9月2日、野田内閣が発足しました。
内閣発足後、エネルギー政策の根幹を巡っては失望する発言が続いています。
曰(いわ)く、「(原発は)寿命が来たら廃炉、新規は無理」(野田氏)、「原発はゼロになっていく」(鉢呂前経産相)。
かかる中、鉢呂氏が、9月8日、視察に行った現地から帰京した当日の記者懇談で、懇談した記者に福島の放射能を「うつす」とか「つける」とか言って、
そのような仕草をされ、また翌日には、現地を「死の町」と述べられるなど、現地の苦難を思えば取りようのない常識外れの事が、鉢呂氏の行動に現れました。
これが問題となり、鉢呂は結局、9月10日に引責辞任されました。
辞任は当然です。
鉢呂氏の仕草や発言は常識人のものではありません。
そして問題は、鉢呂氏一人に留まりません。
どうも民主党の体質は、おかしいと思わざるを得ないところがあります。
鳩山氏、菅氏、鉢呂氏と、どの議員も職業の選択を誤った趣味レベルの自覚しか持ち合わせていらっしゃらない議員にしか思えません。
菅氏に至っては、市民運動のヴェールをかぶった親北の人であることが判明しつつあります。
こういう人たちの集団だからこそ、いとも簡単に「寿命が来たら廃炉、新規は無理」、「原発はゼロになっていく」と言うことができます。
野田氏は「新しいエネルギーの開発」を言っていますが、それはまだ何も見えていません。それがどんなエネルギーなのかも言っていません。
現在、核融合エネルギーの研究が進められています。
このエネルギーの実用化に目途(めど)が立つまでは、原子力発電をより安全なものへと改良を進めながら、運用して行くという長期のエネルギー計画が必要です。
蓄積した原子力の技術を手放してはなりません。
要は、設置基準を含めて安全なものを作り、除染の技術を開発すれば良いだけの話です。
江戸では大火を何度も出しましたが、野田氏は火事で犠牲が出るから、もう家は建てないといっているに等しいのです。
その論理で行くと、現在の東京には実に牧歌的な田園風景が広がっていたことになりましょう。
幸いにも、そういう為政者は過去の日本では出ませんでした。
野田さんは、震災の復興財源を現在世代で負担し、将来世代に負担を残さないと言っています。それは良いことです。
よく考えてもらえば分かることなのですが、原発を廃炉して、原子力の技術を手放してしまえば、それは将来世代の計り知れないマイナスとなります。
これがお分かり頂けなければ、その人は多分、牧歌的な原発廃止論者で、これを書いている者とは見ている未来が異なるのでしょう。
(注):今日のブログ記事は、私のホームページ「考凜館」から転載致しております。
御了解を頂きたく存じます。
千葉県立図書館の日の丸
同