コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

自分の無知

2018-07-31 06:43:06 | Weblog
学校では学習が行われています。
この学習とは、
事実や理論、定理、日付を暗記することを意味しています。

思い出してみると、
学生時代に、
コーヒーを何倍も飲みながら試験の直前に
一夜漬けしたことがありませんか。

しかし、
本当の学習はその場しのぎのやり方をせず、
自分の能力開発に専念することです。

ジム・ローンは
「学校教育は生計を立てるのに役立つが、
生涯教育は財産を築くのに役立つ」
と言っています。

ですから、
それが事実であることを確信し、
能力開発や教育、セールス、マーケティング、経営など・・
本や雑誌、CDにお金を投資し、それをつぶさに研究してみることで
その分野の第一人者になることができます。

現在は出版不況で、
本をほとんど購入しない人が多いですが、
以前からよく言われているのは
収入の10%は自己研さんに使いなさいと言うことです。

本やその他の教材にお金を投資する。
さらに講演会や勉強会にも積極的に参加する。

多くの人はそれらの投資を時間とお金の無駄とみなし、
宝くじに投資しながら酒やたぱこで不満を紛らわせる。
そして、
「もう学ぶことはほとんどない」と考える。

しかし、
「学べば学ぶほど気づくことが多い」ものです。

自分の無知を認めることによって意欲的に学んで
能力開発の方法を会得しましょう。

学ぶことは無限です。

習慣を重視する

2018-07-30 06:15:34 | Weblog
習慣という言葉を聞くと
どんな印象をもちますか?

多くの人は悪い習慣を思い出すでしょう。
そして、
この習慣とは断ち切るべきものだと考えています。

たとえば
禁煙や食べすぎそうです。
何とか喫煙の習慣を断ち切ろう。
食べすぎはダメだからどうにかしよう
と考えます。

しかし、
習慣とは成功への道だと考えることができます。

つまり、
絶えず習慣を強化することです。

たとえば、
朝の運動を毎日続けよう。
毎日トマトを美味しく食べるにはどうするか?

習慣に秘められた大きな力に
畏敬の念を抱いています。

だから、
1日でも気をゆるめることは、
自分が墜落すると考えています。

彼らは習慣の力を
人生のすべての領域で活用します。

恐怖を手なずける

2018-07-26 07:29:07 | Weblog
人のモチベーションになるものの一つに
「恐怖」があります。

恐怖はストレスにもなりますが
前向きな推進力にもなります。

成功する人は。
この恐怖を上手く扱います。

普通の人は
恐怖におびえて支配されています。

しかし、
成功する人は
まるで毒蛇の首筋をつかむ蛇使いのように恐怖を
たやすく手なずけます。

彼らは苦境に立たされても平静を保つ方法を知っています。
恐怖に何度も立ち向かっているから、
恐怖を乗り越えるすべを心得ています。

その過程で興味深い現象が起こります。
それまで恐れていた活動が快感に変わるのです。

例えば、
幼いときの私の最大の恐怖の、
人前で話すことでした。

人前で恥をかくことに対する恐怖は耐えがたく、
そういう機会では下を向いて逃げようとしていました。

しかし、今では人前で話すことを克服し。
大勢の前で話すことに気持ちよさを感じます。

ほんの少しの違いを大切にする

2018-07-25 08:45:36 | Weblog
一流の人はほんの少しの違いを大切にします。

ライバルから抜きん出るために、
ほんの少しの違いを重視します。

究極的にそれが成否を分けることを
知っているからです。

現在、
私たちの周りには
宅配ピザや宅配弁当があります。

これらも、
以前からある出前配達と
スピード面やコスト面で
ほんの少しの違いを重視してきました。

その結果シェアを拡大してきました。

ただ単にライバルより優位に立つことを
願うだけでは進歩はありません。

ライバルより優位に立つ方法を
なんとしてでも見つける努力をします。

彼らはほんの少しの違いを大切にし、
それを付加価値として提供して、
成功を収めます。

付加価値を見つけてすぐに実行に移すことです。
それは大きなことである必要はありません。

小さなことでも毎日実行する習慣をつければ、
やがて大きな差となります。

組織の目標は相乗効果

2018-07-24 06:49:36 | Weblog
会社の重要な役割は組織をつくることです。
一人ひとりが力を合わせて「相乗効果」を生み出すことです。

組織の目的は、
それぞれが役割を担い、
そして協力し合い、
常に新しいものをつくり続けることにあります。

したがって、
組織の一員の役割は、
自分の力と協業する人の力の単純な合計よりも、
さらに大きな力を生み出し、
よりよい成果を出すことです。

しかし、
個人間の行きすぎた競争や組織ロイヤリティの低下、
利益至上主義の悪影響などによって、
現実の組織の中では、
防衛的なコミュニケーション、
非協力的な文化、政治的な争いといった悪しき習慣がはびこり、
結局、
組織としての力を発揮することができないまま、
組織の力は低下していく例は多数あります。

