週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

西方院  聖徳太子御廟  2011.03.22 Archives

2016年12月21日 | 神社仏閣

西方院 大阪府南河内郡太子町太1663                                                                                   寺伝によれば、創立は(622年)、開基は三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)。本尊は阿弥陀如来と十一面観音菩薩。

 

    

  

本堂

内陣

十一面観世音菩薩

阿弥陀如来扁額

 観音堂

鐘樓堂

  

西方院 三尼公(恵善、善信、禅蔵)御廟所) (西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、
 月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、
その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたとつたえられております

 三基の多層塔

 

馬子塚  叡福寺前の西方院から左へ200m 馬子の塚 この層塔は江戸時代の「河内名所図絵のように記されている。  馬子大臣塚 西方院壱町計東の方 民家の前にあり

 

 太子の墓 推古天皇の摂政として、十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などの進んだ政治制度や文化を取り入れ、政治改革を図った聖徳太子は、日本書紀によると推古29年(621)に亡くなり、磯長の地に葬られた。太子墓は径50メートル、高さ10メートルほどの円墳で、内部は精巧な切石を用いた横穴式石室。太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることから、三骨一廟と呼ばれている          空海、親鸞、日蓮など新仏教の開祖となった僧たちもこの寺に参篭したことが知られている。

中央の石棺に穴穂部間人皇女(母)が葬られ、東と西の乾漆棺(麻布を漆で貼り固めた棺)には東に聖徳太子、西に膳部菩岐々美郎女(妻)が葬られている 太子49歳

    

円墳

阿弥陀三尊彫像模型廟窟偈碑

廟窟偈碑・びょうくつげひ 御廟窟内の西にある 江戸中  聖徳太子の遺書として流布された墓の前にある御廟窟内の西に、皇太子自ら彫刻した霊碑の二十句を埋納したと云われている石碑 

大慈大悲本誓願 愍念衆生如一子 是故方便従西方 誕生片州興正法
我身救世観世音 定恵契女大勢至 生育我身大慈母 西方教主弥陀尊
真如真実本一体 一体現三同一身 片域化縁亦巳悉 還帰西方我浄土
為度末世諸衆生 父母所生血肉身 遺留勝地此廟窟 三骨一廟三尊位
過去七仏法輪所 大乗相応功徳地 一度参詣離悪趣 決定往生極楽界

 

 

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金剛輪寺  2012.11.19 Archives

2016年12月21日 | 神社仏閣

金剛輪寺  滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874 天台宗の寺院。本尊は聖観音、聖武天皇の勅願により行基が開山した。西明寺、百済寺とともに湖東三山の1つ

 

山門

 

千体地蔵

  

本堂

内陣

       地蔵堂地蔵堂内

阿弥陀如来

阿弥陀石仏三重塔初層

石造宝塔 鎌倉後期南北朝宝塔・鎌倉

十一面観音立像

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藤ノ木古墳 2010.06.05 Archives

2016年12月19日 | 神社仏閣

藤の木古墳  生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1795番地 法隆寺南大門前より西へ徒歩5分
直径48mの大型円墳。6世紀後半の築造と推定される。(1985)年と(1988)年の2度発掘調査が行われ、未盗掘の朱塗りの家型石棺、土器類、精巧で豪華な金銅製馬具(重要文化財)などが出土して大きな注目を集めた。昭和63年の調査では石棺内に二体の被葬者が確認された。被葬者は膳氏、崇俊天皇などさまざまな説がある

   

藤ノ木古墳の内部に入ることはできないが、扉に近づくと自動的にライトが灯され、石室の内部が少しだけ見えるようになっている

 石棺模型                 

石棺内部 あさひぐらふ

 

 

以下藤ノ木古墳とその時代1989年10月 図録より

 

雲珠玉纏太刀柄頭

金銅製花弁形歩揺金銅製冠・金冠塚古墳

金銅製冠・正面

金銅製冠・側面

 

金銅製履

金銅製履・底面

太刀帯先金具辻金具

筒形金銅製品

歩揺付飾金具木心金銅板張壺鎧

棘葉形杏葉

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百濟寺  2012.11.19 Archives

2016年12月19日 | 神社仏閣

百濟寺 滋賀県東近江市百済寺町323
本尊は十一面観音、開基は聖徳太子とされる。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。境内は国の史跡に指定されている。

   

仁王門

赤門  

弁天堂

本堂

   太子 弥勒菩薩 峯権現

 

喜見院の庭園

       菩提樹

  

御前立ち

十一面観音

阿弥陀如来聖観音如意輪観音

三百坊復元図

復元図

石曳図石曳図日吉山王神像

 

 

 

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西明寺  2012.11.19 Archives

2016年12月18日 | 神社仏閣

西明寺 滋賀県犬上郡甲良町大字池寺26 
湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺
戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された

