我が家の隣家は、母と娘の高齢世帯。かねて、入院中の母親が4日に亡くなったことを、昨日の朝刊の「おくやみ欄」で知り、弔問に伺った。
家族葬が執り行われたために、記事には、「済」と表記されていたが、家族葬にはじめて接して、戸惑いを感じた。
母親は、96歳の超高齢だったが、交友範囲が広かったのか、老人会などのお仲間が次々に弔問に訪れ、娘さんは、応対に追われて憔悴気味だった。今日も、朝から訃報を知った弔問客の姿がある。
家族葬は、最近、増加傾向にあるようだが、地方部より都会向きのスタイルとの印象を受ける。実は、私も家族葬で見送って貰うつもりでいたが、一般葬よりも面倒な気がして、考え込んだ。
何よりも、SNSの普及は、迅速な情報伝達手段として有効であっても、個人生活レベルでとなると、まだまだアナログの世界が幅を利かせる余地が残っていると実感している。
家族葬が執り行われたために、記事には、「済」と表記されていたが、家族葬にはじめて接して、戸惑いを感じた。
母親は、96歳の超高齢だったが、交友範囲が広かったのか、老人会などのお仲間が次々に弔問に訪れ、娘さんは、応対に追われて憔悴気味だった。今日も、朝から訃報を知った弔問客の姿がある。
家族葬は、最近、増加傾向にあるようだが、地方部より都会向きのスタイルとの印象を受ける。実は、私も家族葬で見送って貰うつもりでいたが、一般葬よりも面倒な気がして、考え込んだ。
何よりも、SNSの普及は、迅速な情報伝達手段として有効であっても、個人生活レベルでとなると、まだまだアナログの世界が幅を利かせる余地が残っていると実感している。