プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★ゆく年

2016-12-29 09:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
 2016年の漢字一文字「金」に抵抗を感じていたが、金メダルラッシュの「きん」ではなく、「かね」と読んで、抵抗がなくなっだ。

 「かね」の震源地は、東京。東京都知事選の争点となった金銭問題やオリンピックの競技場建設資金、更には、競技場仮設費用等々、すべて「かね」にまつわる問題だ。

 しかも、小池都知事が、首都圏の自治体に応分の負担を押し付けようとして、猛烈な反発をくらった。東京五輪の名前を返上するなら別だが、招致活動を推進した東京都が、最終的な責任を負わない限り、本件は落着しない。

 オリンピックの経済効果を一番、享受する東京都のリーダーが、他人のふんどしで相撲をとるような姑息な言動を慎むべきだ。東京都のインフラ整備を含めた国の負担額は、全国民の税金であることを忘れないで貰いたい。

 「所詮は、金目の問題でしょ!」発言で、ひんしゅくを買った大臣が、改造内閣で返り咲いたということは、総理の腹の中も同じ証拠。
基地移設問題で、国に逆らう沖縄県の地域振興予算を減額した意趣返しも、地獄の沙汰も金次第ということで、除夜の「かね」で締めたい。

 次回更新は、1月4日の予定。

★新たな一歩になるか?

2016-12-28 09:43:12 | 日記・エッセイ・コラム
 安倍首相が、真珠湾攻撃の追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れ、戦争の犠牲者に慰霊を捧げ、演説を行ったニュースに、真っ先に、頭に浮かんだのは、「何故、今頃になって?」との疑問だった。

 昨年、韓国の慰安婦問題にけりをつけ、今年6月にオバマ大統領が広島原爆ドームを訪れた。そして、今回の安倍首相のアリゾナ記念館訪問で、戦後に終止符を打ち、日米韓の同盟関係をより強固なものにしたと見るのが穏当なのか?

 中国・ロシアに対する外交姿勢に違いを見せるトランプ政権へのけん制とも映るが、高度な政策判断の背景を知る由もない。

 しかし、10年数年前、アリゾナ記念館を訪れた時、日本の若者が、真珠湾攻撃の歴史的事実も知らず、ふざけたポーズで写真を撮る姿に嫌悪をおぼえた。

 これを機会に、訪れる日本人旅行客が、ワイキキ周辺だけでなく、アリゾナ記念館まで足を延ばすことを願っている。

★喜怒哀楽

2016-12-25 17:37:41 | スポーツ
 今日は、クリスマス。糸魚川大火の被災者には、浮かれている気分はご法度と、ブログを書くのをためらった。

 しかし、「出来ることを少しずつやっていく」と、怒りを押さえて、健気に応える被災者の言葉に救われ、遅い時間になって書くことにした。

 クリスマスは、次女の結婚記念日で、自分や長女の結婚記念日は、忘れることがあっても、皆で祝ってくれる日を忘れようがない。

 相手がニュージーランド人で、実家のあるダニーデンで挙式したので、私達夫婦は、クリスマス・イブに先方の両親・家族と初対面し、クリスマスを一緒に祝うことで、新たな絆が生まれた意義深い日にあたる。

 日本と季節が正反対なので、真夏だが、妻には和服のリクエスト。貸衣装がないので、日本から持参し、汗びっしょりになって着付けに四苦八苦した。

 日本人同士が、海外で挙式するなら、自分たちの好みですむが、NZLの場合、披露宴に迎えるゲスト選びは、先方の親が決め、かかった費用を新婦側が負担するのが原則。その代わり、お中元・お歳暮等の面倒で儀礼的な風習は無いし、七五三や雛祭り・端午の節句もない。

 冠婚葬祭は、どこの国にも受け継がれた意義と年月の重みがある。外国の文化を表層的にとりいれ、馬鹿騒ぎするのではなく、真の豊かさを味わいたいものだ。

 次回更新は、28日の予定。

★歴史の重み

2016-12-24 13:52:43 | 日記・エッセイ・コラム
 糸魚川市の大火は、約150棟を焼失し、23日夕、出火から約30時間後に鎮火したが、着の身着のまま避難した住民も多く、どう新年を迎えるかを想像するだけで、痛ましい。

 今朝、テレビ取材に応じていた「加賀の井酒造」の当主は、数年前、店名につられて、ふらりと立ち寄った時、応対した人だった。

 「加賀の井酒造」は、江戸時代創業で、その名が示すように、加賀百万石の三代藩主前田利常公が命名した由緒ある蔵元。

 失火原因は、ラーメン屋の店主が、鍋に火をつけたまま店を離れた空焚きによる可能性があるとか。失われた建物は、再建出来るが、刻まれた歴史の重みは、取り戻せないと思うと、胸に迫る感慨を覚える。

★糸魚川大火と思い出

2016-12-23 13:37:03 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日の糸魚川市の大火で、忘れかけていた古い記憶が蘇った。

 当金沢市で、明治以降で最大の火災は、「彦三の大火」。私が生まれる16年前の昭和2年4月のこと。消失面積は、およそ18万㎡で、今回の糸魚川大火をはるかに凌ぐ規模だった。

 被害が広域に及んだ原因は、木造住宅の密集に加え、折からの強風とフェーン現象と言う点で、糸魚川市の火災と一致する。

 同地で生まれ育った私が、19歳の時、となりの横安江町にある浄土真宗大谷派・金沢東別院が消失し、死者1、負傷者24名を出した。

 家族総出のバケツの水リレーで、大屋根に水をかけ、類焼を免れたが、幼少期の思い出が、一瞬にして奪われた。再建された東別院は、殺風景で何の郷愁も感じられず、表参道にあたる横安江町商店街は、同期をとるように衰退した。

 大糸線への乗換え時間を利用して、旧街道の風情が残る雁木通りをぶらつき、蕎麦屋の暖簾をくぐったりと楽しい思い出が残っている。
天災・人災を問わず、災害は不幸だ。一日も早い復興を願っている。