元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Diner ダイナー」

2019-08-12 06:47:31 | 映画の感想(英数)
 内容に関してはまったく期待しておらず、見どころは“外観”のみであると割り切っていたので、けっこう楽しめた。まともなドラマツルギーや、ウェルメイドな娯楽性なんかをこの映画に求めてはいけない(笑)。ただ、キャストは多彩なので“俳優を見たい”という観客にはアピール出来ると思われる。

 地味で何の取り柄も無い大場加奈子(大馬鹿な子)は、バイトで食いつなぐ冴えない毎日を送っていた。そんな彼女がネットで偶然“日給30万円の仕事口(ただしリスクあり)”を見つける。嬉々として応募した加奈子だが、それは闇社会の“運び屋”だった。



 そんなヤバい仕事に失敗し、加奈子は悪者どもから危うく殺されそうになるが、思わず“自分は料理が上手いから”生かしておく価値がある!”と口走り、彼女は食堂のウェイトレスとして働かされるハメになる。しかもそこは殺し屋専門のダイナーだった。オーナーシェフのボンベロにこき使われながら、来店する危険な奴らを相手にする加奈子のスリリングな日々が始まった。平山夢明の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 設定にはリアリティのカケラも無い。百歩譲って殺し屋専門のレストランなんてのが存在するとして、そこに集まる連中が徹底的にカリカチュアライズされており、名前も日本人のそれではないというのは呆れてしまう。どうやら殺し屋同士の派閥争いがあるようだが、それもカタギの者には与り知らぬハナシに過ぎない。

 ボンベロと加奈子は一緒に働くうちに、何だか良い仲になっていくが、そのプロセスが詳説されることはない。アクション場面は頑張ってはいるようだが、切れ味や段取りは、とても及第点は付けられない凡庸なものだ。まあ、監督が蜷川実花なので作劇に多くを望むのは詮無きことである。



 しかしながら、冒頭にも述べたように本作のエクステリアは見応えがある。何しろ装飾美術担当が横尾忠則だ。多分に毒々しいが、吸引力はある。そして諏訪綾子の監修による料理の描写もよろしい。ボンベロ役の藤原竜也をはじめ、窪田正孝に真矢ミキ、武田真治、本郷奏多、斎藤工、奥田瑛二など、皆楽しそうに異形のキャラクターを演じている。

 加奈子に扮しているのは玉城ティナで、表情はまだ硬いが、身体は良く動くしセリフ回しもシッカリしているので安心して観ていられる。しかし、おそらく日本の若手女優の中で最も可愛い部類に入ると思われる玉城が、序盤で“誰も自分のことを振り向いてくれない”みたいなことを呟くのは無理がある(苦笑)。なお、ラストは出来すぎの感はあるが、鑑賞後の印象は悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アンダー・ファイア」

2019-08-11 07:05:15 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Under Fire)83年作品。映画とは娯楽には違いないが、一方で世界の実相を伝達するメディアであることも事実だ。たとえばピーター・ウィアー監督の「危険な年」や、ローランド・ジョフィ監督の「キリング・フィールド」(84年)などがその典型で、映画で扱われなければ、彼の国で何が起こっていたのか、我々の大部分は知る由も無かっただろう。

 本作で描かれるのは中米ニカラグアの内戦である。79年。ニカラグアの首都マナグアで、報道写真家のラッセル・プライスはタイム誌の記者アレックスと放送記者のクレアに再会する。折しもこの国ではソモサ大統領が独裁制を敷き、それに対して、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が武装闘争を展開していた。

 そんな中、政府はFSLNのリーダーであるラファエルの暗殺に成功したと発表。早速ラッセルはゲリラの案内でFSLNの本部に取材しに行くが、そこで死亡したラファエルを生きているような格好をさせて、写真を撮ってくれと頼まれる。そんなことはジャーナリストの倫理に反することだが、ラッセルは悩んだ末に撮影を実行する。戦火は拡大し、ラッセルが本部で知り合ったゲリラたちも悉く犠牲になるが、その裏でフランスの武器商人ジャージーが暗躍していた。

