桜にまつわる詩歌の数は、測り知れないが、桜と酒を題材にした笑いを誘うものも多い。
芭蕉の「飲みあけて 花生にせん 二升樽」は、大酒のみを詠ったとストレートに伝わる。しかし、空っぽになった樽を花生けにすると結ぶと、粋な風情が吹き込まれる。しかも、二升樽(=一升+一升)で、「ますます飲む」と酒豪を彷彿させ楽しい。
「酒無くて なんぞ楽しや 花見かな」とばかり、「寝て飲んで 起きてまた飲む 花見酒」と度を越すと、「酒の無い 国へ行きたい 二日酔い」と反省する。ところが、「また三日目には帰りたくなる」と続くと、落語の世界になる。
さて、桜好きは、日本人だけではなさそうで、最近、桜見物に来日する外国人が増えているようだ。陣取り合戦や馬鹿騒ぎする光景を苦々しく感じる老人には、奇異な現象に思えるが、そのマイナス分を差し引いても、桜は美しい。
子規は、「我は寝ん 君高楼の 花に酔へ」と詠んだが、あと何度、桜の季節を迎えることが出来るかと考えると、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の無常観がこみ上げてくる。
芭蕉の「飲みあけて 花生にせん 二升樽」は、大酒のみを詠ったとストレートに伝わる。しかし、空っぽになった樽を花生けにすると結ぶと、粋な風情が吹き込まれる。しかも、二升樽(=一升+一升)で、「ますます飲む」と酒豪を彷彿させ楽しい。
「酒無くて なんぞ楽しや 花見かな」とばかり、「寝て飲んで 起きてまた飲む 花見酒」と度を越すと、「酒の無い 国へ行きたい 二日酔い」と反省する。ところが、「また三日目には帰りたくなる」と続くと、落語の世界になる。
さて、桜好きは、日本人だけではなさそうで、最近、桜見物に来日する外国人が増えているようだ。陣取り合戦や馬鹿騒ぎする光景を苦々しく感じる老人には、奇異な現象に思えるが、そのマイナス分を差し引いても、桜は美しい。
子規は、「我は寝ん 君高楼の 花に酔へ」と詠んだが、あと何度、桜の季節を迎えることが出来るかと考えると、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の無常観がこみ上げてくる。