組織において相乗効果が発揮されないのであれば、
そもそも組織にする必要はありませんし、
たくさんの社員も必要ありません。

組織において、
一人で仕事を完遂させることはほとんどありません。
組織の大きな枠組みや仕組みの中で役割を果たすことが
自分の仕事のはずですが、
自分の力によって新しい何かを生み出すことができないのであれば、
自分の代わりは他にいくらでもいることになってしまいます。

「よりよい結果や解決策は必ずある」という気持ちを
常に持ちましょう。


相乗効果を活用する

2018-07-23 06:27:37 | Weblog
自然界には数多くの相乗効果があります。

例えば
V字編隊をする雁の群れです。

雁のV字編隊飛行には次のような理由があるそうです。

・編隊で飛ぶと、単独で飛ぶよりも71%遠くまで行ける。
・前方の雁が羽ばたくときに後続の鳥に上昇気流をつくり出す。
・先頭の雁は疲れるとV字型編隊の後尾に回り、別の雁と交代する。
・後ろの雁はガーガー鳴いて、前の雁を応援する。
・編隊から脱落しそうになっても、1羽で飛ぶと抵抗が大きいので
すぐに群れに戻る。
・群れの1羽が病気や怪我で脱落すると、
2羽の雁が援助と保護のために付き添って地上に降りる。
この2羽は脱落した雁が回復するか死ぬまで付き添い、
その後、新しい群れに加わるか、
独自の編隊をつくって元のグループに追いつく。

いかがでしょうか?
他にも、自然界の植物は、互いに根を重ね、支え合って生きています。

他にもいろいろあります。
以前政府が「3本の矢」なんて言っていたのも同じです。
1本よりも3本の矢の方が、
3倍以上の荷重に耐えるということです。

きっと私たち人間も、
雁のように他の人と「V字編隊」を組んで飛べば、
もっともっと遠くまで行けるはずです。


ストーリーをつくる

2018-07-20 06:08:48 | Weblog
先輩から「人生はねえ」で始まる訓示を
延々ときかされて
うんざりとしたことはありませんか?

「AはBである」という一般論ほど、
伝える側の「伝えたい度」と
きき手の「ききたい度」に温度差があるものはありません。
「人生は」
「仕事とは」
「学ぶとは」、
発言者にとっては苦労に苦労を重ねて見つけた「真実」ですから、
自ずと熱がこもります。
しかしこれをきくのは多くの場合、
苦痛以外のなにものでもありません。

コーチングでは相手から引きだすのが鉄則ですが、
ときとして、
コーチらからものの見かたや違う視点を伝えたくなるときがあります。
しかし一般論ではダメです。
相手の耳の入り口ではね返されます。
なぜなら、
一般論を無防備にきいてしまったらとても危ないからです。
「人生は努力だ」といつたら、
努力以外のものは排除されてしまうわけで、
そんなことを簡単に受け入れたらすごく窮屈な人生になってしまう。
だから人はめったなことでは一般論に同意しません。

「AはBである」を相手に少しでも伝えたかったら、
それを「ストーリー」の中に入れて語る必要があります。

お話は本や映画のストーリーであったり、
見ききした誰か別の人の話であったり、
あるいは自分の過去の体験だったりします。

「ストーリー」が伝達の手段として優れているのには、
二つ理由があります。

ひとつはそれが具体性を持った話であればあるほど
「AはBである」をサポートする事実が確かにそこにあったということを
相手に示すことができるということ。
つまりそれがいつも絶対正しいかどうかは別にしても、
正しい瞬間もあるということをきき手に感じさせられること。

もうひとつは、
一般論と違ってお話は頭に残りやすいということです。

だから「AはBである」という文章が頭に浮かんだら、
とにかくすぐにお話を探します。

もともと、
そう思うに至った過程には、
本を読んだり、
誰かの話をきいたり、
自分自身がなにかに遭遇したり、
なんらかの体験があったはずですから、
必ず浮かんでくるはずです。

ストーリーという乗り物に乗せて、
はじめてあなたの「真実」は相手の心に届くのです。

正しい質問を見つけ出すこと

2018-07-19 06:10:55 | Weblog
コミュニケーションでは、
「これは自分のことか、相手のことか」
「これは事実か、ただの推測や解釈か」などのことを探究し、
明確にしなければなりません。