 正直言って、私はこの映画を観る前はニカラグアの内戦のことはほとんど知らなかった。サンディニスタという名も、その昔英国パンク・バンドのクラッシュがアルバムタイトルに起用したのを認識している程度だ。その意味では、本作は世界のアクチュアリティを観客に伝える機能が備わっているといえる。

 アメリカ人ジャーナリストを主人公に据えて、一見して米国は中立であるような構図を示しているようで、実は大きく関与していたことは革命後の展開でも明らか。軍産複合体が引き起こす惨禍は、枚挙にいとまがない。ラッセルの行動は無謀すぎるし、彼が撮る写真の数々も大してクォリティは高くない。また、ラッセルとかクレアとの色恋沙汰も取って付けたようだ。しかしながら、ヒューマニズムの押し付けを回避してリアルな状況を映し出そうとする姿勢は好感が持てる。

 ロジャー・スポティスウッドの演出は、派手さは無いが堅実。主演のニック・ノルティをはじめ、ジーン・ハックマン、ジョアンナ・キャシディ、エド・ハリス、ジャン・ルイ・トランティニャンなど、キャストは重量感がある。ジョン・オルコットの撮影と、ジェリー・ゴールドスミスの音楽は職人芸だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さらば愛しきアウトロー」

2019-08-10 06:38:27 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE OLD MAN & THE GUN)若い頃のロバート・レッドフォードの仕事ぶりをリアルタイムで知っている映画ファンにとっては、大いに魅力を感じる映画だろう。しかし、それ以外の観客、特に若い層にすれば単なる“年寄りが無茶をする映画”でしかなく、退屈そのものだ。かくいう私は全盛時のレッドフォード(それも最後期)をかろうじて知っている世代に属しているので、何とか楽しめた。

 80年代に紳士的な犯行スタイルで銀行強盗を繰り返し、逮捕・収監されると何度も脱獄を成功させたフォレスト・タッカーという男がいた。被害者のはずの銀行の窓口係や支店長は、彼のことを恨むどころか“とても礼儀正しかった”と口々に誉めそやす始末。所轄のジョン・ハント刑事は彼を追うが、同時にフォレストの自由な生き方に惹かれていくのだった。

 フォレストは逃走の途中でジョエルという初老の女性と知り合い、仲良くなる。彼女は相手が堅気ではないと感じながらも、心を奪われてしまう。やがてフォレストは仲間のテディとウォラーと共に、金塊を強奪する大仕事を成功させる。しかし、思わぬところから足が付き、窮地に追い込まれる。デイヴィッド・グランによる実録小説の映画化だ。

 クライム・サスペンスとしては、随分と生ぬるい出来である。フォレストがいくら誰も傷付けずに金をせしめたといっても、拳銃を見せて相手を威嚇したことは事実だ。それがどうして“紳士的”という評判に繋がったのか、説明が成されていない。ジョエルがフォレストに惚れた理由もよく分からないし、ハント刑事がフォレストにシンパシーを感じる背景も提示されない。

 デイヴィッド・ロウリーの演出は悠長で、93分とコンパクトな尺ではあるが、カチッとまとまっている印象は無い。しかし、この役をレッドフォード御大が演じてしまうと、何となくサマになってしまうのだ。さらに彼の若き日の写真や、過去の出演作の場面が挿入され、颯爽と馬に乗るシーンだってある。これなら往年のファンは満足してしまうだろう。

 シシー・スペイセクにケイシー・アフレック、ダニー・グローヴァー、トム・ウェイツといった脇の面子も良い。ジョー・アンダーソンのカメラによる中西部の風景も魅力的だ。なお、ハント刑事の妻が黒人(ティカ・サンプター)であるのは印象的だった。ハントのリベラル的なスタンスを強調したかったと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“体育会系”という名の理不尽(その2)。

