2003年作品。戦国時代、母を失い孤児となった少女・あずみが刺客の養成所に入れられ、過酷な運命をたどる様子を描く。小山ゆうによる同名コミックの映画化だ。
出来としてはどうも釈然としない。当時のプロデューサーの弁によると、冒頭近くの仲間同士が殺し合うシークエンスを観客に納得させるため何度も脚本を書き直したらしいが、映画を観てもそのあたりは全く解決していない。誰がどう考えても、5人より10人で行動する方が目的達成の上では効率的ではないか。それを登場人物たちは“使命のためだから”と何の疑問も持たず友人を手にかけてしまう。

ならば映画は“その使命とは何か”を徹底的に描き出す必要があろう。しかし、ここには“平和のためのテロ”という御為ごかしのスローガンが提示されるだけで、それを登場人物たちがどう咀嚼して折り合いを付けているのかさっぱりわからない。
しかもその頃の雑誌記事によれば、主人公たちが初めて人を殺した時に見せる苦悩や、裏社会を生きねばならない自らの運命を受け入れる場面なんかをすべてカットしているらしく、代わりに敵方の権謀術数やキャラクター説明など、不必要だと思われる部分を延々と流しており、その結果が2時間半という時代活劇にしては長すぎる上映時間に繋がっている。これは明らかに脚本と編集の不備だ。
アクション場面についてはさすが「VERSUS」(2001年)などで定評のある北村龍平監督らしく、スピード感のある仕上がりになっている。特に終盤の“縦方向360度カメラ移動”には驚いた。しかし、往年の時代劇に比べると随分と物足りない。クライマックスの“二百人斬り”にしても、たとえばかつて「大殺陣 雄呂血」(66年)で市川雷蔵が見せた阿修羅のような立ち回りなどには遠く及ばない。邦画界にまともな殺陣が出来る人材がいなくなったことの現れだろう。
主演の上戸彩は熱演だが、当時の彼女はこういうハードな役柄をこなすにはまだ“可愛すぎる”。それより敵役のオダギリジョーの悪ノリぶりには大笑い。演じていてさぞかし楽しかっただろう。また小橋賢児や成宮寛貴、金子貴俊、瑛太、小栗旬といった後年活躍する人材を並べているのも興味深い。
出来としてはどうも釈然としない。当時のプロデューサーの弁によると、冒頭近くの仲間同士が殺し合うシークエンスを観客に納得させるため何度も脚本を書き直したらしいが、映画を観てもそのあたりは全く解決していない。誰がどう考えても、5人より10人で行動する方が目的達成の上では効率的ではないか。それを登場人物たちは“使命のためだから”と何の疑問も持たず友人を手にかけてしまう。

ならば映画は“その使命とは何か”を徹底的に描き出す必要があろう。しかし、ここには“平和のためのテロ”という御為ごかしのスローガンが提示されるだけで、それを登場人物たちがどう咀嚼して折り合いを付けているのかさっぱりわからない。
しかもその頃の雑誌記事によれば、主人公たちが初めて人を殺した時に見せる苦悩や、裏社会を生きねばならない自らの運命を受け入れる場面なんかをすべてカットしているらしく、代わりに敵方の権謀術数やキャラクター説明など、不必要だと思われる部分を延々と流しており、その結果が2時間半という時代活劇にしては長すぎる上映時間に繋がっている。これは明らかに脚本と編集の不備だ。
アクション場面についてはさすが「VERSUS」(2001年)などで定評のある北村龍平監督らしく、スピード感のある仕上がりになっている。特に終盤の“縦方向360度カメラ移動”には驚いた。しかし、往年の時代劇に比べると随分と物足りない。クライマックスの“二百人斬り”にしても、たとえばかつて「大殺陣 雄呂血」(66年)で市川雷蔵が見せた阿修羅のような立ち回りなどには遠く及ばない。邦画界にまともな殺陣が出来る人材がいなくなったことの現れだろう。
主演の上戸彩は熱演だが、当時の彼女はこういうハードな役柄をこなすにはまだ“可愛すぎる”。それより敵役のオダギリジョーの悪ノリぶりには大笑い。演じていてさぞかし楽しかっただろう。また小橋賢児や成宮寛貴、金子貴俊、瑛太、小栗旬といった後年活躍する人材を並べているのも興味深い。