「みんなが、そう言っています」と言う人に、
「みんなって、誰と誰なの?」と尋ねることがありますが、
せいぜい二人くらいだったりすることがよくあります。

事実か、
そうではないのか。
単に意味をつけているだけなのか、
勝手に評価しているのか。
これらのことをきちんと分けていかなければなりません。

そんな時に聞いたことがあります。

「正しい答えは存在しない。正しい質問だけがある」

あるケースについて正しい答えがあったとしても、
状況や対象が変われば、
それはもう正しい答えではなくなってしまいます。

大切なのは、
正しい答えをもっているという幻想から覚め、
常に正しい質問を見つけ出し、
それに取り組むことだというのです。

正しい質問かどうかは、
それが結果につながる質問であるかどうかで判断できます。

未来をつくるのであれば、
過去を聴かずに未来を聴かなければなりません。

現実を知ろうと思うのなら、
推測や思い込みを聴くのではなく現実を聴かなければなりません。

もちろん、
答えの出ない質問は、
質問とはいえません。

適切な質問をすれば、
相手の問題を整理し、
方向づけ、
解決へ向けて導くことができます。

そのためにも、
正しい質問の技術を身につけることが必要です。

関係が聴こえていない状態

2018-07-18 06:03:10 | Weblog
相手のあり方がわかっていないために問題がこじれて、
あげくの果てに逆恨みされる、
というケースがあります。

言葉は聞こえていても
関係が聴こえていない状態です。

例えば
先輩として後輩にアドバイスしたけれど、
後輩はこちらが立っている場所やこちらの状態について
全くわかっていない場合です。

「それではダメだ。こうしたほうがいいよ」と、
先輩としてアドバイスしたとします。

ところが後輩のほうは、
こちらの場所がわかつていないので、
自分をいじめているのか、
何か腹が立ったことがあって、
そのうっぷんを自分にぶつけているのか、
注意しているだけなのか、
本当に自分のことを考えて言ってくれているのかがわかりません。

そして、
「ああ、この人は自分のことをいじめようとしているのだ」と思ったとたん、
後でこちらがどんな言葉を連ねても、
「やさしげなことを言っているが、裏があるに違いない」
と思ってしまうのです。

困ったことにその証拠は、
いくらでも見つけて集めることができます。

言葉は聞こえているものの、
関係がまるで聴こえていない状態です。
その結果、
人と人との関係がメチャクチャになってしまうのです。

もちろん、
相手が本当に悪意をもってこちらに接しているケースもあります。
その場合も、
「自分のことを嫌っている」という相手の立っている場所をつかんで
相手の言葉を聴けば、
誤解することなく対応できるようになります。

大切なのは、
相手が悪意をもっていても善意をもっていても、
こちらはそうした感情から自由になり、
相手の状態を「聴く」ことなのです。

人だけは「人間」と言う表現を使うのか?

2018-07-17 06:00:01 | Weblog
なぜ?
人だけは「人間」と言う表現を使うのか?
不思議に思ったことはありませんか。
犬は「犬間」、猫は「猫間」と
聞いたことがありません。

まず、
語源を考えてみます。

もともと「人間」という語は日本語ではなく、
中国から入ってきた仏教用語です。
インド仏教では、
人の心を境地を
「地獄界・餓鬼界・畜生界・人界・天界…」などの10個に分類しました。
この人界を表すサンスクリット語で
manusya-loka(マヌシャ・ローカ)と表現されます。
manusyaは「考える」という意味で、
中国の僧侶が漢字を当てはめて『人間界』と漢訳したもののようです。
つまり日本に伝来当初は人間という語には
「ヒト(human)」の意味はありませんでした。

つまり、
人間というのは社会的な生物なので
単独では生きていけません。
他者との関わり合い、
社会との関わり合いによって初めて人間であるわけです。

同様に、
私たちはよく「自分」という言葉もなにげなく使います。
もともと「自分」というような「もの」、
「もの」としての「自分」、などというものは存在しません。

もちろん体は、
あるいは脳は個体として存在しますが、
体や脳が「自分」の存在にとっていかに不可欠であっても、
それがそのまま「自分」だとは考えられません。
自分というのは、
むしろ体を使い、
脳を使ってものを考えたり、
感じたりしている働き、
すなわち「魂」のことです。

人が生きていく上で、
コミュニケーションが必要と言われますが、
結局は人が生きていくには、
この「魂と魂の関わり合い」がとっても重要なことです。
それを「人間」という言葉で、
日本語が生まれた時代から大切にされてきたのでしょう。