桜宮高校のバスケ部に端を発した体罰問題は、遂に日本柔道連盟やJOCまで巻き込み、アマチュア・スポーツのあり方自体を問われる国家的問題に発展した。
「体罰」については、その必要性や程度を含めると、意見百出しそうなほど、定義すら曖昧で、私見を述べることすら憚られる。
教育であれ、スポーツであれ、体罰は、ともに上下関係に基づく行為。体罰で技術は向上しても、自分で判断する能力向上に有効とは思えない。体罰体験者で肯定する人は、先生やコーチの指導を自分なりに消化して成功した人であり、それは一種の洗脳ではないのか。
指導者が生徒や選手の人格をどう認識しているかが重要で、「人間は自ら納得しない限り行動しない動物」だという本質を肝に銘じたい。