プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★沖縄シリーズ④:思い出

2022-05-18 07:55:30 | 日記・エッセイ・コラム
 沖縄が日本に返還される当時、私は、東京本社で琉球電信電話公社の事業を承継する仕事に従事していたので、現地調査の際、アメリカ大使館に出向き、パスポートを申請した。

 また、電話は国際通話で通話料が高く、上司の承諾を貰い、KDDに申し込んで接続した貰う時代だった。

 復帰50年経ち、いずれも、今の若者には、信じられない話題ばかりに違いない。

 それが縁で、夫婦・家族で随分、沖縄を旅行した。冬季間、ロングスティして、帰って来たら、積雪で家に入れないことがあり、それ以降、最大滞在日数が4日以内になった。

 また、沖縄マラソンで、嘉手納基地内を通過する時、後続の妻を待つ間、芝生に寝そべっていたら、憲兵が近寄って来て、銃を構えた。

 ホールドアップして駆け出したが、ゴールしたら、妻が先着していたほろ苦い思い出も懐かしい。"(-""-)"

 今では、3時間を超えるフライトが苦痛なので、もう3年間、遠ざかっている。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。