2019-08-09 06:31:28 | 時事ネタ
 タイトルに“その2”とあるが、ならば“その1”はどこにあるのかというと、2016年の11月である(大笑)。およそ3年ぶりの“続編”のアッブということで、我ながら節操が無いが、とりあえず御容赦願いたい。

 先日、私の親戚筋(仮に、A氏としておく)が勤めている会社に取引先の幹部が来社し、新しく担当になった入社3年目の男性若手社員を紹介したとか。一通り打ち合わせを終えた後、A氏は彼に“出身校はどこ?”と聞いてみたらしい。すると相手は“○○大学です”と答えたが、A氏は驚きを隠せなかったとか。なぜなら、その取引先は歴史も実績もある東証一部上場の有名企業で、彼が卒業した大学はどう考えてもそんな会社が受け入れそうもない“非・有名大学”だったからだ。

 A氏は彼に入社できた経緯を尋ねてみると“僕は学生時代は野球部のレギュラー選手だったんですよ。で、この会社の本社のお偉いさんも若い頃に野球をやっていて、しかも同じポジション。話が盛り上がっているうちに、いつの間にか採用決定です。あははは”とのこと。ついでにA氏は彼に専攻を聞いてみたら“グローバルコミュニケーション何とかカントカ学部”とのことで、一体どういう講義内容なのかと尋ねたら“全然分かりません。何しろ、授業中はずっと寝てましたから。あははは”と答えたらしい。

 それでもA氏は“この業務をやるからには、世界情勢やマクロ経済に精通していなければならないが、それは大丈夫なのか”と尋ねると“何だか難しそうですけど、これから勉強です。あ、でも体力には自信がありますから、残業続きでも平気です。あははは”との返答。ちなみに、彼は入社10年以上の(高スキルの)女子社員より遙かに高い給料を貰っているらしい。

 もちろん、いくら無名大学卒で“スポーツ枠”での入社でも、優秀な人材に育つことは十分ありうることだが、学生時代に完全に学業を疎かにしていたことを堂々と吹聴するような人間が、仕事ができるとは考えられない。実を言えば、過去に私も似たようなケースに遭遇したことがある。相手は某大手企業の管理職だったが、いわゆる“スポーツ名門校”出身で、とにかく気合と根性で業務に当たることを部下に推奨(強要?)しているようなタイプだった。

 働き方改革に伴う雇用環境改善や機会均等、同一労働同一賃金などが取り沙汰されている昨今、いまだにあからさまな体育会系優先や男女差別がまかり通っている事例(それも有名企業で)が存在することは、憂慮すべき事態だ。

 さて、このアーティクルを作成している時点で甲子園球場では全国高校野球大会が開催されている。大会が始まる前(そして、始まってからも)話題になっていたのは、ある有力校が地方予選決勝においてエースを登板させなかったことで敗退したことだ。アマチュアスポーツにあまり関心の無い私が言うのも何だが、これは別に議論になるようなネタではない。日頃選手を間近で見てきた監督が登板を見合わせただけの話で、部外者がガタガタ言う筋合いなど、微塵も無いのだ(注:これがもし、無理に登板させて故障したというのならば、話は別だろう)。

 ところが、今回この“どうでもいい話”が大騒動に発展してしまった。この構図が、アマチュアスポーツ界を取り巻く歪な状況を物語っている。特に悩ましいのが、この決定を下した件の監督を非難し、“腕が折れても投げさせるべきだ”と言わんばかりの極論を展開する者たちだ。某テレビ番組のコメンテーターである元有名プロ野球選手の物言いなどがその典型で、彼は“ケガが怖かったら、スポーツなんかやめろ”とまで断定している。

 さらに、この高校に苦情の電話を入れた者が多数いたそうだが、呆れた話だ。たかが高校生の野球に何を熱くなっているのか。

 まあ、結局それは“甲子園”に代表される感動ポルノと言うべき“美談”や“根性論”に浸りたい者が少なくないということだろう。選手が炎天下にハードなプレイを強いられ、それを観客が日陰のほとんどないスタンドで難行苦行のごとく見つめるという、倒錯した状況が正当化されている。母校の名誉だの郷土の期待だのといった御題目が最優先され、行きつく先は勝利至上主義の指導者による“盲目的な忠誠心を持つ選手”の大量生産だ。

