プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★痛恨のポカ!

2008-07-30 11:13:05 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、年齢に対する意識が過剰ではないかと友人から指摘される。私は、決して悲観主義者ではないが、今の社会情勢では、決して楽観出来る状況ではない。ましてや、以前にもまして”もの忘れ”や”うっかりミス”の頻度が多くなっているだけに、マイナス思考になりがちだ。今日も笑うに笑えないミスが起きてしまった。

 じつは、10月26日に開催される「第20回諏訪湖マラソン」のエントリー漏れが発生したのだ。10月に妻の実家へ行く機会に寄り道しようと考え、大会前後のホテルの手配を6月早々に済ませた。が、レースのエントリー期限は8月25日なので、早すぎると思い後日申し込むことにしていた。

 今朝、事務局のHPを覗いてみると、ナ・ナント!「定員に達したので、7月23日をもって受付を締め切りました」とあった。期限までまだ1か月あるというのに。募集要項には、確かに「定員7,000名に達した時点で締め切る」とあったが、それ程、人気が高い大会だとの認識が無かったのだ。

 キャンセル待ちが出来ないものかと事務局に電話をしてみたが、既に「現在、使われておりません」の断りメッセージに切り替わっていた。社会活動からみれば、泡沫的な出来事だが、本人には大事件。加齢とともに、社会との関わり方について思案することが増えるようだ。エッ!単なるボケって。まさに痛恨のボケか、、、。


★浅野川55年ぶりの氾濫

2008-07-29 09:33:39 | 日記・エッセイ・コラム

 金沢市内を流れる犀川と浅野川。この二つの川に囲まれた金沢の城下町。その一つの浅野川が昨日、集中豪雨で甚大な被害が発生した。実に55年ぶりの氾濫だった。

 犀川が男川と呼ばれるのに対し、浅野川は女川の別称を持つとおり、流れがゆるやかできれいな水を利用した友禅流しでも名高い。東山や主計町の茶屋街と寺院群、金箔工芸店が立ち並ぶ景観は、観光名所としても吸引力が高いゾーンになっている。

 被害に遭った住民は、「あっという間に水かさが増えて襲ってきた」と口を揃えるが、55年前の浅野川氾濫の状況を知っている私には別の感慨がある。当時、家が被害に遭った同級生が周りに大勢いた。雨が降るたびに洪水に遭う苦い経験から、犀川・浅野川とも護岸や堰堤のかさ上げ対策が整備され不安は一掃されたが、今回の洪水は発生した。

 城下町特有の曲がりくねった道と川沿いに民家が密集している地域に、マンションやホテル等の建造物を無制限に建ててきた都市開発。水門の開閉作業を地元の町会や商店ではなく、遠くの業者に委託させていた行政の無神経さ。河川敷に降りやすいように水門横の堰堤を切り取ってあるが、水門を早めに閉めていれば、堰堤の高さは十分だっただけに、被害を最小限に防げたとの思いが強い。

 現地を視察した県知事は、あまりの惨状に驚いたようだった。一夜あけて、被災者達は思い心を引きずりながら後片付けに取り掛かることになる。「災害は忘れた頃にやってくる」と言うが、平穏をむさぼる行政当局に対して、女川が反乱を起こした気がしてならない。


★夏の甲子園大会近づく

2008-07-27 09:55:46 | 日記・エッセイ・コラム

 8日連続の熱帯夜に熟睡出来ず、気力も萎え気味の老夫婦。午前6時スタートの「能登島トライアスロン」に出場するN君にエールを送るつもりで、珍しく1時間を超す長めのジョギングを頑張った。到底、彼の真似は出来ないが、同い年だけにいつも元気づけられる。

 さて、夏の高校野球選手権の甲子園大会に向けて、各地で代表校が続々決定している。今年の石川県代表は、金沢高校になったが、初戦の対戦相手が群馬の桐生第一高校に決定したので、我が家の雲行きがあやしくなってきた。

 両校とも個人的なつながりは何もない。夫婦の出身地がそれぞれ金沢と前橋というだけだが、なぜかライバル意識がメラメラ燃え上がるのである。ひたむきに白球を追う高校球児の姿は、すがすがしく観る者を感動させるが、他にも不思議な魅力というか魔力がある。

 毎年、石川代表が敗退すると両隣の富山・福井県代表校を応援し、北陸代表が姿を消した段階で、私の甲子園大会は終わる。群馬代表も応援するが、あくまでも女房に気を遣ってのことで、北陸代表相手となると話は違ってくる。たかが高校野球だが、「されど」である。大会6日目を複雑な思いで迎えそうだ。


★65歳リスタート!

2008-07-25 09:47:25 | スポーツ

 65歳を節目に5年間計画でウルトラマラソンに挑戦する目標を発表した途端、友人から即刻断念するように注意された。私の体を心配してのことだが、いったん口から発した言葉は元へは戻せない性格だ。意志の弱さを克服する知恵として、有言実行型の生き方を実践してきたのが長さん流だ。

 昨夕、買い物帰りに進学塾の前に通りかかると、「夢は大きく 目標は高く」と大書した看板が目に入った。志を高く持たない限り、努力を惜しむことになるとの教訓だ。幸い、受験生や社会人のように時間に制約される身分ではないのが唯一最大の強みでもある。

 とはいえ、5年計画では具体性に乏しいので、ウルトラマラソンのスクラップ記事を引っぱり出して読んでみた。「フルを5時間以内で完走&月間200㎞の走り込み」が必要条件の目安。現時点では、この前提条件をクリア出来る状態ではない。

 まず今年は、基礎的な走力点検に集中し、レースはハーフまでとし、タイムに拘らず完走を目指すが、月間走行距離200㎞の月をどこかで1回設定する。来年は、月間200㎞を2ヶ月間達成することと、フルマラソンを5時間20分以内で完走。3年目に、フル2回(5時間内完走)と200㎞4か月を目指すことにした。

 3年後にフル5時間内すら危ぶまれるが、これを達成できれば夢が手に届く距離に近づいて来るに違いない。私がフルマラソンを走るのを見て、「私に出来ない筈はない」と、走り始めた友人の奥さんの声が耳から離れない。体を心配してくれたのがその人だけに、なおさらお手本を示したい。


★65歳リセット~新たな目標~

2008-07-23 09:38:56 | 日記・エッセイ・コラム

 「65歳リセット」をテーマに選んだ理由は、言わずと知れた政府の年齢差別に忠実に従おうとの意思表示だ。今後、5歳刻みで、中期・後期と段階を追って追い詰められる。そんな為政者の方針に放心気味だが、あきれてばかりは居られない。

 時悠人とて例外ではないので、現実のポジションをしっかり見定めて、今後の生き方を見直さざるを得ないとの思いが強い。前2回の小ブログで述べたが、同年代の友人達がそれぞれの目標に向けて努力を惜しまないで頑張っている。彼らの姿勢が逡巡する私の背中を押した。

 10年間続けてきたランニング人生に新たな目標として、”5カ年計画でウルトラマラソンに挑戦する”ことを決意した。現在の実力を冷静に分析すれば、不可能に近い夢に過ぎない。だが、人生はマラソンに似ているとは、陳腐だが言いえて妙でもあり、歩一歩、たゆまぬ努力を積む以外に克服出来ない点では、人生そのものだ。

 ランニング用語辞典によると、「ウルトラマラソンとは、フルマラソンより長い距離を走ること」となっており、100㎞を走破することではない。ウルトラと言えば、「サロマ湖」が代名詞のように引き合いに出されるが、50と100㎞の二部構成のところがミソ。新たな目標に向かって前進あるのみだ。