私には、28歳になる息子がいます。
現在、関東にある某自動車会社で開発の仕事をして5年目になります。
高校時代から付き合っていた彼女と結婚して、
この1月に子どもも生まれました。
息子は県外の大学に進学しました。
アパートに住むために、
荷物を自動車に詰め込んで送って行った初日のことを今でも忘れません。
アパートを契約し、ベッド、冷蔵庫、机、椅子、食器、タンス、布団、
パソコン、電子レンジ、洗濯機、単車・・・・などなど買いこんで、
初日にいくら使ったでしょうか?
子どもを大学に通わせるというのは、
こんなにお金がかかるものだと驚愕し、
子どもの学費のために、
その日から晩酌を一切やめ、
節約すると決めました。
帰りの自動車の中では、
悲しくて泣けて泣けて仕方がなかったことが脳裏に焼き付いています。
息子は大学院も含め、6年間通い続けました。
親として、一体いくらお金を使ったでしょうか?
1人の息子の大学の費用だけで2千万は使ったでしょう。
考えてみると、息子が生まれてから社会人になるまで
24年間も援助し続け、子育てにかかった負担、お金は計りしれません。
しかし、それが負担であったとか、
苦しかったとかと言えばそうではありません。
息子を育てることが、私の人生そのものであったと思います。
息子は、
現在横浜に住んでいますが、
おそらく愛知に戻って生活することはニ度とないでしょう。
盆や正月には帰省するでしょうが、
今後は、私たち親以上にお嫁さんや子どもを大切にしなければなりません。
自分の家庭のウエイトが高まってくるでしょう。
そして、いずれは親が先にこの世を去ります。
それでいいんです・・・。
さて、そこでふと思うことは、
「私にとって子育てって何だったんだろうか?」ということです。
子どもは、いずれは親元から離れて行って自立していきます。
では、最初から子どもなんていなくてもいいじゃないか
という考え方もあります。
結婚しない若者、子どもを作らない夫婦も増えているようですが、
そんな損徳感情を計算する人もいます。
そして、「ハッ」と思い知らされたのは、
自分自身の親のことです。
自分が生まれてから、育ててもらい、大学まで行かせてもらい、
私には美味しい食事を与えながら親は粗食でがまんしたり、
私には服を買ってくれても親はボロを着ていたり、
そんなことばかり思い出されます。
「人生は、知恩・報恩・恩送り」(恩を知り、恩に報い、恩を送る)です。
何一つ文句を言わずに与え続けてくれた親の愛や援助に感謝し、
まったく同じように子どもに与えたい。
そして、この愛や援助が、次の世代の孫にも引き継がれていくのでしょう。
人の歴史というのは、
このように見返りを求めず、
「知恩・報恩・恩送り」が永久に続いていくことなのでしょう。
現在、関東にある某自動車会社で開発の仕事をして5年目になります。
高校時代から付き合っていた彼女と結婚して、
この1月に子どもも生まれました。
息子は県外の大学に進学しました。
アパートに住むために、
荷物を自動車に詰め込んで送って行った初日のことを今でも忘れません。
アパートを契約し、ベッド、冷蔵庫、机、椅子、食器、タンス、布団、
パソコン、電子レンジ、洗濯機、単車・・・・などなど買いこんで、
初日にいくら使ったでしょうか?
子どもを大学に通わせるというのは、
こんなにお金がかかるものだと驚愕し、
子どもの学費のために、
その日から晩酌を一切やめ、
節約すると決めました。
帰りの自動車の中では、
悲しくて泣けて泣けて仕方がなかったことが脳裏に焼き付いています。
息子は大学院も含め、6年間通い続けました。
親として、一体いくらお金を使ったでしょうか?
1人の息子の大学の費用だけで2千万は使ったでしょう。
考えてみると、息子が生まれてから社会人になるまで
24年間も援助し続け、子育てにかかった負担、お金は計りしれません。
しかし、それが負担であったとか、
苦しかったとかと言えばそうではありません。
息子を育てることが、私の人生そのものであったと思います。
息子は、
現在横浜に住んでいますが、
おそらく愛知に戻って生活することはニ度とないでしょう。
盆や正月には帰省するでしょうが、
今後は、私たち親以上にお嫁さんや子どもを大切にしなければなりません。
自分の家庭のウエイトが高まってくるでしょう。
そして、いずれは親が先にこの世を去ります。
それでいいんです・・・。
さて、そこでふと思うことは、
「私にとって子育てって何だったんだろうか?」ということです。
子どもは、いずれは親元から離れて行って自立していきます。
では、最初から子どもなんていなくてもいいじゃないか
という考え方もあります。
結婚しない若者、子どもを作らない夫婦も増えているようですが、
そんな損徳感情を計算する人もいます。
そして、「ハッ」と思い知らされたのは、
自分自身の親のことです。
自分が生まれてから、育ててもらい、大学まで行かせてもらい、
私には美味しい食事を与えながら親は粗食でがまんしたり、
私には服を買ってくれても親はボロを着ていたり、
そんなことばかり思い出されます。
「人生は、知恩・報恩・恩送り」(恩を知り、恩に報い、恩を送る)です。
何一つ文句を言わずに与え続けてくれた親の愛や援助に感謝し、
まったく同じように子どもに与えたい。
そして、この愛や援助が、次の世代の孫にも引き継がれていくのでしょう。
人の歴史というのは、
このように見返りを求めず、
「知恩・報恩・恩送り」が永久に続いていくことなのでしょう。