 ビジネス現場に依然残る“体育会系なるもの”の存在理由というのも、なんとなく分かる。つまり、感動ポルノを共有し、御題目の為ならば疑問を抱かず粉骨砕身で取り組んで当然という価値観を持つ体育会系の者たちは、ある意味“使える”からだ。そして“体育会系なるもの”を温存していることこそ、ブラック企業の成立要因の一つになる。

 別に、この状況を打破するために何をすべきだとか、そういうことを言うつもりはない。“体育会系なるもの”は一種の宗教なので、当事者達に改心させるのはほぼ不可能だ。我々に出来ることは、“体育会系なるもの”に近付かないことだろう。ちなみに、親戚筋のA氏はその“体育会系優先の企業”とは距離を置くことを決めたそうだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」

2019-08-05 06:35:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SPIDER-MAN:FAR FROM HOME)スパイダーマンをめぐる今までの一連の作品の中では、最も楽しめた。シリアスな「アベンジャーズ エンドゲーム」(2019年)の“後日談”という設定ながら、前作「スパイダーマン:ホームカミング」(2017年)のライトな作風は踏襲されており、しかもキャラクター設定は肉付けされ、主人公の成長物語にもなっている点は感心した。

 アベンジャーズの活躍により世界は平穏を取り戻し、スパイダーマンことピーター・パーカーも普通の高校生活を送っていた。夏休みになり、ピーターは教師や学校の友人たちとヨーロッパ旅行に出かける。ところが、訪れたヴェネツィアでは水を操る巨大なクリーチャーが出現し、人々を襲う。迎え撃つピーターだが、けっこう相手は強い。そこに登場したのがスーパーパワーを持つミステリオことクエンティン・ベックという男で、ピーターと共闘して何とかクリーチャーを倒す。



 ベックは炎や水など自然の力を操るクリーチャーによって滅ぼされた“別世界の地球”から来たらしく、この世界にも危機が迫っているという。突然現れた“S.H.I.E.L.D.”長官のニック・フューリーは、ピーターにベックと協力して事態収拾に当たるように要請する。それからヨーロッパの各都市にクリーチャーは次々と襲いかかり、ピーター達は必死の戦いに臨む。

 まず「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」(2018年)での“指パッチン”による、人類を二分した“5年ものタイムラグ”に関するネタが効いていて、ギャグにもシリアスな場面にも上手く使われているあたりは感服する。

 そしてアイアンマンことトニー・スタークの後継者として自覚してゆくピーターの葛藤と成長、さらには級友達との関係も突っ込んだ次元まで描かれ、主人公を取り巻くモチーフの掘り下げは万全だ。ストーリーは後半から急展開し、本当の敵の姿が明らかになるが、そんな“意外性”だけに寄りかかることなく盛りだくさんの活劇のアイデアで飽きさせない。



 ジョン・ワッツの演出は実に達者なもので、淀みも無くスピーディーに物語が進む。主役のトム・ホランドはこのシリーズに初めて登場した時は頼りないと思っていたが、本作では等身大の若者としてのリアリティも感じられ、好印象になってきた。MJを演じるゼンデイヤやベティ役のアンガーリー・ライスも前作より数段可愛く見える(笑)。そしてミステリオに扮するジェイク・ギレンホールは、さすがの怪演だ。

 マリサ・トメイにジョン・ファブロー、サミュエル・L・ジャクソン等のレギュラーメンバーも言うことなし。風雲急を告げるようなエピローグと共に、「アベンジャーズ」後のマーベル・シネマティック・ユニバースに対する興味は尽きない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「螢川」

2019-08-04 06:25:52 | 映画の感想(は行)
 87年作品。ノーブルな良作である。宮本輝原作で芥川賞の受賞作の映画化だが、同作家の映像化作品の中では、最も納得出来る仕上がりだ。しかも、終盤には映像的スペクタクルも控えており、エンタテインメントとしても十分存在感はある。

