「一隅を照らす」とは、比叡山を開かれた伝教大師・最澄の著書『天台法華宗年分学生式=山家学生式)』より出典した言葉。その意味するところと精神を私なりにまとめると次のとおりだ。
『山家学生式(さんげがくしょうしき)』は、伝教大師が人々を幸せへと導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいとの熱意をこめた著述。仏道を求める心で御仏におすがりし、御仏の教えを実行すれば、必ず正しい生活をすることができるが、自己のことばかりを考えて生活していると、他人への思いやりの心を忘れ、正しい人間生活を送る事ができないと説く。
「一隅」とは、人間一人一人がいる場所。家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。自分のためばかりではなく、人の幸せ、人類みんなの幸せを求めていこう。「人の心の痛みがわかる人」「人の喜びが素直に喜べる人」「人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人」こそ国の宝であるとの認識にたって生活するようにと説いてある。
親に対する感謝を忘れ、自分の思い通りにならないとすぐ切れてしまう子供。おのれのいたらなさを反省せず、周囲に対し不平不満をぶちまける豊かさに慣れきった若者。そういった心の貧困さが、殺伐とした事件を起こす。自信と謙虚さを失わずに、感謝し生きて行きたいものである。
『山家学生式(さんげがくしょうしき)』は、伝教大師が人々を幸せへと導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいとの熱意をこめた著述。仏道を求める心で御仏におすがりし、御仏の教えを実行すれば、必ず正しい生活をすることができるが、自己のことばかりを考えて生活していると、他人への思いやりの心を忘れ、正しい人間生活を送る事ができないと説く。
「一隅」とは、人間一人一人がいる場所。家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。自分のためばかりではなく、人の幸せ、人類みんなの幸せを求めていこう。「人の心の痛みがわかる人」「人の喜びが素直に喜べる人」「人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人」こそ国の宝であるとの認識にたって生活するようにと説いてある。
親に対する感謝を忘れ、自分の思い通りにならないとすぐ切れてしまう子供。おのれのいたらなさを反省せず、周囲に対し不平不満をぶちまける豊かさに慣れきった若者。そういった心の貧困さが、殺伐とした事件を起こす。自信と謙虚さを失わずに、感謝し生きて行きたいものである。