プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★地域行事の大切さ

2008-09-29 10:07:56 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、わが町会が所属する校下の社会体育大会が開催された。役員を離れたので、事前準備や当日のテント設営等の力仕事から解放され、気楽に参加した。

 当町会の参加者数は、全体で二番目に多かった。開会式に並んだ隊列の長短で評価するのは如何かと思うが、やはり多い方がその町会の活力を示すようで嬉しいもの。前回の成績が最下位だけに、役員の意気込みが住民の動員数に表れたかのよう。日頃、顔をあわす機会が少ない住民が一同に会する場は貴重だ。

 さて、ある役員から、オープン競技のマラソン(3.3㎞)に出るように誘われた。体調不良を理由に辞退したが、そばに居た見知らぬ男性が会話の輪に加わり、マラソン談義になった。8年前に当町会に転入して来たそうで、私より一回り若い52歳。能登出身で、かつては駅伝選手として活躍し、区間賞を2回獲った実績をもつ輝かしい走歴の持ち主だった。

 ご本人は、「今はゴルフに夢中で、メタボ対策にジョギング程度」だと笑ったが、頼もしい仲間を身近に発見した気がした。彼の走る姿を見たかったが、マラソン競技の際の交通整理担当とのことで、またの日の楽しみに持ち越した。殺伐とした世の中だけに、地域コミュニティのつながりの大切さを改めて感じた一日だった。


★政治家の引き際と打算

2008-09-26 09:14:34 | 日記・エッセイ・コラム

 今日の朝刊の見出しに、「麻生内閣の支持率」と「小泉元首相の引退」記事が踊った。いずれも想定内だが、引退劇のタイミングは、悪いニュースを打ち消そうとしたかのようだ。汚染米や国交大臣の失言などより、横須賀に米空母「ジョージ・ワシントン」が配備されたニュースがかすむ方が恐怖だ。

 かつて、YKKと呼ばれた一人の加藤紘一さんは、「彼は政治というより、人生ドラマを演じていた」のではないかと皮肉った。国民は、演劇に浸っていたが劇場を出たら、「あれっ!テーマはなんだったっけ?」と思っているかも知れないとも。

 アメリカでは、大統領任期が終わったら政界から退くのが常識だ。トップの座を離れても議員であり続けるから、院政が生まれ、若い有望な議員が活躍出来ない。ましてや、任期途中で政権を投げ出したお二人には、小泉さんと一緒に引退して貰いたい。そうでなくても、二世議員の軟弱さが批判されるなかで麻生首相も同様の系譜だ。しかも、18人の閣僚中、二世議員が11人を占める。

 小泉さんの引退を潔い引き際とみるかはともかく、政治家が天命を果たしたと感じたなら、政界に身を置く必然性はない。が、彼が引退し、二男(27歳)が次期衆院選に出馬する打算が透けて見えるだけに幻滅する。


★王監督の引退

2008-09-24 10:00:31 | 日記・エッセイ・コラム

 「王監督引退」のニュースに耳を疑った。最近、プロ野球に関心が薄くなっていた私にとっても、大ショックだった。ファン心理とは別に、ヒーローが表舞台から消えて行くのは宿命とはいえ寂しい。

 強いことの代名詞に引用された「巨人・大鵬・卵焼き」の常勝巨人を支えたのは、「ON」コンビだった。私は1943年生まれなので、長嶋さん(1936生)と王さん(1940生)の活躍を50年間見守ってきた一人になる。

 長嶋さんのエピソードでいちばん印象深いのは、1957年秋の東京六大学野球の最終戦で放った8号ホームラン(当時の新記録)。我が家にテレビの無い時代で、茶の間のラジオに聞き耳を立てていた。ホームランの瞬間、実況担当のアナウンサーの声がスタンドの歓声にかき消されて聞き取れず、興奮のあまりにラジオを叩いて母親に叱られたことを鮮明に記憶している。

 王さんのエピソードでは、鳴り物入りで入団しマスコミに追いかけられていた時にみせた態度だった。スター選手が多い巨人だけに、先輩のやっかみも相当あったようだ。マスコミ陣を先輩たちに目立たぬ場所に誘導して応対している姿を偶然、目にした。その謙虚さと心配りは大選手になり、監督になっても一貫していることは衆目の一致するところだ。