 二天門 

本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築 国宝

内陣

蟇股蟇股

 

三重塔は、総桧の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれている

三重塔内

帝釈天壁画  

十一面観音       

十二神将像

神変大菩薩親鸞聖人清凉寺式釈迦如来

up不動明王

 弁才天

涅槃図

画像の一部・百寺巡礼のTVより

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御殿山神社  2016.12.14

2016年12月17日 | 神社仏閣

御殿山神社 枚方市渚本町12-55
御本社には、応神天皇を祀り、境内に稲荷神社、貴船神社の二つの末社があり、氏地は(旧)大字渚一円である。

  

二の鳥居

拝殿

        

一の鳥居

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大垣内神社 粟倉神社  2016.12.12

2016年12月16日 | 神社仏閣

大垣内神社】(オオカイト)--枚方市大垣内町1丁目37
参道の坂を登ったところに建つ鳥居には『百済王神社』とある
拝殿は朽ちて屋根と柱を残すのみ。枚方のもう一つの「百済王神社」から分霊された
「三松家は百済王の後裔で、代々中宮に居住して百済王神社に奉仕していたが(1592~96)に三松俊治がこの地に転居し、同俊元の代の(1650)8月百済王神社の分霊を廷内に奉斎したのが当社の起源である

  百済王神社

拝殿

 

本殿

 

 本殿 

小祠     

 

 

粟倉神社  枚方市小倉町1   拝殿と社務所だけの神社
粟倉神社は御殿山神社の北800m程にある小さな祠で、平安時代初期には惟喬親王の別荘だった渚院の地に、粟倉神社のお旅所ができ、現在の御殿山神社の母体になっている

 

拝殿

本殿

  社務所粟倉窯跡   

 

 

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百済王神社 百済寺跡  2016.12.14

2016年12月15日 | 神社仏閣

百済王神社 枚方市中宮西之町1丁目68                                                                                     百済滅亡後、日本に亡命した百済王族の善光は天皇から百済王の姓を賜りその臣下となった、その曾孫である百済王敬福は陸奥守に任ぜられ、749年陸奥国小田郡で黄金が発見されこれを朝廷に献上した。その功によって敬福は従三位・宮内卿兼河内守に任じられ、百済王氏の本拠を難波から河内に移した。その後当地に氏寺として百済寺、氏神として百済王神社が造営されたのが始まりである

 

     

浮嶋神社

   1811年

拝殿   

本殿

参集殿

旧拝殿

  稲荷社

相殿社

 

百済寺跡  百済王神社に隣接している                                1辺約200mの寺域に、南門、中門、東塔・西塔、金堂、講堂を配し、回廊は中門から東西に延びて両塔を囲んで金堂につながっており、薬師寺の伽藍配置に似ているが、むしろ新羅の感恩寺と同じ形式といわれ、古代日本と朝鮮半島の交流を知るうえで重要な遺跡とされる。
軒平瓦などの瓦類、塼仏などの出土品がある。1941年に国の史跡に、1952年に特別史跡に指定された

 

 

  

東塔跡

西塔跡

金堂跡

出土遺跡

西塔心礎

丸瓦

出土塼仏

 

 

 

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元興寺  2011.07.09 Archives

2016年12月13日 | 神社仏閣

元興寺 奈良市中院町11    参拝日 2016.10.05  2015.12.04  2014.05.29  2013.05.23  2012.08.18  2011.07.09
南都七大寺および十五大寺(延喜式)に数えられる元興寺は、奈良県明日香村の飛鳥寺(法興寺・元興寺ともいう)が平城京遷都に伴って奈良に別院を建立したことに始まる。『続日本紀』霊亀二年五月十六日に、初めて元興寺を左京六条四坊に移し建てた。とあるが、位置から考えるとこれは現在の大安寺のことのようである。さらに、『続日本紀』養老二年九月二十三日に、法興寺を新京へ移転した、とあり、これが当寺のことと思われる。

   

極楽坊

 内部

禅室

  

   

浮図田

    印相地蔵

智光曼荼羅

 薬師如来

五重小塔  行基葺き 

北門閼伽棚・国宝寺務所

  

   

役行者

 

 

 

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大野寺  2013.04.09 Archives

2016年12月12日 | 神社仏閣

大野寺 奈良県宇陀市室生区大野1680   参拝日 2013.04.09  2011.09.24  2011.06.18 

本尊は弥勒菩薩、開基は役小角と伝える。室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。この磨崖仏は興福寺の僧、雅縁が笠置寺の磨崖仏を模して造立する事を発願したといい、(1207)10月から1年かけて、宋人の石工伊行末(いのゆきすえ)とその一派が線刻を施した仏像だ。 役行者霊蹟札所。 大和地蔵十福

 

   

地蔵菩薩

内陣 庫裏      

 

  礼拝所

 

 

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