 昭和37年。富山県の山間の町に住む14歳の水島竜夫は、クラスメートで幼馴染の辻沢英子への想いと、高校受験に対する不安、そしてシビアな家庭事情によって悩み多き日々を送っていた。父親の重竜は終戦直後に事業で成功を収め、随分と羽振りが良かったが、いつしかその才覚は失われて今は借金取りに追われる境遇だ。竜夫の母の千代は重竜の二番目の妻で、重竜は千代の妊娠を知った途端、何の躊躇もなく前妻と離縁した。それでも重竜は良い父親になろうとしてきたが、ある時病に倒れる。



 そして次々と竜夫の周りの人間が過酷な運命に翻弄されるが、彼はある言い伝えを糧に何とか生きようとする。それは、4月に大雪の降った年は川の上流で蛍の大群が発生し、その光景を一緒に見た男女はやがて結婚するというものだ。その年、桜の咲く頃になっても雪は降り続いた。夏になると重竜の知り合いの銀蔵は今年こそ蛍の大群が見られると張り切り、竜夫と英子、千代を連れて、川の上流に向かう。

 時代は高度成長期に入りかけ、重竜のように“野生のカン”だけで生きてきた経営者は淘汰され、管理社会にふさわしい人材だけが生き残ってゆく。それでも重竜一家の佇まいは、失われつつある古き良き家庭の有り様を表現している。一方、千代の大阪に住む兄は竜夫に上阪して自分の事業を手伝うように勧める。これから必要とされるのは、この伯父のような如才ない人物であることは竜夫にも分かるが、それでも少年の心は揺れ動く。

 藻掻きつつも、自然と大人への階段を上っていく竜夫には、観ていて大いに共感出来る。彼の成長を象徴するのが、終幕近くに現出する螢の乱舞だ。このシークエンスがSFXで撮影されたことを知ってはいたが、実際観ると想像以上に素晴らしいものだった。

 当時の日本映画で、これほどSFXが成功した例はおそらく他に無かったのではないか。まるで天の川である。この映像を作り上げたのは、後に大作をいくつも手掛ける川北紘一で、その手腕はこの頃から光っていた。須川栄三の演出は落ち着いてはいるが、決して弛緩していない。最後まで無理なく観客を引っ張る。

 竜夫役の坂詰貴之と英子に扮する沢田玉恵は好演だが、それよりも周りを固める大人の役者の確かな仕事ぶりが印象的だ。三國連太郎に十朱幸代、奈良岡朋子、川谷拓三、大滝秀治、河原崎長一郎、殿山泰司など、いずれも申し分ない。姫田真佐久のカメラと篠崎正嗣の音楽も及第点だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴールデン・リバー」

2019-08-03 06:52:22 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE SISTERS BROTHERS)何とも要領を得ない映画である。盛り上がる箇所は無いし、モチーフは珍妙だし、ラストに至っては完全に腰砕けだ。何のために撮られたのか、どういう観客を想定して製作したのか、まるで分からない。“ヨーロッパの監督が西部劇を撮ったらどうなるか”というケーススタディにさえ成り得ず、観終わって疲れだけが残る。

 1851年、兄チャーリーと弟イーライによる“シスターズ兄弟”は、凄腕の殺し屋として地元の西海岸オレゴン・カントリーではその名が知れ渡っていた。あるとき“提督”と呼ばれる彼らの雇い主から、連絡係のモリスが見張っているウォームという男を消すように命じられる。

 モリスはカリフォルニアの小さな町ウルフ・クリークで、ウォームと接触することに成功。理想社会の実現を目指すというウォームの意見にモリスが感服している間に、チャーリーとイーライは2人に追いついてくる。実はウォームは科学者で、黄金を作り出す化学式を発見していることを知った“シスターズ兄弟”は、モリスとウォームと組んで黄金を手に入れようとする。しかし、裏切りを知った雇い主は次々と刺客を送り込む。