 彼ら二人の活躍にどれだけストレスを癒やされたか測り知れない。一時代を成したONコンビが人生の秋を迎えた。秋は実りの秋というが、晩年をも意味する。心のどこかにぽっかり大きな空間が出来た気がする。


★政治と風見鶏

2008-09-20 10:03:06 | 日記・エッセイ・コラム

Wind_bird 「風見鶏」とは、鶏の形をした風向計だが、外国では魔除け的意味合いもあるようだ。日本では、優柔不断で日和見主義的なマイナスイメージを持つ言葉として使われているが、疑問に思う。

かつて、中曽根康弘元首相は「政界の風見鶏」と評された。有力者のもとを渡り歩いた変節の政治家とのレッテルを貼られたものだが、その後の氏の業績を調べればこの評価が当たっていないことが分かる。

中曽根さんは、文芸春秋の9月号で、”風見鶏”との批判を「何の苦にもならなかった」と述べている。その理由は、彼が師と仰ぐ徳富蘇峰の教えだそうだ。「勝海舟の言に”天の勢いに従う”というのがある。政治家は救世軍の士官ではないのだから、イデオロギーや既成概念に固執する必要はない。これからの時代は流動するから大局さえ失わないなら、大いに妥協しなさい。」と。

 総理時代に提唱した「外交4原則」も蘇峰の教えを基礎に作ったそうだ。ちなみに、その「外交4原則」とは、「1:国力以上の大切な対外活動をしてはならない。2:外交はギャンブルであってはならない。3:内政と外交を混交してはならない。4:世界史の正統的潮流をはずれてはならない。」。

 内外に山積する課題をそっちのけで自民党総裁選を繰り広げている候補者たちは、自民党の大先輩の言葉をどう受け止めるだろうか。今こそ、この4原則を堅持すべきだ。ただ、風になびくだけではなく、時代の流れや社会環境を読んで、向きを変え風向きに即応できるようにするのが「政治家の志」ではないのだろうか。


★大衆嘆き節

2008-09-16 09:36:49 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の午後、メーカ送りになっていたパソコンが戻ってきた。製品出荷時の状態で返戻されたので、周辺機器の接続やソフトのインストール等、四苦八苦しながらセットアップ作業に没頭した。思い出し訓練のようで、ボケ防止には役立つが、そう度々経験したくないトラブルだ。今日は、鬱積したストレスを吐き出す乱暴なブログを許されたい。

 福田総理が政権を投げ出した。前任者同様、”政治空白”を作っての後継者選びは、国民不在の茶番劇場でしかない。この間、「消えた年金」は「消された年金」に発展し、後期高齢者医療制度は医療難民を生んでいる。人命に影響する汚染米問題は、全国に拡大する様相を呈している。内政問題だけでも停滞が許されぬ行政環境にある。

 さて、安倍・福田両政権はなぜ短命に終わったのか。両政権前の小泉長期政権は何をしたのか。1有権者の立場から、この間の自公連立政権の成果を冷徹に総括した。

 (to小泉):「自民党壊すつもりで国壊し」。あなたが政治生命を賭した郵政民営化で、過疎地の高齢者は「年金を引き出す窓口遠くなり」と嘆いている。「生きるより極楽浄土へ急ぎ足」と願う後期高齢者医療制度もあなたが断行したもの。「官から民へ」と野放図に規制緩和した結果は、「汗してもわが暮らし楽にならざり」のワーキング・プアを量産。反面、「汗かかず投資バブルでヒルズ族」の富裕層が誕生した。耐震強度不足の偽装マンションや食品の産地偽装等、日本は「偽装列島」に変貌した。

 「小泉改革を止めるな」というが、改革の方向が間違っていなければ、果たして負の遺産が山積みになっていただろうか。流行語大賞を狙った福田さんは「あなたとは違うんですよ」との迷言を残したが、言う相手が違うんじゃないですかね。 長きにわたった自公連立政権の限界が見えた今、責任をとる唯一の道は、下野する以外にない。「あなたとは違うんですよ国民は」。天に向かってつばを吐くような虚しさを感じつつ。