感謝っていったい誰に対してするのでしょうか?
親?
恋人?
友人?
神様?
感謝できる対象が多い人ほど幸せですが、
でも「自分に対する感謝」が抜けていてはいけません。
誰に感謝するよりも、
まず感謝すべきは自分に対してではないでしょうか?
だって、
自分の存在に感謝できない人が、
他の人に心から感謝するなんてできるはずもありません。
日本には昔から「自分を犠牲にする」という精神があります。
しかし、なかなか「自分のために」といいにくい風潮があります。
「親が不幸になっても、子どもが幸せになるならそれでいい」
「会社で自分さえ我慢していれば、まるくおさまるんだ!」
というような言葉を聞きます。
しかし、
突き詰めて考えると、
これは絶対におかしい。
お母さんが不幸で幸せな子どもなどいませんし、
誰か一人が我慢して、
他の人が喜んでいる会社に未来はありません。
私たち人間は、
自分の幸せと、
まわりの人の幸せの両方を考えながら生きていく存在です。
「自分はどうなってもいい」
という考えは、
一見慎ましやかに聞こえますが、
実はとても倣慢なのです。
「私が幸せにならなければ、まわりの人も幸せになれないんだ」
ということを忘れてはいけないのです。
ただ、勘違いしてほしくないのは、
自分に感謝することと、
自分で自分を褒めるということは違います。
「よく頑張ったね」
こうして自分を褒めるとき、
そこには「褒めてあげる自分」と
「褒められる自分」が存在します。
つまり自分のなかに上下関係をつくってしまっているのです。
そうではなくて、
「頑張った自分にもありがとう」
「頑張らなかった自分にもありがとう」
無条件に自分にありがとうと言っていいのです。
良いとか悪いとか判断しないで、
ありのままの自分に感謝したいです。
親?
恋人?
友人?
神様?
感謝できる対象が多い人ほど幸せですが、
でも「自分に対する感謝」が抜けていてはいけません。
誰に感謝するよりも、
まず感謝すべきは自分に対してではないでしょうか?
だって、
自分の存在に感謝できない人が、
他の人に心から感謝するなんてできるはずもありません。
日本には昔から「自分を犠牲にする」という精神があります。
しかし、なかなか「自分のために」といいにくい風潮があります。
「親が不幸になっても、子どもが幸せになるならそれでいい」
「会社で自分さえ我慢していれば、まるくおさまるんだ!」
というような言葉を聞きます。
しかし、
突き詰めて考えると、
これは絶対におかしい。
お母さんが不幸で幸せな子どもなどいませんし、
誰か一人が我慢して、
他の人が喜んでいる会社に未来はありません。
私たち人間は、
自分の幸せと、
まわりの人の幸せの両方を考えながら生きていく存在です。
「自分はどうなってもいい」
という考えは、
一見慎ましやかに聞こえますが、
実はとても倣慢なのです。
「私が幸せにならなければ、まわりの人も幸せになれないんだ」
ということを忘れてはいけないのです。
ただ、勘違いしてほしくないのは、
自分に感謝することと、
自分で自分を褒めるということは違います。
「よく頑張ったね」
こうして自分を褒めるとき、
そこには「褒めてあげる自分」と
「褒められる自分」が存在します。
つまり自分のなかに上下関係をつくってしまっているのです。
そうではなくて、
「頑張った自分にもありがとう」
「頑張らなかった自分にもありがとう」
無条件に自分にありがとうと言っていいのです。
良いとか悪いとか判断しないで、
ありのままの自分に感謝したいです。
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