慢してでも身に付ける物には手を抜かないといった、そんな風潮があったように思える。