百済王神社 枚方市中宮西之町1丁目68 百済滅亡後、日本に亡命した百済王族の善光は天皇から百済王の姓を賜りその臣下となった、その曾孫である百済王敬福は陸奥守に任ぜられ、749年陸奥国小田郡で黄金が発見されこれを朝廷に献上した。その功によって敬福は従三位・宮内卿兼河内守に任じられ、百済王氏の本拠を難波から河内に移した。その後当地に氏寺として百済寺、氏神として百済王神社が造営されたのが始まりである
浮嶋神社
本殿
旧拝殿
相殿社
百済寺跡 百済王神社に隣接している 1辺約200mの寺域に、南門、中門、東塔・西塔、金堂、講堂を配し、回廊は中門から東西に延びて両塔を囲んで金堂につながっており、薬師寺の伽藍配置に似ているが、むしろ新羅の感恩寺と同じ形式といわれ、古代日本と朝鮮半島の交流を知るうえで重要な遺跡とされる。
軒平瓦などの瓦類、塼仏などの出土品がある。1941年に国の史跡に、1952年に特別史跡に指定された
東塔跡
西塔跡
出土遺跡
西塔心礎
丸瓦
出土塼仏