プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★独りごと

2012-02-29 10:11:39 | 日記・エッセイ・コラム

 いにしえの思想家の言に、「民に利器多くして 国家ますます昏し」とあるが、「文明の利器」は、使い方次第で便利であることは疑いようもないが、それに頼ることによる弊害も避けられない。

 この一週間、静かだった身辺に色々なことが起き、ブログを書く余裕もなかったが、その間の思いを、「文明の 利器が邪魔する 知恵工夫」と総括した。

 さて、金沢の積雪量もゼロになったので、外でのトレーニングが出来ると喜んでいる。それにしても、今年位、1・2月の走り込み量が少ない年はなく、春先のマラソン大会が苦しいレース展開になると覚悟している。


★生きざま

2012-02-23 10:49:22 | 日記・エッセイ・コラム

019  かつて、「きんさん・ぎんさん」が長寿祝い金の使途を問われて、「老後の生活費に貯金する」と答えたエピソードは、今もなお語り草だが、その「ぎんさん」の4人の娘さんがTVに登場した。

 長女98歳をかしらに、93・91・89歳で、全員、腰も曲がらず元気そのもの。その秘訣は、外出の際、手押し車を使うことはあっても、杖をつかない。車いすに乗るのは、「みっともない」と言い、「人間は足から死んで行く」との母の教えを忠実に守っていると言う。

 また、毎朝、新聞を読んで、必要な情報を吸収している。「消費税アップ」について訊かれて、「大いに結構」と鷹揚だ。年寄りは、食べる量が減るから、影響も少ないと泰然と構えている。

 驚くのは、長年、医療・介護のお世話になってなっていない彼女たちが、応分の社会保険料を負担しながら、、一切、愚痴も言わずに、「少しでも返してくれたらなぁ」と、笑い飛ばす明るさだ。

 政策を万事、政局絡みにして、違憲状態の議員定数すら削減出来ない政治家諸侯には、4人姉妹が持つ「羞恥心」と「鷹揚さ」を見習ってほしい。


★ささやかな抵抗

2012-02-22 09:28:49 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、妻が65歳になり、我が家は高齢者世帯として管理されることになった。世間さまが勝手に高齢者のレッテルを貼るが、当事者の意識は何も変わらず、甚だ不愉快で迷惑この上ない。

 民生委員がやって来て、「お二人とも高齢者なので、今まで以上の詳しい情報が必要」だと、娘や親戚への連絡方法まで詳細に確認した。翌日、派出署から同様の趣旨の聞きとり調査に来た。更に、町会独自の調査もあるが、一体、何に使うのか?

 さらには、町内のお節介焼きが、老人会の行事と市の入浴補助券(年約6,000円相当)等の特権について、妻に説明に来た。私は、4年前から対象者だが、一切、利用していないし、妻も同じ思いでいる。

 全国各地で、この種の高齢者優遇措置がみられるが、まさにバラマキで、行政コストの膨張につながっている。新たな負担を強いるよりも、「特権」や「余分のサービス」を廃止する方が簡単で大きな成果が出る。行政の媚びと住民のたかりの思想を排除しない限り、この国の再生はない。


★究極の選択(2/2):行政コスト

2012-02-21 09:25:13 | 日記・エッセイ・コラム

 「社会保障と税の一体改革」は、消費税のアップや年金額に関心が集中し、行政改革や無駄遣いの徹底排除に対する議論はもとより、国会議員の定数削減ですら成果を見ない。

 今なお高い支持を誇る(?)小泉元首相は、戦後最長の経済成長下にあっても、「私の任期中は消費税を上げない」と宣言した。が、野党となった自公の批判は、「消費税アップはデフレ下では経済停滞を招くだけだ」と、野田首相を口撃している。

 「原発は厭だが、交付金は欲しい」、「震災の復興には協力するが、がれき受入れはノーだ」、「基地の沖縄集中は解消すべきだが、当地への移転は反対」等々、自己矛盾を平気で口にし、究極の選択を避ける。

 解決策を全て行政にぶつける、「苦しい時の政府頼み」的な発想に偏向しているマスコミやオピニオン・リーダー層に猛省を求めたい。これは、自戒を込めてでもあるが、我々は「行政コスト」に対する認識が甘すぎる気がしてならない。


★究極の選択(1/2):曖昧さ

2012-02-20 10:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

 18日(土)夜、ある番組を観て、「日本という国と国民性」について考え込んだ。

 火事の通報を受け、駆け付けた消防隊員が、消化活動をしないで、ただ焼け落ちるのを見守るだけの映像は強烈だった。理由は、消防保険に加入していない人の家だった。家の持ち主は、隊員に「今すぐお金を払うから」と必死に懇願したが、無駄だった。

 これを日本に置き換えたら、マスコミや世論は「人命を何と考えるか」と、非難するに違いない。或いは、「お金を払えば、助けるべきだ」と、大半の人が同情すると思われる。

 引用例は極端だが、日本では個人主義や自由主義を尊重するあまり、社会ルールを逸脱しても許容する風潮がまん延していないだろうか。負担抜きに補償を求める考え方が、行政コストの増大を招いていることを国民一人一人が自覚し、究極の選択をすべき時が来ている。