 邦題およびポスターと惹句から、観る前はてっきり“黄金を手にした4人が、独り占めを狙って仲間割れ。横取りしようとする悪党達も現れて、バイオレンスとアクションが大々的に展開する娯楽編”だと思っていた。ましてや監督は「ディーパンの闘い」(2015年)で往年の任侠映画を“復刻”させたジャック・オーディアールだ。期待しない方がおかしい。ところが出来上がったのは、娯楽映画どころか作家性を前面に出したアーティスティックなものでもない、観ていて閉口するようなシロモノだった。

 そもそも、錬金術を可能にする知識を持った人間を、どうして始末しようとするのか分からない。利用する価値はいくらでもあるだろう。また“黄金を生成する液体”の成分は何で、その材料はどうやって調達したのか不明。何やら劇薬のようで、そのおかげで4人は窮地に陥るのだが、見終わってみれば独り相撲の感が強い。活劇シーンもパッとせず、気勢が上がらないまま迎えたラストは、まさに脱力ものだ。

 ジョン・C・ライリーにホアキン・フェニックス、ジェイク・ギレンホールという芸達者を揃えていながら、いずれも精彩が無い。映像面でも目立ったところは見当たらず、居心地の悪い2時間を過ごすハメになった。第75回ヴェネツィア国際映画賞で監督賞を獲得しているらしいが、その理由は見当が付かない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アニメが多すぎる。

2019-08-02 06:28:13 | 映画周辺のネタ
 夏休みということで、各映画館とも上映作品にはアニメーションが目立つ。しかし、実は“サマーシーズンだからアニメが多くて当然”ということでもない。常時アニメの上映本数は高止まりである。ちなみに、20年前は劇場公開された国産アニメ映画は20数本であったが、去年(2018年)には50本弱に達している。これは、いくらなんでも多すぎると思う。

 アメリカでは劇場上映される長編アニメーションが具体的にどの程度あるのかは知らないが、日本よりはずっと少ないのではないか。

 アニメ好きの観客にとっては日本の状況は“作品がたくさん観られて素晴らしい”とでも思うのかもしれないが、反面それは製作現場の“犠牲”によって成り立っているというのも、また事実である。

 アニメ業界が大方“ブラック”というのは巷間よく取り沙汰されているところだ。先日、理不尽な放火テロによって多くの犠牲者を出し、物的損害も膨大なものになった京都アニメーションは、業界筋では(歩合給ではなく給料制であることもあり)“ホワイト”だと言われていたらしい。だが、それでも一般世間的に言えば従業員は最低賃金ギリギリの待遇しか与えられていなかったという話である。

 どんなに有名な作品を手掛けていても会社はさほど儲からず、社員を非常口も非常階段もスプリンクラーも無いビルで働かせるしかなかったという、何ともやりきれない現実がある。多くの注目作を発表していた京都アニメーションでさえこのような状態であるから、他の業者は推して知るべしだろう。

 もっとも“現場がいくら疲弊していても、多彩な作品が数多く観られるから、それでいい”という意見もあるのかもしれないが、それは欺瞞である。作品は多くても、鑑賞する観客は限られている(ジブリ系や「名探偵コナン」等の一部のヒット作は除く)。一作品あたりの収益率が低いので、数をこなして何とか糊口を凌いでいる状況だろう。そういう自転車操業は、早晩行き詰まると思う。

 業界全体を“儲かる”構造に改革し、そこで働く者達が将来が開けるような状態に持っていってほしいものだ。ハリウッドのように、製作拠点を整理・統合して資本とノウハウを集中させ、本数は限られるとしても質の高いものを提供し、少しでも有能なクリエーターには高給が支払われるような体制が理想である。とにかく、今のままじゃ内閣府が音頭を取っている“クールジャパン構想”も絵に描いた餅だ。

 まあ、一般的な映画ファン(≠アニメ映画限定のファン)としては、観客層の幅が狭いアニメ作品にシネコンのスクリーンを大量占拠されるよりも、国内外の多彩な作品を上映して欲しいというのが本音である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする