昨日の午後、3人の若者が、ジムの風呂場で会話しているのを、隣りの浴槽に浸かりながら聞いていた。
悪趣味だとひんしゅくを買いそうだが、スマホ浸けの若者が増えているので、話の内容に興味があった。ターゲットは、ジムの女性インストラクターで、それぞれの好きなタイプを名指しする他愛ないものだった。
さて、スマホ浸けは、若者に限ったことではなく、トレッドミルのボトル・ホルダーにケータイを置いている高齢者の姿も見かける。運動しながら、ケータイに手を伸ばすのを見る度にあきれている。
私は、5年前にジョギング中の”ながら視聴”をやめた。慣れると、鳥のさえずりや周囲の雑音が、頭の中でハーモニーを奏でる不思議な世界が広がった。
かつて、情報交換の場とされた浮世風呂や浮世床は、人と人とが直接対話する空間だった。若者達の屈託の無い笑い声が、何故か、ほのぼのとして微笑ましく感じられた。