(原題:The Sessions)とても感銘を受けた。重いテーマを扱っていながら作品には大らかなユーモアが感じられ、印象は実に軽やかだ。もちろん、観客への問題提起も忘れてはいない。こういうのを“プロの仕事”と呼ぶべきなのだろう。
時代設定は80年代後半、主人公マーク・オブライエン(実在していた人物である)は幼い頃に患った小児麻痺のため、首から下の体を動かせない。しかも肺を動かす筋肉も衰弱しており、“鉄の肺”と称するカプセル型の呼吸器の中で一日の大半を過ごさねばならず、そこから出てしまえば数時間しか活動出来ない。そんなハンデを抱えながらも大学を卒業し、詩人兼ジャーナリストとして自活している。しかも、昼間は介護人の助けを借りているとはいえ、基本的には一人暮らしだ。
38歳になった彼の一番の悩みは“性”であった。首から下の皮膚感覚は常人と変わらないが、手足を動かせないのでセックスには縁遠い。思い切って若い女性ヘルパーに告白してみたが、あっさりとフラれてしまう。そこでセックス・サロゲート(代理人)と呼ばれる、心や体に障害を負った者を異性と関係を持てるように導くカウンセラーの助力を請うことになるが、そのサロゲートのシェリルとの出会いにより、彼の人生は新たな展開を迎える。
本作の素晴らしさは、まずセックスの何たるかを描いている点にある。マークは他人の身体に触れることが出来ない。だがシェリルの助けを得て初めてそれを経験する。マークが味わうセンス・オブ・ワンダーを想像すると思わず笑みがこぼれてしまうが、肌と肌とを合わせて“素”の相手に(対等の立場で)近付くという、いわば理想型から入った彼はラッキーだと言えるだろう。セックスとはただ快感を味わうだけの行為ではなく、相手を認め合うことだ・・・・という作者の真っ直ぐなポリシーが垣間見られて感心した。
また、まだ見ぬ明日への扉をこじ開けようとするマークをはじめ、マークを支えるブレンダン神父やヘルパー達に至るまで、登場人物すべてが前向きであるのが素晴らしい。もちろんそれは出来合いのスローガンとしてのポジティヴネスではなく、彼らがそれまでの人生の中で培った肯定的な物の見方の蓄積が、言葉や態度に表れていると言える。
主演のジョン・ホークスのパフォーマンスは極上だ。首から上だけの演技で、深みのあるドラマを演出するその実力には舌を巻くばかり。シェリルに扮するヘレン・ハントも名演だ。こんなに実力があって魅力的な女優だったとは、ついぞ知らなかった。実年齢を感じさせない引き締まったボディにも目が釘付けになる。また、神父役のウィリアム・H・メイシーの絶妙のサポートは言うまでも無い。監督ベン・リューインも子供の頃に罹ったポリオで足に障害を負っているが、それだけ主人公に対する思い入れも格別であっただろう。